今日は、私の愛読してるメルマガから一部抜粋です。
以下どうぞ!
「aloneness」(アローンネス)って言葉をご存知ですか?
“独りぼっち”ってことですよね。
それを寂しがったら、「loneliness」(一人ぼっち、孤独、寂しさ)になる。
“独りぼっち”と“一人ぼっち”じゃ、なにも違わんじゃんってことですが、
むろん、実体においては何も違いません。^^;
ただ……、「loneliness」(ロンリネス)には、どこか「一人ぼっち」でいる
ことに不満を見て、その不満に自己同化した感じがありますよね。
だから、「loneliness」の訳語は、「一人ぼっち」「孤独」「寂しさ」という
感じになって、どこか不満なような、何かが足りないようなニュアンスを表現
するわけです。
「aloneness」(アローンネス)って言葉も、「ひとりぼっち」の状態を表現す
る英語の単語です。
ただ、こっちはなんかエラそう。(*^_^*)
この「aloneness」がエラそうなのは、ただ自分が「ひとりぼっち」である事実
を受け容れて、それに満足しているから……というだけです。
たんなる自己評価の違いです。
だから、その“エラそう感”を表すために、「aloneness」の訳語は、ちょっと
字を変えて「独りぼっち」とか、ちょっと気取って「独り在ること」とか、少
しつづめて「独存」とかやるわけです。
「loneliness」(ロンリネス) :「一人ぼっち」「孤独」「寂しさ」
「aloneness」(アローンネス):「独り在ること」「独存」
ね、同じ事実でも、なんか違うでしょ。^^;
「一人ぼっち」「孤独」「寂しさ」は、なんか物欲しげです。
「独り在ること」「独存」は、なんかエラそうです。
というか、「独り」しかいないんだから、比較を絶しているわけですよね。
「不幸」というのも、比較する「幸福」があってこそです。
自分が「幸福」なのか「不幸」なのかを、自分の一存で決めなければならない
となったら、どうします?
自分の一存で決めなければならない人は、それこそ「孤独」ですよね。
でも、リアルな現実として、実情は、事実そうなんだと思います。
自分が「幸福」なのか「不幸」なのか、他の誰かに決めてもらえる、というも
のではないだろうと思います。
実際、他の人に決めてもらっても、満足できないでしょうし。
自分が「幸福」か「不幸」かを決めるのは、自分しかいない。
その意味では、「孤独」なもんだと思います。
でも、なんで「孤独」なんでしょう? (?_?)
自分の幸不幸を決定する全権は自分にあるわけです。
別に寂しがる必要もないわけですよね。
自分が全権を持っているわけですから。
それとも、自分の幸不幸を、“他人”の多数決で決めようというわけでしょう
か?
どうも、このあたりに何かがあるみたいなんですよね。
実際、われわれ、「幸福」とか「不幸」とかいうものに、なにか客観的な基準
があると思っているのかもしれません。
「幸福」とか「不幸」に何か客観的な基準があるのなら、その基準を満たさな
ければ「幸福」にはなれないわけですから、自分には全権はありません。
それで、自分の「幸福」について、多数決の世界に逃げられるわけです。
ある意味でとても楽なようでもあります。(^_^)v
でも、いったん、全権を手放すと、それを取り戻すのはなかなか大変なようで
もあります。(>_<)
だって、全権が自分の手中にあるかどうかを決められるのは、自分しかいない
わけですから。
「あなたが(その全権を持っている)至高の存在なのだ」
と言ってくれる方が、グルというわけなんでしょうね。
そして、あなたに代わってそれをやってくれる者はいない、というのが
「aloneness」(アローンネス):「独存」
ということなんだと思います。以上!
ここでは、「aloneness」がエラそうと書いてありましたが
偉そうではなく、一人でいる事が好きな「自己満足」って感じでとらえたいと思いました。
いつも、自分がそうだから。
一人が好きな寂しがり屋なんですよね。
団体行動苦手、強制的に型にはめられるののもダメ
誰とでも仲良くしましょうなんてウソ
あー、今日は、何書いてんだろ。
でも、本音だよん。
以下どうぞ!
「aloneness」(アローンネス)って言葉をご存知ですか?
“独りぼっち”ってことですよね。
それを寂しがったら、「loneliness」(一人ぼっち、孤独、寂しさ)になる。
“独りぼっち”と“一人ぼっち”じゃ、なにも違わんじゃんってことですが、
むろん、実体においては何も違いません。^^;
ただ……、「loneliness」(ロンリネス)には、どこか「一人ぼっち」でいる
ことに不満を見て、その不満に自己同化した感じがありますよね。
だから、「loneliness」の訳語は、「一人ぼっち」「孤独」「寂しさ」という
感じになって、どこか不満なような、何かが足りないようなニュアンスを表現
するわけです。
「aloneness」(アローンネス)って言葉も、「ひとりぼっち」の状態を表現す
る英語の単語です。
ただ、こっちはなんかエラそう。(*^_^*)
この「aloneness」がエラそうなのは、ただ自分が「ひとりぼっち」である事実
を受け容れて、それに満足しているから……というだけです。
たんなる自己評価の違いです。
だから、その“エラそう感”を表すために、「aloneness」の訳語は、ちょっと
字を変えて「独りぼっち」とか、ちょっと気取って「独り在ること」とか、少
しつづめて「独存」とかやるわけです。
「loneliness」(ロンリネス) :「一人ぼっち」「孤独」「寂しさ」
「aloneness」(アローンネス):「独り在ること」「独存」
ね、同じ事実でも、なんか違うでしょ。^^;
「一人ぼっち」「孤独」「寂しさ」は、なんか物欲しげです。
「独り在ること」「独存」は、なんかエラそうです。
というか、「独り」しかいないんだから、比較を絶しているわけですよね。
「不幸」というのも、比較する「幸福」があってこそです。
自分が「幸福」なのか「不幸」なのかを、自分の一存で決めなければならない
となったら、どうします?
自分の一存で決めなければならない人は、それこそ「孤独」ですよね。
でも、リアルな現実として、実情は、事実そうなんだと思います。
自分が「幸福」なのか「不幸」なのか、他の誰かに決めてもらえる、というも
のではないだろうと思います。
実際、他の人に決めてもらっても、満足できないでしょうし。
自分が「幸福」か「不幸」かを決めるのは、自分しかいない。
その意味では、「孤独」なもんだと思います。
でも、なんで「孤独」なんでしょう? (?_?)
自分の幸不幸を決定する全権は自分にあるわけです。
別に寂しがる必要もないわけですよね。
自分が全権を持っているわけですから。
それとも、自分の幸不幸を、“他人”の多数決で決めようというわけでしょう
か?
どうも、このあたりに何かがあるみたいなんですよね。
実際、われわれ、「幸福」とか「不幸」とかいうものに、なにか客観的な基準
があると思っているのかもしれません。
「幸福」とか「不幸」に何か客観的な基準があるのなら、その基準を満たさな
ければ「幸福」にはなれないわけですから、自分には全権はありません。
それで、自分の「幸福」について、多数決の世界に逃げられるわけです。
ある意味でとても楽なようでもあります。(^_^)v
でも、いったん、全権を手放すと、それを取り戻すのはなかなか大変なようで
もあります。(>_<)
だって、全権が自分の手中にあるかどうかを決められるのは、自分しかいない
わけですから。
「あなたが(その全権を持っている)至高の存在なのだ」
と言ってくれる方が、グルというわけなんでしょうね。
そして、あなたに代わってそれをやってくれる者はいない、というのが
「aloneness」(アローンネス):「独存」
ということなんだと思います。以上!
ここでは、「aloneness」がエラそうと書いてありましたが
偉そうではなく、一人でいる事が好きな「自己満足」って感じでとらえたいと思いました。
いつも、自分がそうだから。
一人が好きな寂しがり屋なんですよね。
団体行動苦手、強制的に型にはめられるののもダメ
誰とでも仲良くしましょうなんてウソ
あー、今日は、何書いてんだろ。
でも、本音だよん。