「やればできる(た)」―この言葉はよくみんなの各種試験の反省の弁として、
また教師や両親の励ましの言葉としてよく聞きます。
私の経験上、「やればできる(た)」ということは何度かありましたが、けれどで
きるかどうか感触がつかめないまま「やってみたらできた」という体験はまずな
かったと思います。
初めから「できないな」と思ったら、まずやらないのが実際ではないでしょうか。
つまり人間は物事を峻別してやるやらないを判断していますが、ただ実際何かを
やって経験を積まないとそこから一歩も二歩も進まないし、やってみて初めて力
がつくわけです。
私の小学校時代は勉強(特に算数)も運動もからっきしダメでした。
「1×1=2」「1km=10000m」・・・こんなことを言ってるくらいですから、算
数でテストをすれば常に0点。
また運動をさせても前転など全くできず、走らせれば常にビリ近くでした。
そんな私でしたが、カワイ体操教室というところで体を鍛え、また公文式で徹底
的に1桁の足し算の繰上げから練習をし・・・そんな経験を積み上げることで今の自
分を作ってきました。
半ば強制的なものだったので、毎日嫌で嫌で泣いていたのは事実です。
けれど、5+7みたいな簡単な問題ばかり(と言っても、おはじきを使いながら
一所懸命やっていた私には難問でしたが・・・)でも、その内容で初めて100点がと
れたときはほんとに嬉しかったです。
今思えば、その嬉しさをエネルギーに次の課題へと移っていきましたね。
(そんな私が今教鞭をとって数学を教えているのだから不思議なものです…)
今の子どもたちも同じだと思います。勉強が分かりたいと思って、いろいろやっ
てみることで勉強の力が出てくるのではないでしょうか。
だから今はやるしかない。「継続は力なり」―やり続けるからこそできるように
なるのです。
「やればできる」、このことは確かに子どもの潜在的な力を評価している言葉で
すが、その中身は「やるからこそできるようになる(できる能力が引き出され
る)」ということなのです。
逆に言えば「やらなければまったく力はついてこない」というわけです・・・。
ただこのようなことは誰しもわかっていることだと思います。
ところが実際はそれができないし、難しい・・・そこには勉強に対する欲がないこと
が原因があるんだと思います。
成績や進学に対する欲はあっても、自分を磨くという真の意味での勉強までは・・・
というのが実際のところでないでしょうか。
植物を考えてみると・・・美しい花を咲かせるまでに、目には見えない地下で根を広
げ、着実に水分・養分を吸い上げなければなりません。
すべて自分で求めなければ、水分・養分は獲得できないのです。
子どももそう、自分を成長させるのに、代わりに親や教師が食べて、子ども自身
の養分にするなんてことはできません。
自分を育てるには自分で食べる・・・それしか方法はないのです。
今の子どもたちが学ぶことの嬉しさを覚え、力を蓄積していく楽しさを知る中で、
自分を生かす道を求めてくれれば…そう願わずにはいられません。
また教師や両親の励ましの言葉としてよく聞きます。
私の経験上、「やればできる(た)」ということは何度かありましたが、けれどで
きるかどうか感触がつかめないまま「やってみたらできた」という体験はまずな
かったと思います。
初めから「できないな」と思ったら、まずやらないのが実際ではないでしょうか。
つまり人間は物事を峻別してやるやらないを判断していますが、ただ実際何かを
やって経験を積まないとそこから一歩も二歩も進まないし、やってみて初めて力
がつくわけです。
私の小学校時代は勉強(特に算数)も運動もからっきしダメでした。
「1×1=2」「1km=10000m」・・・こんなことを言ってるくらいですから、算
数でテストをすれば常に0点。
また運動をさせても前転など全くできず、走らせれば常にビリ近くでした。
そんな私でしたが、カワイ体操教室というところで体を鍛え、また公文式で徹底
的に1桁の足し算の繰上げから練習をし・・・そんな経験を積み上げることで今の自
分を作ってきました。
半ば強制的なものだったので、毎日嫌で嫌で泣いていたのは事実です。
けれど、5+7みたいな簡単な問題ばかり(と言っても、おはじきを使いながら
一所懸命やっていた私には難問でしたが・・・)でも、その内容で初めて100点がと
れたときはほんとに嬉しかったです。
今思えば、その嬉しさをエネルギーに次の課題へと移っていきましたね。
(そんな私が今教鞭をとって数学を教えているのだから不思議なものです…)
今の子どもたちも同じだと思います。勉強が分かりたいと思って、いろいろやっ
てみることで勉強の力が出てくるのではないでしょうか。
だから今はやるしかない。「継続は力なり」―やり続けるからこそできるように
なるのです。
「やればできる」、このことは確かに子どもの潜在的な力を評価している言葉で
すが、その中身は「やるからこそできるようになる(できる能力が引き出され
る)」ということなのです。
逆に言えば「やらなければまったく力はついてこない」というわけです・・・。
ただこのようなことは誰しもわかっていることだと思います。
ところが実際はそれができないし、難しい・・・そこには勉強に対する欲がないこと
が原因があるんだと思います。
成績や進学に対する欲はあっても、自分を磨くという真の意味での勉強までは・・・
というのが実際のところでないでしょうか。
植物を考えてみると・・・美しい花を咲かせるまでに、目には見えない地下で根を広
げ、着実に水分・養分を吸い上げなければなりません。
すべて自分で求めなければ、水分・養分は獲得できないのです。
子どももそう、自分を成長させるのに、代わりに親や教師が食べて、子ども自身
の養分にするなんてことはできません。
自分を育てるには自分で食べる・・・それしか方法はないのです。
今の子どもたちが学ぶことの嬉しさを覚え、力を蓄積していく楽しさを知る中で、
自分を生かす道を求めてくれれば…そう願わずにはいられません。