80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

地震に思う

2019年06月24日 19時06分47秒 | 考える
やる事が見つからない。
と言うより、やる気が全く起こらない。

今日、2019年6月24日(月) 朝、取りあえず雨。
あと一ヶ月丁度、7月24日(水)で、73歳になる。

俺、70代。
で、今後、何が出来るのだろうか?
この所、そんな事ばかり考えている。

と言って、いくら気にしてみたところで、自分が
何かやろうとしなければ、どうなるものでもない。

人間は、時間が経てば、否も応もなく年を食う。
それは分かっている。
いるのだが、それも関わらず、何の手立てもない、
打とうとしない、そんな自分が歯がゆくてならない。

しかし、よくよく考えてみれば、それらは、結局は、
俺自身のものぐさ、気力の無さに帰結するのだ。

社会に参加している。
自己の存在感の再確認。
行動・・・。

生きいるという実感が欲しい。

俺も、やがては75歳。

しかし、未だに先が見えてこない。
と、言うより、見たくないというのが本音だ。

忘れはしても、永遠に消える事のない時間。

9時過ぎに、ちょっと大きな地震。
いきなり、グラグラッときた。
急いでドアを開ける。
揺れはすぐに収まったものの、何とも物騒な事だ。

この所、日本のあちこちで地震が起きている。
本格的な地震が起きたら、ドアを開けたところで、
5階の部屋から外に上手く逃げ出せるかは疑問だ。

75年間生きてこれたのだから、さしてこの世に未練も
ないか、などと思ってもみるが、やはりまだまだやり
残した事が多い気もする。
今後、25年でやり残しをかたづける事が出来るのか?

それが今後の課題だ。

地震にかこつけて、そんな事を考えた。


母の命日

2019年06月10日 13時48分02秒 | 70
昨日、2019年6月9日、日曜日 雨
母の命日、3回忌だ。


この雨は、涙雨か。
2年前、散骨した海で母は居場所を見つけたろうか?
それとも、まだどこかの海で私が行くのを待っているのだろうか?
ふと、そんな事を考えた。

6月10日(月)、今日も雨だ。
気だるい。

我一人 行く当てもなし 365連休。

酒とタバコに明け暮れる。
この所、読書も出来ず。
町 (代わり映えのしない) をぶらつく。

私は、今、惰性で生きているようなものだ。
お前は、本当に、心から何かを信じているのか?
信じられるものがあるのか?

一体、何を待っているのか?
ここまで老いて、これから、なお生きていくための目標とは?
身近に指導者がいて欲しいというのは、贅沢なのだろうか?

が、よくよく考えてみれば、料金はともかく、その気になれば、
いつでも、どこへでも、出掛けていけるのだ。


人には誰にも過去がある。
そして過去は消せない。
もっと言えば、過去は消そうにも消えない。


と、なれば、意識するにせよ、しないにせよ、消えない過去を
踏み台にして、現在、そして未来を構築していくしかない。 ()

所詮、人間同士とは、行き着くところ、お互い他人同士なのだ。
最後に頼るべきものは、一人、自分自身でしかない。
その為には、少しでも自分を高めていく必要があるだろう。

母さん、もう少し待っていて欲しい。