80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

放埒 (ほうらつ) の日々 (その5)

2019年11月11日 09時54分23秒 | 考える
放埒 (ほうらつ) の日々
放埒・・・気ままに振る舞う。 気ままで締まりがない。


私が、私自身であり続けるために、どうすれば良いのか?
他人と交流する。
しかし、相手の名前がすぐに記憶できない。
これは、人付き合いには、致命的な欠陥だ。

私の生きている、そして生き続ける目的とは、一体何なのだろうか?
答えの出ない問い・・・堂々めぐりの毎日。

今、私が欲しいのは、自分の頭の中身を映し出すレントゲンのようなもの。

目的・・・?
今さら、この歳になって、目的などと考えても遅すぎるかも知れない。
今頃になってジタバタして、どうにかなるはずもない。
が、それでも生きている間は、その目的を考えつつ、ジタバタ行動せざるを得ない。

頼れる指導者が欲しい。
本来であれば、自らが誰かの指導者でなければならない立場、年齢なのだろうが、今さらそれを言っても、どうにかなるはずもないだろうが。
何も考えずに、人と人との間に埋没してみたいと思う。

ウィスキーとタバコ、そして葉巻・・・。
さらに取り立てて目的もないブラブラ歩き。
いや、「目的を探すべく」ひたすら歩いているのだと言えば格好がつくか。

いずれにせよ、振り返れば、この所、堂々めぐり、空回りの日々だ。
今は、やることもなく、ただ生き続けている毎日。

令和元年11月15日(金) 晴れ
風が心地よい。
バス待ちの時間に、知り合いに声をかけられた。
「何をしに出掛けるんだ・・・?」
すぐに答えが出てこない。

今日もまた、行く当てもなく、バスに乗る。

ふと思う。
常に答えが出るような生き方をしていくべきだ。

仕事・・・、結局は、自分にやれるか、やれないかではなく、やる気が、あるか、ないかという事なのだろう。
そんなことを思った。

図書館で、白洲正子さんの「道」
そして「高村光太郎・宮沢賢治集」とを借りる。

「高村光太郎・宮沢賢治集」は、真鹿子さんのブログ「真鹿不思議歩記」(https://blog.goo.ne.jp/1shunmugendai8)に触発されてのことだ。

だが、いつまでに読み終わるのか?
不精者の私のことだから、なかなか大変だなと、今から首をひねっている。