80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

迷いの辻で ・・・

2017年01月23日 18時59分38秒 | 考える
人間は、先の見えない人生 (時間) を放浪する「旅人」
のようなものだ。
  

人それぞれ、
いろんな形、
いろんな考え、
いろんなスタイルがあっていいと思う。

様々な旅人が、たまたま出逢い、たまたま向かっていた
方角が一緒だった。
 

気が合ったからといって、相手の目的地まで一緒に付き
合って、ぞろぞろついていく必要なんぞは全くない。
 

人の生き方・・・。
人の表現、
人の書き方、
人の話し方、
そして伝え方。

人は、それぞれ自分に合った「独自のスタイル」をこし
らえてきた。

が、たとえ、たまたま似ていたとしても、ただそれだけの事。
「どこか似ている。」…と、それ以上の何ものでもない。
 

人ひとり、オロオロと生きていく。
でなければ、したたかに、
あるいは、人目を気にせず、堂々と生きていく。
などと、様々なスタイルがあっていい。

ならば、私の生き方はどうだったのか・・・? 

考えるまでもない。
一目瞭然だ。

どだい、私は、未だに、確たる自分の生き方が、ほとんど
決まっていない。


今だって、「辻」の手前で、これからどちらに向かうのか
を決めかねている。
  

外から見た目はともかく、私自身は、そう感じ、そう思い
込んでいる。
向かう先を、一方向に決定するのは、案外難しい。
しかし、いずれにせよ、行き先を決めねば、先へ進めない。


いつも、いつまでも、ウジウジとうつむいて、誰かに救い
を求めて、上目遣いでキョロキョロとしながら、迷い続け
ている私だ。
 

思いを考える。

2017年01月22日 21時58分32秒 | 考える
あの 「転倒」 時の、胸の痛みが、まだ取れない。
ひょっとして、これ、本当は、 「千度目の恋」 なのだろうか? ・・・などと。

1月20日(金) よく晴れているが・・・、ひどく寒い!!
まぁ、ゆっくり気負わず、慌てずに・・・。


両棲類ならぬ両性類、両性人間。 ・・・人類の衰退、滅亡を救う。
両性を持って生まれて、年頃になると、一方の性を選択
・・・その選択された性が優勢になる。
 ・・・などという設定はどうだろう?

当方が、どれほど、またどんな想いをかけようとも、
相手が、そのことに気づかねば、単なる独りよがりの域を出ない。
片思いの恋。
それによって、二人の関係は、何一つ変わる事がない。


言葉にしてからが、その意図するところを、相手が理解できなければ、
何の意味も持ち得ない。
単なる雑音と変わらない。


思考→行動→変化
見る→意識する→意図の理解→行動→反応
 (以前、どこかに書いたかもしれない。)

どんなに人に、たとえ専門家にうまいと言われた料理でも、実際自分が
味わってみなければ、その 「うまさ」 なぞが判るはずがない。
どんなに、うまそうに見えても、飾ってあるだけでは何の意味もない。


同様に、いかに名文であっても、読者あってのもの。
読まれない名文に、何の意味があるだろうか?


たった一文、たった一語が、人を劇的に変えてしまう事もある。

文字情報ばかりではない。
一枚の絵画、写真を見て、何かを感じる。
ひらめきを得る。

コミックスのキャラクターの発言、動作、仕草・・・。
情報は、至る所、ありとあらゆるものに存在している。


それを見つけ出し、受け取っていくために必要なものは、
ちょっとばかりの知識、あるいは感性だろう。

「障害者」について思うこと

2017年01月21日 16時27分01秒 | 考える
バスの定期券購入の際、 「障害者手帳」 の提出を求められた。 

「障害者手帳」 ・・・か、
普段は気にならないが、私には、常に 「障害者」 がついてまわっている。
事実、障害者である以上、それは当然の事ではあるのだが・・・。

普段、気にしていないだけ、いきなり 「手帳」 を見せろなどと言われると
ドキッとして、 「あぁ、私は障害者なのだ」「自覚」 させられる。

むろん、実際、恩恵を受ける身としては、それが当然、やむを得ない事な
のではあるのだが。
 

私は、自分が 「障害者」 であるということにこだわりがある。

「障害者」 と呼ばれる事と、「障害者」 である事とは、微妙な違いがある
と考えている。


無論、嫌も応もなく、確かに、私は今後、一生 「障害者」 だ。

が、よくよく考えてみれば、老いてなお、全く障害のない人間なぞ、一体
この世に存在するのだろうか?


良い悪いではなく、現実問題として、言ってしまえば、自分を含めて、
老人とは、ある意味、全員、 「障害者」 だとも言えるのではないか。


だから障害者はダメだ、老人は駄目だという事では、毛頭ない。
そんなことを言うはずもない!!
 

むしろ全く逆、老人であれ、障害者であれ、やる場所とやる事さえあれば
若者や、また健常者と何ら変わる事なく働いていく事ができる。


それを踏まえ、改めて 「介護する方法」 を学んでみたい。 
そう思った。

それは同時に、「介護される方法」 を学ぶ事でもある。
自分自身を手本とする事で、一層理解が深まるのではないか。
と、これは、半妄想的な期待 (・・・何のことか?) だ。

つまり、 「介護」 を学習し、その成果を確認、整理していく。
それで 「介護」 について、自分の理解を深めていく事が出来ると
同時に、周囲にも 「介護の理念」 を拡げていく事になるのじゃあ
ないだろうか?


今後、多かれ少なかれ、 「介護」 について考えていく事は、実際に
介護を行う行わないに関わらず必要になってくる。


話が飛んで申し訳ないが、いずれにせよ、何かを成そうとするには、
その分、何かを犠牲にしなければならない。


そんな気がしている。 

人が、何かをやろうと決めた時、あるいは、やった場合に、
良いか悪いかは置くとして、実際に、自らの期待した成果、あるいは
効果を充分に出せる、出せたと感じる事は、ほとんどないのではない
かと思う。


人間というものは、自らの出した結果には、そうそう簡単に満足しない、
意外に、贅沢な存在なのだろう。
 

寒かった? ・・・私の青春

2017年01月20日 11時50分56秒 | 考える
2017/1/20 (金) 曇り

朝、すでに 8 時になろうとしているのに、ひどく寒い!!
いや、まぁ、冬も盛りなんだから、それは仕方のないことなのかもしれない。

何だか、ここ何年、暖冬とか言って、それほど寒くない冬が続いたせいか、
冬は寒いという 「季節感」 が薄れてきていたような気がする。

それにしても曇っているためだろうか、いつもと比べ、今日はやたらと寒い。
なぜか、気持ちまで、落ち込んでくるようだ。


カレンダーにチェックを入れていて気が付いた。
カレンダーによれば、今日は 「大寒」 しかも、 「仏滅」 だとか。 

どうりで・・・?!

ポストチェックのついでに、ぶらぶらと一回りしてくるつもりだったが、
あまりに寒いので中止。

肩を丸め、大急ぎで、部屋に退散。
 

ふと思う。
駅と、その周辺を、毎日清掃してくれている奥さんたち、
こんな日でも、皆さん、しっかり働いているのだろうなと、尊敬、
それとちょっぴりうらやましく思う。 
出来れば、私も、あの仲間に入れたらなぁと、いつも考えている。


仲間・・・か、

これまでの人生、振り返ってみれば、人と人との深いつながり・・・、
一晩中、仲間と、夢中になって議論を交わす、語り合う、そういった
経験が全くない。
思えば、そういった経験こそが 「青春」 の証なのではないか。
 

私の 「失われた青春」 の真の意味とはそこにあったのではないか?
と、そんなことを考えた。
 

青春時代がぁ~♪
夢なぁんてぇ~♪
後から、ほのぼのぉ~思うものぉ~♪
青春時代のぉ~真ん中はぁ~♪
道に迷ぉってぇいるばぁ~かぁ~りぃ~♪
  
(森田公一とトップギャラン)
http://www.uta-net.com/song/2781/



仲間と語り合うことも絶えてなく、
・・・今頃になり、ふと、その重みに気付く。
 

仲間との軽い雑談、その積み重ねが人間同士のコミュニケーション、
ひいては、他人との関わり合い、結びつきの土台となっていく。
それこそが、本当の意味での社会を作り上げていくものではないだろうか。

自分を表現していくことが、結果として、自分を社会の構成員としていく。
逆に言えば、そのこと無くして、社会に関わっていくことは出来ないのでは。


そんな事を思った。 

「人は、何のために、それをしようと思うのか?」

2017年01月18日 18時00分43秒 | 考える
人は、最初は何も出来ない。
いろいろ経験し、学んでいく事で、だんだんと成長していく。
 

人生の目的だの、生きる意味だの、しち面倒な事は置いておいて、
書きたい事を書く。

生きたいように生きる。 

最初は、それでいいのじゃあないか。

食事・・・。  
いろいろ、私なりに頭をひねって準備しても、まるっきり反応なし。
これでは、実際、やり甲斐も何もあったものじゃない。

いやいや、別に取り立てて、礼など言われたくもないが、せめて
肝腎の飯が、うまいか (・・・んなはずもないか!!)、まずいか、
あるいは、せめて何が好きなのか、嫌いなのか?
でなければ、どうすればいいのか?
それぐらいは、はっきりさせてほしい。 

でないと、今後も、同じ事の繰り返しになるばかりだ。 

私は、相手が全く食わぬ、食いたくもないような飯を、せっせと作り
続けていくほど、意地悪でも、金持ちでもない。

人が何かを続けて行くには、その理由、少なくとも、自分の行為が、
どこかで誰かの役に立っているという思い、ある意味モチベーション
を保っていく必要があると思う。


人間関係ってのは、もともとそういったものではなかったか。 
自分たちに限った事じゃあない。
どのみち人間関係、所詮は、お互い、別の人格、他人でしかない。
そうそう何でもかでも、うまくいくはずがない。


そうは言ってみても、人とは、少なくとも、自分の行為、行動に、
常に、「何らかの反応」を求めて行動している。

人が何かを続けていこうとする場合、
「何のために、それをしようと思うのか?」
との理由、言い換えれば 「モチベーション」 が必要になってくる。

それがあってこそ、人は、本当に意味のある行動を続け、ひいては
それが、結果に結びついてくるのではないだろうか。