80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風強し

2018年10月18日 17時26分52秒 | 考える
風に乗る
両足裏が突然、痙攣を起こした。
あまりの痛さに目が覚めた。

経験のない痛感!!
足をまっすぐに伸ばそうとしても、
逆に、縮めようとしても、本当に痛くて、どうしようもない。
しばらく痛みと格闘したが、なかなか収まらない。

7分ほど立ったろうか、だんだん・・・というより
突然、足裏の筋肉が弛緩したように、
すぅっ~と痛みが引いていった。

一体、何が起こったのだろうか?!
初めての (?) 経験だった。

風強し。
青い空に、冬の風。
街に出たついでに、職安でパソコン検索。

良いのが見つかったと喜んだら、60歳まで・・・。

無論、良いのがあったとて、即 採用されるわけでもないが、
それ以前の段階で、不採用決定というのは、さすがに落ち込む。

「年齢不問とはいえ、70歳ではネェ~・・・。
 いい加減に、諦めたらどうよ。」

そんな声が聞こえてくる。

70歳以上は、想定外・・・か。

働きたくば、自分で仕事を探すか、創り出すしかないらしい。
・・・ム~~ッ !!


(それにしても、何ともあきらめの悪い爺さんである。)
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パイプ煙草

2018年10月15日 16時39分53秒 | 考える
パイプを吸っていて、ふと思った。 ()

いわゆる煙草と違い、パイプの場合は、詰め込まれた葉に、常に新鮮な空気を
送り込んでやらないと、火が立ち消えしてしまう。

パイプの葉は、常に新しい空気 (酸素と言った方がいいかも知れない) を求め
ているが、自ら、燃え続ける為の酸素を吸い込み、また吐き出す力を持たない。
パイプを吸っている人間が、常に新鮮な酸素を送り込んでやる事で、初めて燃
え続ける事が出来る。()

翻って考えてみると、私自身、人間にも、日々、常に新鮮な酸素を送り込んで
やる事で、初めて生き続ける事が出来ているのではないか。

他人に喜ばれる事、他人の心に少しでも残っていく事をやっていきたい。
そのためには、常に新鮮な情報を取り入れていく努力が必要なのだ。

パイプを吸っていて、そんな事を考えた。 
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道行く人々・・・広場にて、あるいは、パイプ煙草

2018年09月30日 17時07分31秒 | 考える
ベンチの前を行き過ぎる人たち。

自分が直接関わり合うわけではないが、いろいろな人と、
また人と人との出会いの場に遭遇する。

私は、ベンチに腰を下ろして、ただただ傍観している。 

ゴルファーと、その先生らしき男性。
警察官と、怪しき人物・・・(私にも経験がある。)
幸せそうに、話しながら通りすぎる男性と女性。

道行く人、行き過ぎる人々。
・・・そして、ここ、 ・・・ベンチで独り傍観する私。


出会いと別れ。

様々な人間関係が、私とは何ら関わりなく通り過ぎていく。

私自身にも出会いと別れがあった。 

他人の事を考えて行動するのは当然の事だ。

だが、相手に何かしてやろうなどと考える。
思えば、それはおこがましい事だ。
あくまで他人は他人でしかない。


人間は、常に彼自身の計り知れぬ問題を抱え、考えている。 

人生とは本来そういったものではないだろうか。

他人の人間関係に直接、いや間接にであれ、関わり合えるものではない。
問題解決は、あくまで当事者自身が当たる以外にないのだ。


小説の中ならともかくも、現実の世界では、
主人公やら、悪人やらが、常にそれらしい姿形をとってはいない。

「素」の自分は、一体どんな存在なのか?
考えれば考えるほど分からなくなってくる。
素直に私を見て、受け止めてくれる相手が欲しい。

私は、黙って目の前を通り過ぎる人を見ている。
今は、ただそれだけの関係。

もっと言えば、どれだけ深い関係を持とうと持つまいと、他人は、
所詮他人でしかない。


目的を持って行動している他人。
それをベンチから眺めているしかない自分に嫌悪感を感じる。

どこか、人のいないところへ行ってみたい。  
もう一度、伊豆に泊まりに行こうか?
 

それも、ただの思いつき。
決行せねばそのままになる。
何の意味もない。


決行は、3日後か?
3年後か?
それとも、30年後か?
 ・・・

何れ、私が人である以上、死は確実に近づいてくる。
そう、何をどうやろうと、それだけは確かな事だ。


パイプが詰まった。
おっと、これはパイプ煙草の話。 
そうだった、パイプには、常に空気の通り道が必要なのだ。
葉をケチって、細かくなったものまで詰め込むと、煙りの通り道が無くなる。
それ以前に火が付かなくなる。


人間も、そして私も同じ事だ・・・!! 
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樹木希林さん、ご冥福をお祈りします。

2018年09月22日 08時18分46秒 | 考える
樹木希林さん(享年75)が9月15日に亡くなったらしい。
ネットで、改めて希林さんの生き様、死に様を知る。
いつ死んでもいいような生き方を心がけて、やることに優先順位を決めておく。
癌と知りながらも、そういう生き方をずっと続けてきたらしい。
ご冥福をお祈りします。

私もそろそろ死に方を考えておく必要があるかもしれない。
このところ、ずっと体調不良が続く。

しかし、環境は常に変化していくのだ。
時間は止まることなく経過していく。 
私自身も変化していく。
常に、それを意識して対応していかねばならないのだろう。

日頃、120歳までは生きると公言している人間としてはなおさらのことだ。

それにしても、この頃の自分には、役立ち感がない。
過去は過去だと言ってはみても、今後を生きていく上で、これは致命傷ではないか?
今さらだが、生きていくには「そのための目的」が必要らしい。

とはいうものの、私の人生、これがずっと続くわけでもあるまい。
と、一言付け加えて・・・。
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鬱呆け老人その日暮らし (2)

2018年09月16日 19時44分28秒 | 考える
他人の事を想像するのは自由だ。
だが、「本当の相手は全くの別人である」ことを自覚すべきだ。
彼には彼の考え方、個性がある。
人それぞれに、受け取り方、感じ方も、また異なってきて当然だろう。

何を言っても何をやっても、人によって受け取り方が違ってくると知れば、
またそれはそれで、悩ましい時間が続く。

大体、私は相手に対して、本当のことを伝え得たのだろうか?
相手に、自分の意図したことが、ちゃんと伝わったのだろうか?

とは言え、そればかりを、気にして生きていくのもどんなものか?
思うに、私は、他人に頼り、他人の息づかいばかりを窺って生きてきた。

考えてみれば、「生きている」 そのことだけで、すでに大変なことなの
だとも思う。

言い古されたことだが、所詮は他人同士、それ以上でもなければ、それ以
下でもない。

たまたま同じ方向を向いて歩いていれば、目的は違っても、同じ所までは
辿り着く。

が、ただそれだけの事。

しかし、逆向き、あるいは、ちょっとでも向かう方向がずれていたなら、
進むにつれて、二人の距離は離れていく一方だ。

他人は他人、無視されて当然。
何かを求めようとバタバタするのはやめよう。

物欲しげに、道行く女性を見送るのは、何とも見苦しい。


私は今現在、ここにあるだけのもの、これだけのものでしかない。
そういう事だ。

取りあえず、今現在、どう動くか?
まさに「今現在」考えている。
・・・しかし、これでは、遅いのだ!!


他人の事は放っておけ。
彼は彼・・・。
お前が支配出来るものは何ひとつ無い。

年を追うごとに、やりたかった事に気づき、
それをやり遂げる時間の無くなっていく事に気がつく。
()

これからどう考え、どう生きていくべきなのか?
老いのまっただ中、老いが身近に感じられる。
振り向けば、若き日が遠く、遙かに遠く見える。

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