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ある、独善的思考な男のブログ!

研究!実験!改造!検証!
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勝てば官軍!負ければ賊軍!
勝って兜の緒を締めよ!

極意其の五

2015年01月17日 18時00分28秒 | 常勝!闇太郎の株の極意!
借金で株を買ってはいけない。


もちろん信用取引もNG
株はいつ利食い出きるか分からない。
どれぐらい利益が出るかも分からない。
借金には返済の期日があり金利も発生するので
借金して株を買う行為は命取りになりかねない。
普通の人は余剰資金で現物投資するのが鉄則である。
意に反して株価が大きく下げても(市場全体が下がっている場合)
余剰資金で現物投資をしていればそれ程心配する必要は無い。
逆に私はその様な状況を常に待っているのだ。
買いは基本的には逆張りしかやらない。
市場全体が大きく下げているならば下げるにつれて
ポジションを増やして行く。
株価が下がれば、当たり前だが安く買える。
安くなるにつれて買い増して行けば
平均の買付単価を下げる事が出来る。
この平均の買付単価が下がれば下がる程
勝つ確立は高くなる。


普通に何か買い物する時は
同じ物なら安い方がいいだろ。
株を買う時もそんな感覚でいいと思う。

極意其の四

2015年01月14日 11時18分45秒 | 常勝!闇太郎の株の極意!
徹底的に勝ちにこだわる。


長い事株式投資をやっていると心がとても疲れて来る。
精神が少しづつ疲弊してくるのである。
一寸先は闇又闇の世界。
そんな世界でこの先利益を上げ続ける事ができるのだろうか?
とだんだん疑心暗鬼に捕らわれてくる。

それで精神の疲弊、モチベーションの低下を避けるために考え付いたのが
とにかく利益を上げ続けると言う事。

儲けの量より徹底的に勝ちに拘る姿勢を保ちつづける。
この前も、そのまた前も(僅かな額でも)勝っているのだから
次も勝てるだろうと思えてくる。
僅かな額でも利食いし続けていれば、まだ先がある。明日があると思えてくるものなのだ。
これが逆に損切りが続くとボディーブローの様に効いてきて
「ああ!神様!許して下さい。もう駄目!」
そんな感じで精神がスタボロになってしまいますよ。

例えば一勝九敗でも一勝が大きければ
その後小さく九敗しても収支をプラスにはできるだろう。
それでいいや!という人も居るだろうが
私にはとてもじゃないけど無理な話。
それでは到底精神が持たないのだ。

私のブログの題名が常勝になっているのは
精神の疲弊、モチベーションの低下を抑えるために
儲けの量より、とにかく勝ちに拘る投資法を行っているという意味である。

私の人生の最大の目標は長生きする事。
実は長寿でギネスブックを書き換えるのを究極の目標としている。
そうすると、あと最低でも60年以上生き続けなければならない。
生きているうちは株を続けて行こうと思っているので
60年以上に渡りモチベーションを維持し続けなければならない。
そうしようとするならば、常勝はかかせないのである。






それから、金融資産が一定量に達しないと
(一定量というのは、この先自分の人生で生活して行く上で必要な最低限のお金の量)
株専業で生計を立てて行くのはとても難しいと思う。
まあ、途轍もなく心が疲れまっせ!間違い無く。
最初のうちは、ある程度仕事をやりながら、僅かでも他から収入を得ながら
株で地道に利益を上げて行くのをお勧めしておく。


極意其の参

2015年01月12日 15時44分39秒 | 常勝!闇太郎の株の極意!
博打はご法度



銀ちゃん大好き!
でも、見習う所は何も無し。

是川銀蔵
相場師一代

この本は読み物としては大変面白いと思う。
これは波乱万丈の筆者の人生を綴った一大冒険物語である。

しかし投資家にとっては反面教師としての意味合いしかない。
筆者は最後には脱税がばれて追徴を受けて全てを失う。
だから税金はきっちり納めろよ!と言ってやりたい。


投資と博打は違う。
まあ、株で博打を打つ事も勿論可能ではあるが。

長期に渡って株で利益を出したいと思うなら
一か八かの博打を打つのは御法度!である。
常にリスクをヘッジしながら用心深く淡々と取引を行う。
投資とは以外に退屈な物である。
スリル満点の博打はさぞ楽しいのではないかと思う事もあるが
賢明なる投資家には、何度も言うが博打は御法度である。

私は株式投資を始めてから一切の博打は止めた。
パチンコ、競馬競輪、はたまた宝くじを買うという行為。
上記の博打のたぐいで長期的に観て収支をプラスにするのは不可能である。
そんな、アフォな物より着実に収益が上がる株式投資の方がいいのは言うまでもない。

最後に一言。
歴史的に観てギャンブラーは最後には非業の死を遂げるのが通例なのである。

極意其の弐

2015年01月10日 08時58分50秒 | 常勝!闇太郎の株の極意!
己に課せられた洗脳を振り解け!

衝撃的なこの世の真実を書き記してみる。
知っている者にとっては、こんなの当たり前。別にどうと言うことも無い。
物心付いた頃からそう教育されている。
そういう人も居ると思うが
でも全く知らない人も居ると思うので書いてみよう。

この世は須らく人間牧場と化している。
殆どの民は為政者の家畜になりさがっている。
そして為政者に生殺与奪権を握られている。
為政者は民(家畜)をその気になれば簡単にできてしまう。
社会的に重要な地位にあるとか収入が人より多いとか
その様な物は実は些細な事柄なのである。
要は簡単にされてしまうか、そうでないか
実はこれが非常に大きな問題なのである。

大企業の社長さんや重役連、
はたまた大物政治家や官僚など
社会的に地位があり、稼ぎも多くて良い暮らしをしている・・・・・
様に見える。
が、その多くが為政者に生殺与奪権を握られているとしたらどうだろう?
いくら見た目が良くてもそれでは全うな人とは言えないのではないだろうか?
結局、生き死にを自分自身である程度自由に選択できない者は家畜であると言わざるを得ない。
何かに依存して生きているならば
足元の踏み台を外されれば奈落の底に転落してしまう。
その様な立ち位置にいる者は結局家畜と言わざるを得ないのではないか。



私が投資家になる決意をした理由はそこにある。
今から二十数年前、
ある会社に勤めていて
この会社で頂いている給料が無ければ私は一体どうなる?
”うっ!生活できね~!”
とはさすがにその頃は思っていなかったが
まあ、まだ若いから
失業しても何か仕事にあり付いて生活はできるだろうとは思っていたが
何かに依存するという危うい体制に一抹の不安を覚えたのも事実であった。

人間、必ず年を取る。
年を取れば取るほど仕事に就くのは難しくなる。
この先、10年後、20年後、30年後・・・・
どうなるのだ?
このまま、何かに依存する体制でいいのか?
そこで色々精神的に葛藤があり、その先の人生の送り方を模索していた時に
ある本に出会った。

伝説の投資家
遠藤四郎・著
株でゼロから30億円稼いだ私の投資法
という本。


これが、私の株式投資の原点である。
この本にインスパイアされて株を始める事ができた。
株無しでは今の私の人生はあり得ない。
株式投資という物に触れる事が無かったのなら
私は今現在生存していないのではないかと思えるぐらい。
まあ、彼の投資方は賛否両論あるのは存じている。
バブルの前と後では状況が全然異なる。
が、しかし株式投資という物は気持ち(精神)が占める割合が大きい。
氏の考え方や行動の仕方には大いに参考になる点があると思う。

氏の出身は私が暮らす隣の県の旧浪江町という所。
私はバイクが趣味で色々な所をツーリングしてきた。
その旧浪江町という所は山紫水明の地であり
山あり川あり海あり渓谷あり
オートバイで走り回るには非常に気持ちの良い所であった。
氏の本に触れる前から休日には度々その地を訪れていた。
氏の本に触れた時、あっ、あの浪江の人なんだなあと、とても感慨深い思いに駆られたのであった。


話を戻すが
何かに経済的に依存しない生き方、
株式で継続的に利益を上げて暮らす生き方。
これが正に生殺与奪権を握られている家畜からの離脱法ではないかと思う。

今の世の中
”空気”が世の中を支配している。
”空気”とは自然に出来る物ではない。
”空気”とは為政者が計画的に、緻密に計算して作りだしている物なのだ。
その”空気”を振り撒く為政者の犬が秘かに存在する。
しかし普通の民はその事に気づかされていない。
その様な、番犬、走狗的な人間が実は回りにうようよ居るのだ。

民(家畜)を思い通りに動かすために”空気”を人為的に作り出して民(家畜)をコントロールして世界を我が物とする。
コントロールされている民は
従順に言う事を聞いてさえいれば大丈夫!
と思わされているが
事実は残念ながら異なる。
利用価値の無い者、規格に合わない者は間も無くされてしまう。

家畜は餌を与えられなければ生きてはいけない。
あと様々な薬物散布、たとえば
ある常用薬と、ある薬剤散布の組合せで
脳梗塞や脳卒中、心筋梗塞などを発症させる。etc,etc。
今の科学を悪用すれば人など知らず知らずの間に始末するのはいとも簡単である。
というか可能である。

誰か知り合いで急に倒れて死んでしまった。
死因は心不全だったとか、そういう場合は疑ってかかる必要がある。


家畜の末路は悲惨である。
一番たちが悪いのは、
本当は家畜の立場に置かれているのに そうとは思わされていない。洗脳されて頭の中は”自分は誇り高き全うな人間なのだ。”と思わされているのだ。
悲惨で惨めな境遇なのに自ら家畜の立場を喜んで受け入れている。

一つ例を上げよう。
大昔、TVで見たのだが
日本の、遠洋漁業の船の上での出来事。
その漁船には日本人とブラジル人のグループがあり
ブラジル人のグループは時間が来るときっちり休憩する。
それと対象的に日本人のグループは漁が忙しい時には休憩など取らずに
必死で働く。
一方、漁が掻き入れ時にも関わらずブラジル人のグループは
労働協約がある。きっちり時間が来たら休憩させてもらう。
と言って働かない。

その姿を見ていた日本人船員は
日本人はねー、ブラジル人と違って働き者なんだよ。
忙しい時は休憩なんて言ってられない。
日本人は皆、一致団結して一生懸命働くんだよ。
と誇らしげに語っていた。

多分、日本人の殆どがその船員の様に考えるだろう。
しかし、待て!!!
労働者には労働協約があり、労働者の身分はそれで守られているはずなのだ。
その事をきっちり主張して休憩をとるブラジル人は本当に怠け者なのであろうか?

私はいい年になって。こう考える様になった。
いや、日本人は働け!働け!労働は美徳である。
サービス残業当たり前。死ぬまで働け!
この様な洗脳を子供の頃から受けているのではないかと。
子供の頃から家畜の根性を叩き込まれている。
日本人の多くはその事に気づかされて居ない。
洗脳とはかくも恐ろしいものである。

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極意其の壱

2015年01月09日 09時28分40秒 | 常勝!闇太郎の株の極意!
銭は稼ぐだけで使わない!
何の事はない。これが最強だ!




釣った魚にゃ餌はやらね~!
釣った魚にゃ餌は自己調達させる。
まあ、これは関係ない話だが私は常々この様に考えている。


ロバート・キヨサキ氏の
金持ち父さん・貧乏父さん
という本を暇つぶしに買って読んでみたら正にこの様な考え方が書かれていて驚いた。

「銭は稼ぐだけで使わない!何の事はない。これが最強だ!」
表現方法は大分違うが
私が言いたいのは正にその本の中に書かれている内容と一緒である。

投資家にとって銭は力である。
銭を使うという事は
その分力を無くす
と言う事である。

使えば使う程
己の力が無くなって行くのだ。

逆に僅かな額でも銭を増やせれば
己の力を増強した事になる。

株で得た物はまた株に返す。
そうやって銭を増やす努力をしよう。

少しばかり利益が出たからといって
キャバクラで豪遊。
この様な人は投資家には向いていないと思う。
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