80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

「人は、何のために、それをしようと思うのか?」

2017年01月18日 18時00分43秒 | 考える
人は、最初は何も出来ない。
いろいろ経験し、学んでいく事で、だんだんと成長していく。
 

人生の目的だの、生きる意味だの、しち面倒な事は置いておいて、
書きたい事を書く。

生きたいように生きる。 

最初は、それでいいのじゃあないか。

食事・・・。  
いろいろ、私なりに頭をひねって準備しても、まるっきり反応なし。
これでは、実際、やり甲斐も何もあったものじゃない。

いやいや、別に取り立てて、礼など言われたくもないが、せめて
肝腎の飯が、うまいか (・・・んなはずもないか!!)、まずいか、
あるいは、せめて何が好きなのか、嫌いなのか?
でなければ、どうすればいいのか?
それぐらいは、はっきりさせてほしい。 

でないと、今後も、同じ事の繰り返しになるばかりだ。 

私は、相手が全く食わぬ、食いたくもないような飯を、せっせと作り
続けていくほど、意地悪でも、金持ちでもない。

人が何かを続けて行くには、その理由、少なくとも、自分の行為が、
どこかで誰かの役に立っているという思い、ある意味モチベーション
を保っていく必要があると思う。


人間関係ってのは、もともとそういったものではなかったか。 
自分たちに限った事じゃあない。
どのみち人間関係、所詮は、お互い、別の人格、他人でしかない。
そうそう何でもかでも、うまくいくはずがない。


そうは言ってみても、人とは、少なくとも、自分の行為、行動に、
常に、「何らかの反応」を求めて行動している。

人が何かを続けていこうとする場合、
「何のために、それをしようと思うのか?」
との理由、言い換えれば 「モチベーション」 が必要になってくる。

それがあってこそ、人は、本当に意味のある行動を続け、ひいては
それが、結果に結びついてくるのではないだろうか。