己に課せられた洗脳を振り解け!
衝撃的なこの世の真実を書き記してみる。
知っている者にとっては、こんなの当たり前。別にどうと言うことも無い。
物心付いた頃からそう教育されている。
そういう人も居ると思うが
でも全く知らない人も居ると思うので書いてみよう。
この世は須らく人間牧場と化している。
殆どの民は為政者の家畜になりさがっている。
そして為政者に生殺与奪権を握られている。
為政者は民(家畜)をその気になれば簡単にできてしまう。
社会的に重要な地位にあるとか収入が人より多いとか
その様な物は実は些細な事柄なのである。
要は簡単にされてしまうか、そうでないか
実はこれが非常に大きな問題なのである。
大企業の社長さんや重役連、
はたまた大物政治家や官僚など
社会的に地位があり、稼ぎも多くて良い暮らしをしている・・・・・
様に見える。
が、その多くが為政者に生殺与奪権を握られているとしたらどうだろう?
いくら見た目が良くてもそれでは全うな人とは言えないのではないだろうか?
結局、生き死にを自分自身である程度自由に選択できない者は家畜であると言わざるを得ない。
何かに依存して生きているならば
足元の踏み台を外されれば奈落の底に転落してしまう。
その様な立ち位置にいる者は結局家畜と言わざるを得ないのではないか。
私が投資家になる決意をした理由はそこにある。
今から二十数年前、
ある会社に勤めていて
この会社で頂いている給料が無ければ私は一体どうなる?
”うっ!生活できね~!”
とはさすがにその頃は思っていなかったが
まあ、まだ若いから
失業しても何か仕事にあり付いて生活はできるだろうとは思っていたが
何かに依存するという危うい体制に一抹の不安を覚えたのも事実であった。
人間、必ず年を取る。
年を取れば取るほど仕事に就くのは難しくなる。
この先、10年後、20年後、30年後・・・・
どうなるのだ?
このまま、何かに依存する体制でいいのか?
そこで色々精神的に葛藤があり、その先の人生の送り方を模索していた時に
ある本に出会った。
伝説の投資家
遠藤四郎・著
株でゼロから30億円稼いだ私の投資法
という本。
これが、私の株式投資の原点である。
この本にインスパイアされて株を始める事ができた。
株無しでは今の私の人生はあり得ない。
株式投資という物に触れる事が無かったのなら
私は今現在生存していないのではないかと思えるぐらい。
まあ、彼の投資方は賛否両論あるのは存じている。
バブルの前と後では状況が全然異なる。
が、しかし株式投資という物は気持ち(精神)が占める割合が大きい。
氏の考え方や行動の仕方には大いに参考になる点があると思う。
氏の出身は私が暮らす隣の県の旧浪江町という所。
私はバイクが趣味で色々な所をツーリングしてきた。
その旧浪江町という所は山紫水明の地であり
山あり川あり海あり渓谷あり
オートバイで走り回るには非常に気持ちの良い所であった。
氏の本に触れる前から休日には度々その地を訪れていた。
氏の本に触れた時、あっ、あの浪江の人なんだなあと、とても感慨深い思いに駆られたのであった。
話を戻すが
何かに経済的に依存しない生き方、
株式で継続的に利益を上げて暮らす生き方。
これが正に生殺与奪権を握られている家畜からの離脱法ではないかと思う。
今の世の中
”空気”が世の中を支配している。
”空気”とは自然に出来る物ではない。
”空気”とは為政者が計画的に、緻密に計算して作りだしている物なのだ。
その”空気”を振り撒く為政者の犬が秘かに存在する。
しかし普通の民はその事に気づかされていない。
その様な、番犬、走狗的な人間が実は回りにうようよ居るのだ。
民(家畜)を思い通りに動かすために”空気”を人為的に作り出して民(家畜)をコントロールして世界を我が物とする。
コントロールされている民は
従順に言う事を聞いてさえいれば大丈夫!
と思わされているが
事実は残念ながら異なる。
利用価値の無い者、規格に合わない者は間も無くされてしまう。
家畜は餌を与えられなければ生きてはいけない。
あと様々な薬物散布、たとえば
ある常用薬と、ある薬剤散布の組合せで
脳梗塞や脳卒中、心筋梗塞などを発症させる。etc,etc。
今の科学を悪用すれば人など知らず知らずの間に始末するのはいとも簡単である。
というか可能である。
誰か知り合いで急に倒れて死んでしまった。
死因は心不全だったとか、そういう場合は疑ってかかる必要がある。
家畜の末路は悲惨である。
一番たちが悪いのは、
本当は家畜の立場に置かれているのに そうとは思わされていない。洗脳されて頭の中は”自分は誇り高き全うな人間なのだ。”と思わされているのだ。
悲惨で惨めな境遇なのに自ら家畜の立場を喜んで受け入れている。
一つ例を上げよう。
大昔、TVで見たのだが
日本の、遠洋漁業の船の上での出来事。
その漁船には日本人とブラジル人のグループがあり
ブラジル人のグループは時間が来るときっちり休憩する。
それと対象的に日本人のグループは漁が忙しい時には休憩など取らずに
必死で働く。
一方、漁が掻き入れ時にも関わらずブラジル人のグループは
労働協約がある。きっちり時間が来たら休憩させてもらう。
と言って働かない。
その姿を見ていた日本人船員は
日本人はねー、ブラジル人と違って働き者なんだよ。
忙しい時は休憩なんて言ってられない。
日本人は皆、一致団結して一生懸命働くんだよ。
と誇らしげに語っていた。
多分、日本人の殆どがその船員の様に考えるだろう。
しかし、待て!!!
労働者には労働協約があり、労働者の身分はそれで守られているはずなのだ。
その事をきっちり主張して休憩をとるブラジル人は本当に怠け者なのであろうか?
私はいい年になって。こう考える様になった。
いや、日本人は働け!働け!労働は美徳である。
サービス残業当たり前。死ぬまで働け!
この様な洗脳を子供の頃から受けているのではないかと。
子供の頃から家畜の根性を叩き込まれている。
日本人の多くはその事に気づかされて居ない。
洗脳とはかくも恐ろしいものである。
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