私が何者であるかを問うより、
むしろ「私は何者であらねばならぬのか」を問うべきだ。
・・・問うべきかもしれぬと書きかけてやめた。
「かもしれぬ」という曖昧な言い方で、断言を避ける。
それは、何か、自分の意志をごまかしているような気がする。
「言葉は人の行動を支配する。」
どこかで、そんなことを聞いたことがある。
過去の経験から、自分が成功する確率はほとんど無い・・・、
という「思い込み」。
そう、むしろ「思い込み」はあっていい。
その上で、まず、一つだけ、ほんの小さな成功を体験をしてみる。
そこが出発点だ。・・・勝ち抜く力 !!
と、これも人から教わったこと。
意地を張って生きる。
そういう生き方があってもいい。
結果はともかく、私はそうやって生きてきたと思っている。
いや、やはり認めよう。
実際には、無数の人たちに助けられて、今がある。
「ヘマをやったと言うことは、
再挑戦の機会を得たということでもある。
成功して前進するに越したことはないが、
まぁ、人生やってると、いろいろある。
いずれにせよ、人生は一度だ。
失敗を、悲観したってしょうがない。
要は気力、
前進しようという気構えなのだろう。」
平成5年(1993年)1月4日(月)のノートより。
22年前か。
・・・正月早々、何やらヘマをした言訳らしい。
「ヘマをする」とは、
対人関係、他人との関わりの上にこそ生ずる。
「今まで、どうやら誤解をしていたことに気がついた。
今日出来ることは、明日になっても出来るはずだ・・・と。
本当は、今日、今出来ることは、明日はもう出来ない。
今日やってこそ意味がある。
思うに、明日はすでに予約でいっぱいになっている。
言い換えれば、
明日は、今日の延長、もしくは代用ではないということだ。」
平成7年(1995年)1月2日(月)のノートより。
「明日がやって来たためしはない。
やって来たのは、いつだって今日でしかなかった。」
相手がいつまでも以前と変わらぬ存在でいるとは限らない。
昨日笑顔で別れたとて、今朝も笑顔で会えるとは限らない。
とはいえ、相手の顔色ばかりうかがうな !!
それは相手の為ではなく、自己保身と自己満足のためでしかない。
逆に私の顔に、知らず知らず、拒絶感が出ていたのかもしれない。
相手をなじるより、まず自分を反省せよということだ。
まず、現状を正確に認識する。
その後、改めて対応策を考える。
血液どろどろ→毛細血管ぶくぶく・・・。
コーヒーカップが、まともに持ち上がらない・・・!!
カチャカチャと音をさせ、やっと持ち上げる。
コーヒーが、こぼれぬようカップに顔を近づけ、
やっと口に流し込む。
この緊張感・・・!!
我、老いたり。
あと50年ちょっと・・・。
こんな風に生きていくのも、少々考えものではないだろうか。
だが、一方で、そんな理由で早死にしてたまるかという気もある。
まぁ、今さらそんな悪あがきを・・・という見方も出来なくはないが。
人前で、あまりタバコは吸いたくない。
理由は格好良く吸えないからだ。
今さら、その歳で・・・と、言われるかもしれないが、
今さら、この歳だからこそ、格好良く生きていきたいと思う。
70直前のジジイにも、まだまだ色気(?)は残っているのだ。
そう、世の中にあり得ないことなぞ、あろうはずもない。
それがどうしてなのか、理由づけられないだけの話だ。
お前は、自分に何を期待しているのか・・・?
「自分の行き先を探しに旅に出ようと思う。」
1989年(昭和64年)1月23日のノートより
未だに「行き先」が見えてこない。
あれから26年・・・自分は、どこを、うろついていたのだろうか !?
むしろ「私は何者であらねばならぬのか」を問うべきだ。
・・・問うべきかもしれぬと書きかけてやめた。
「かもしれぬ」という曖昧な言い方で、断言を避ける。
それは、何か、自分の意志をごまかしているような気がする。
「言葉は人の行動を支配する。」
どこかで、そんなことを聞いたことがある。
過去の経験から、自分が成功する確率はほとんど無い・・・、
という「思い込み」。
そう、むしろ「思い込み」はあっていい。
その上で、まず、一つだけ、ほんの小さな成功を体験をしてみる。
そこが出発点だ。・・・勝ち抜く力 !!
と、これも人から教わったこと。
意地を張って生きる。
そういう生き方があってもいい。
結果はともかく、私はそうやって生きてきたと思っている。
いや、やはり認めよう。
実際には、無数の人たちに助けられて、今がある。
「ヘマをやったと言うことは、
再挑戦の機会を得たということでもある。
成功して前進するに越したことはないが、
まぁ、人生やってると、いろいろある。
いずれにせよ、人生は一度だ。
失敗を、悲観したってしょうがない。
要は気力、
前進しようという気構えなのだろう。」
平成5年(1993年)1月4日(月)のノートより。
22年前か。
・・・正月早々、何やらヘマをした言訳らしい。
「ヘマをする」とは、
対人関係、他人との関わりの上にこそ生ずる。
「今まで、どうやら誤解をしていたことに気がついた。
今日出来ることは、明日になっても出来るはずだ・・・と。
本当は、今日、今出来ることは、明日はもう出来ない。
今日やってこそ意味がある。
思うに、明日はすでに予約でいっぱいになっている。
言い換えれば、
明日は、今日の延長、もしくは代用ではないということだ。」
平成7年(1995年)1月2日(月)のノートより。
「明日がやって来たためしはない。
やって来たのは、いつだって今日でしかなかった。」
相手がいつまでも以前と変わらぬ存在でいるとは限らない。
昨日笑顔で別れたとて、今朝も笑顔で会えるとは限らない。
とはいえ、相手の顔色ばかりうかがうな !!
それは相手の為ではなく、自己保身と自己満足のためでしかない。
逆に私の顔に、知らず知らず、拒絶感が出ていたのかもしれない。
相手をなじるより、まず自分を反省せよということだ。
まず、現状を正確に認識する。
その後、改めて対応策を考える。
血液どろどろ→毛細血管ぶくぶく・・・。
コーヒーカップが、まともに持ち上がらない・・・!!
カチャカチャと音をさせ、やっと持ち上げる。
コーヒーが、こぼれぬようカップに顔を近づけ、
やっと口に流し込む。
この緊張感・・・!!
我、老いたり。
あと50年ちょっと・・・。
こんな風に生きていくのも、少々考えものではないだろうか。
だが、一方で、そんな理由で早死にしてたまるかという気もある。
まぁ、今さらそんな悪あがきを・・・という見方も出来なくはないが。
人前で、あまりタバコは吸いたくない。
理由は格好良く吸えないからだ。
今さら、その歳で・・・と、言われるかもしれないが、
今さら、この歳だからこそ、格好良く生きていきたいと思う。
70直前のジジイにも、まだまだ色気(?)は残っているのだ。
そう、世の中にあり得ないことなぞ、あろうはずもない。
それがどうしてなのか、理由づけられないだけの話だ。
お前は、自分に何を期待しているのか・・・?
「自分の行き先を探しに旅に出ようと思う。」
1989年(昭和64年)1月23日のノートより
未だに「行き先」が見えてこない。
あれから26年・・・自分は、どこを、うろついていたのだろうか !?