80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

夢を見た

2019年07月18日 17時55分14秒 | 考える
夢を見た。
小説を書き始めている私・・・。 
それも、かなりスピーディだ。

「我が青春に悔い多し。すでに遅いかも知れぬが人生のやり直し。」
・・・いや、まだまだ。

神仏、我を助けたもうか?
神も、仏も、何も答えぬ。
そうなのだ、今、頼るべきは、自分、ただ一人。

7月7日(日)
七夕・・・。

見上げれば、曇り空。
この雲の上で、彦星と乙姫は、年に一度の出逢いを
果たす事が出来たのだろうか?

余計なお世話だが、ちょっと気にかかって空を見上げて、
雲の上に思いを巡らす。

が、よくよく考えてみれば、これって覗き見ではなろうか?
言ってみれば、公認の痴漢行為・・・?


7月8日(月) 朝、今日も、又、曇り空。
ウヰスキーを飲む。
カティサーク。
このところ、やたらピッチが速い。

やる事は、いや、やらねばならぬ事は多い。
だが、どこにも手がつかない。
飲酒とはまるで違う。

子供の頃、独り、闇の中に置き去りにされたままになるのが、
たまらなく怖かった。
権現山のてっぺん、そして物置の中・・・(いたずらの罰)。


小さな思い出の品。
他人の目から見たら、ほとんど意味のない、つまらぬ石塊。
それでも、当人にとっては、かけがいのない大切な物だ。
権現山で見つけた石器・・・昔の人が使ったスプーンだろうか。
そういった物が、世の中には、けっこうあるのではないか。

パイプに「桃山」の葉を摘める。
ちょっぴり慎重に。

実のところ、まだ私にはうまい葉巻の詰め方が分かっていない。
結構、パイプを始めてから時間が経つのに、未だにスッキリ
吸い終える詰め方が良く分かっていないのだ。
いつだって、途中で火を付け直す。
つまり、途中で火が(あるいは煙が、というべきか?)消えてしまう。

私は台所から瓶詰めのオリーブを持ってきて、それをつまみにした。
我々はしはらく何も言わずにウィスキーを飲み、塩味の付いたオリー
ブの実を食べた。 (騎士団長殺し・村上春樹)


瓶詰めのオリーブをつまみに、カティサークを飲む・・・か。
それって、いいかも!!

生活の芯を捉える。
70代、今こそ私が自分自身の人生を始める時だ。
始めねばならない。
もう、そんなに先はないのだ。
あと50年生きるとして・・・、それで、一体何が出来るのだろうか?

未だに自分自身の存在理由が分からない。

やつれたきった野鳩。
迷い迷って独り旅を行く。
旅行く先に答えなし、闇の中に答えなし・・・とは本当なのか?

やるべき事が思いつかない。
まぁ、「そんな日」があってもいいのではないのか?
ふと、そう思ったら、少し気が楽になった。

もっとも、私の場合、毎日、毎日が「そんな日」だ。

大体、私は他人を意識しすぎている。


花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
   百人一首より
  ・・・誰の唄だっけ?
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玄冬期 (4) その後

2019年07月17日 10時16分39秒 | 考える
白秋期、玄冬期、その設計図を書く。

人生は、誰もが、常に未知の旅路を歩いていく。

人は、これまで歩いてきた道を振り返ることは出来ても、
この先を、はっきりと目にすることなど、出来やしない。

白秋期、又、玄冬期が、どれ度ほどの長さなのかは知らないが、
ともかく、玄冬期が終われば、次には「第二の青春期」が巡って
くるはずだ。

そうか・・・!!
そんなに長生きをすると、ある時点で、「年金停止」などということも
充分考えられる。
ということは、その備えも、今から、きちんとしておくことが必要かも
知れない。

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玄冬期 (その3)

2019年07月16日 06時34分04秒 | 考える
一歩一歩、否応なしに近づいてくる転換(?)の日。
今月、724日、 ・・・73歳の誕生日。

さらには、同様、「死期」も容赦なく近づいてくる。

そう、「四季」を重ねるごとに、「死期」に近づいていく
・・・などと。
これは、単なる言葉遊び。

歳を重ねれば重ねるごとに、嫌も応もなく、体力は落ち、
同様に知力も減退していく。
要するに、総てが思い通りにはいかなくなる。


それは、人間である以上、どうしようもない事かも知れぬ。
抗おうとしても、やれる事は、その訪れを少しでも先送り、
引き伸ばす事ぐらいしかない。

我が人生に悔い多し・・・と言うか、悔いばかり。
胸を張ってこれだと、人に誇れるものが、ほとんど無い。

過去72年間・・・何と情けない日々だったことか。
思い返せば、総てが無意味だったとは言わない。
しかし、ほとんどが中途半端に終わっている。

今さらながらパートナーが欲しいなどと言ってみても
空しいばかり。
今の私に、時間はあってないものだ。
ただ独り、黙って無意味に生きているばかり。

自らの実在感はどこに行ってしまったのだろう?

子供でもいれば、もう少し張り合いがあったのかも知れない。
私の死後には、何一つ残らない。
それもまた、平凡人の人生なのだろうか?
とは言え、そんな事を、今さら言ってみても仕方がない。

日に日に新た。
時は無情に過ぎていく。
玄冬期か、 ・・・この後、私に春は訪れるのだろうか?

しばらくは 忘れよう。

ともかく、今まで生き延びた。
いずれにせよ、過去は追加も削減も許されない。
しかし、顧みることぐらいは許されるかも知れない。

「思い知ったが吉日。」
が、思いつきには、関連性も必然性も感じられない。

何とも、やる気が起きない。
ならば、しばらくはそっとこのまま寝かしておくしかない
のだろうか?

ウィスキーを1杯・・・!!
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玄冬期 (その2)

2019年07月13日 18時23分46秒 | 考える
私の人生は、今、「玄冬期(冬の異称)」というらしい。

「玄冬期を元気に生きていく第一歩は、人との絆みたいなものに
 期待しないことから始まる。」 五木寛之 "玄冬の門"より
 

人は、後世に何かを残さねばならぬなどと考える必要などない。
成り行きで残ってしまうものを、敢えて消そうとする必要も無いが、
「残さねばならぬ」などと思いつめる必要など、どこにもない。

さらには他人の生き方に、とやかく口を挟んで、あれこれ指図する、
そんな資格など、どこの誰にもありはしない。
誰にしろ、そんな資格は持っていないはずだ。

人は、それぞれが自分自身の考え方によって生きている。
私自身が、どうのこうの言いながら、そうなのだ。
本人が納得し、満足しているのなら、他人がどうのという必要など
どこにもないだろう。

彼は彼、私は私、2つの個性が、たまたま人生の流れの中で出会った。
ただそれだけのこと。

「常に時間はたっぷりとある。あとはうまく使いさえすればいい。」
                        ゲーテ

生き方、考え方は、人それぞれ違っていて当然だ。

「夢の残り火、かすかに燃えて・・・」

「私は世界一の玉ねぎ人間。」
 (むいても、むいても、何も変わらず、やがて、何も無くなる。)


私は、意味のない日々を送っている。
・・・などと、自分の無気力に飲み込まれるな。 

もともと、私が生きていること、それ自体が罪なのかもしれない。
光が強くなればなるほど、闇もまた濃くなっていく。

とは言え、いずれにせよ、今は生きている。

何をするにも時間と体力。
それと気力。
さらには金も必要だろう。


日々、意味のない、将来性のない時を送っている。
私は、今、何をやっているのだろうか?

ふと、そんなことを考える。
毎度、いつも同じ事を考えている。

ベンチに腰を下ろし、ただ、ぼぉ~っと、時間の過ぎていくのを
眺めている。()
それだけ・・・。
これで、このままで、一体どうなるというのか?

今、為すべき事が何も思い浮かばずに、
ただ、時だけが無情に過ぎていくのを横目で眺めている。

人生とは、過去を忘れ去るだけのものなのか。

79日(火) 曇り空。
他人を養ったことなど一度も無く、常に他人に養われてきた。

現在、この時点においてさえ、自分で自分を養うこともなく、
ただ、弟に養われている。

しっくりと止まらない眼鏡。
いつもずり落ちて私をいらだたせる。

巡り回って、結局元のまま・・・。

そう、しっかりと意味を持つものなど、この世にはない。
総てが幻想なのだろうか?


今年、令和元年
間もなく73歳の誕生日。


だから・・・? ()
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玄冬期 (1)

2019年07月12日 11時40分10秒 | 考える
酒が止まらない。
やることが定まらないせいか?
気持ちのせいだろうか?

10:00 O君から電話。
「今日、クリーンオフだけど・・・!!」
すっかり忘れていた。
大失態・・・、が、今さら仕方がない。
残念だが、断る。

何だか、やる気が弱くなっている。
今、自分のやろうとしている事、総てが無意味に思える。

時・・・今さら何を望んだとて、過ぎ去った長い時は戻りはしない。
過去を再体験する事など、誰にも出来はしない。

オンリーワンを目論んで、今日もバイブを吹かす。

日に日に人間嫌いになっていく感覚がある。
しかし、それは誰彼が悪いといった次元ではない。
それは判っているつもりだ。
自分自身の問題・・・。

何もせずに、町のベンチに腰を下ろし、ぼぉ~っとしている。
周りの人間が私をあざ笑っているような気がする。

無論、周りの人間はそれほど暇ではないとは思う。
それは分かっている。
・・・そう、結局は、私自身の問題なのだ。

よちよち歩きの赤ちゃん、寄り添うお母さん。
私もあんな子供があったらと思う。
が、それ以前に、パートナーが・・・、
だが、ここまで歳を食っていては到底無理だろう。

* 月 * 日 (木) 朝、晴れ。
ボォ~ッとしている。
NN君から電話があった。
Nです。」と言われたが、ピンとこない。
「メール室のNです・・・。」

何となく話をして電話を切る。
パソコンを開いて、人脈を調べる。

N・・・N*君・・・!!
やっと思い出す。
N*君と行ってくれたら、多分(?)、ピンときたのだか・・・。

それにしても、呆けている。

翌日、早速電話。
何の用かを尋ねる。

「別にこれといった用事はないけど、この所顔を見せないので、
どうしているかな?」
という事だった。
「今度、寄るよ。」と言って受話器を置く。

そう言えば、以前は医者帰りにちょこちょこ寄っていたのだが、
ここしばらく素通りしている。
心配してくれたのだろう。

ありがたい事だ。

が、他の仲間達の様子を聞いてみるべきだったと後悔する。


人には他人には言えない後ろ暗いところが、一つや二つある。
それがまた個性、人それぞれの生き方となっている。

今の私が無くしたもの、無くしてしまったものは何だろう?
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