80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

俺の煩悩 (3) 空白の時間・・・

2020年02月22日 09時16分35秒 | 考える
俺の煩悩 (3) 空白の時間・・・
随分と日が経ってしまったが、前回の続き(?)かな。
まぁ、そういう事で。

自分の体力、そして気力が、今一だと感じる今日この頃だ。
腰痛が気力を奪っているような、そんな気がしている。
どう折り合いをつけて(ごまかして)生き続けていくか?

再々就職の件、・・・
昨年、知り合いに、団地の清掃をやってみないかと誘われたことがあった。
一時はやってみようと思ったのだが、始業時間が午前7時だという。
最近、私の起床時間は、7時過ぎになっている。
夜更かしのせいもあるのだが、連日7時の始業は、ちときつい。
弟は毎日5時出勤、弟に起こしてもらえばとも思うが、彼は仕事のない時は、夜更かしをするので、連日となるとそれもきつい。
朝、6時起きか・・・。

「今のままでは、ちょっと無理かも知れない。」
で、「・・・もう少し結論を待ってもらいたい。」と続けようとしたら、
「はい、分かった。」
あっさり答えが返ってきて、二の句が続けられなかった。

まぁ、これも又やむを得ない事だろう。
元はといえば、せっかくの申し出に弱音をはいた私が悪い。

それはともかく、いずれにせよ、今の自分自身を再構築していく必要がある。
私自身にもっとも必要なものは一体何だろう?
生きていく自信と希望、さらには信念ということだろうか。

自分と他人に折り合いをつけ、お互いを尊重し合い、共に大切に生きていく。
自信は顔に出るという。
殊に口元が重要だと思う。

まだこの歳になっても、人付き合いの機微というのが分からない。
生き続けていくには大切なことだとは思っているのだが。
おそらく、私には「見栄っ張りなところがある」ということかも知れない。
人が生きていくというのは、人間関係における体験・経験の積み重ねだ。
その中で私は何を求めているのだろうか?

私が背負っているのは、誰なのか?
女房子供では無論ない (→いない)。
兄弟姉妹でもない。
話し相手でもない。
そう、私はだだ一人、私自身でしかない。

私は人付き合いが苦手だと感じているが、ことさら人間嫌いだなどというつもりはない。
むしろ、人は好きな方だ。
小さい頃は、一時期、高校の教師をやっていた父の影響で、学校の教師になりたいと思っていた。
多分、生きていく内に、周囲の人間と私との波長が、ほんのちょっとばかりずれてきただけだ・・・と思っている。

話し相手のない夜。
独り寝の寂しさに、電灯をつけたまま、布団を頭から被って目を閉じる。
段々呆けていく、呆けが止まらない。
そんな気がする。
何とかしてくれる相手はいないのだろうか?
これは自分勝手だろうな。
年をとるとは、そんなものかも知れない。
ただ、酒とタバコが減っていくばかり・・・。
空調の音が、空しく響く。
どうにもならない。

明日は新宿に出掛ける必要がある。
何にせよ、予定があるということはいいことだ。
少なくとも、「目的」があれば、空白の時間を埋めてくれる。


世迷い草

2020年02月05日 19時25分07秒 | 考える
人、いずれは死すべき定め。
今を生きずに、いつまた生きるというのだ? 

とは言え、思うは死すことばかり。
自分が生きていることに、今、やっと気がついた。
生きてるから死を思うのだ。

しかし、今も、なおまだ迷う。
私は何を迷うべきかと。 

信念のない、弱い自分。
聞いてくれる友もなく。
共に為すべき相手も知らず。

何と惨めな人生なのか。
そんなことを考えている自分に、いささかの救いがある。

手元にないもの、当てにするな。
総てが変わる時が来る。
今、次の瞬間にも・・・。

救いを求めて、迷いつつでも、待つことの出来るのは幸せだろう。

一方で、何だか、やる気が、生きていく気力が失せてしまったようだ。
とは言え、死んでしまう勇気もなく、未練がましく、生にしがみついている。

常に死を背負いつつ、生きる意味を求めて生き続ける。
意識するか、否かに関わらず、人である以上、誰もが死と向かい合って生きている。
ただ、それに気づかないか、無視しているか、それだけのことだ。
ごくごく当たり前の話。

思えば、人間デビュー、72年。
未だに私以上になれずに迷っている。
惰性で生きる日々、目的が見えない。
自分に高望みしていないだろうか・・・?

自分の想い、そのままに生きる。
何度言ってきたことだろうか?

今後に期待するな!!
私に「今後」は無い。
いつだって、「今」があるばかりなのだ。