ずっと、ずっと、信じ続けるものだと思っていた。
ずっと、ずっと、信じ続ける以外は考えられなかった。
だからこそ、僕は、この人生を、
その道に託すことにした。
生命の力、すべてをかけて、
その道に進みはじめた。
だけど、大事なものを、見失っていた。
なぜ、その道へ進むのか?
・・・それは、自分のプライド?
・・・それは、自分だけの満足?
・・・それは、体面を保つため?
人を、幸せにしたいと願っていた、
その「愛」の想いは、
その道に、満ちあふれているだろうか?
僕の中で、疑問符が生まれ始めた。
そして、その道の、“本線”に入る直前の分岐点で、
僕は、あえて、人生のウインカーを出した。
信じ続けるべきものを捨てることは、
自分の生命をも捨てることと同じだと思っていた。
だから、生きていく希望を、完全に失ってしまった。
自暴自棄になりかけた僕の傍で、一晩中、泣いてくれた人がいた。
その人は、僕に、“祈り”という名の翼をくれた。
目が覚めて、僕は、なぜか、自由を感じた。
そして、年齢相応の人生を、
それだけでなく、今までに避けていた人生を楽しんだ。
その時に、この曲に出逢った。
『大阪行きは何番ホーム』 by 吉田拓郎
リリースされて、数年後のことだった。
僕にとっては、新鮮な感覚があった。
♪19の頃だったと思うけど
うちを出ることに夢をたくして
ひとりきりでくらしてみようと
希望に満ちていたときがあった・・・♪
一人暮らしには、高校時代から憧れがあった。
あたたかい家庭のなかで、あたたかく過ごしてきたけれど、
あたたかさに慣れきって、
あたたかさのなかにいることに危機感を感じていたのだ。
だけど、そのチャンスには恵まれなかった。
いつも、土壇場になって、立ち止まる僕だったのだ。
だけど、この曲の世界に浸るとき、
僕は、精神的に“うちを出ていた”ように思う。
やがて気がついた。
僕が捨てたものは、朽ちていく運命にあったものだったのだ。
そして、僕は手に入れた。
永遠に続き、無限に続く道を。
♪愛をむさぼる気持ちのまま
一人の女との生活がはじまり
幸せという仮の住まいに
子どもの泣き声まで加わっていた・・・♪
自由を感じ、僕は旅を始めた。
その“無限”の道の途中で、
僕もまた、一人の女と出逢った。
そして、彼女との生活をはじめた。
そして、子どもの泣き声も加わった。
♪外の景色がかわっていく中で
人とのかかわりがわずらわしくなり
一人の男であったはずだと
真実をかくしたまま旅に出た・・・♪
やがて僕は、その生活を捨てた。
愛しい子どもとの別れはつらかったけれど、
その生活のなかで、僕の列車は動き始めた。
その結果、彼女の存在は、縛りのように感じ始めた。
ふたたび、自由を手に入れた。
“無限”にはさらに近づいていけるようになった。
ただ、過去という荷物に、時々、憑かれることもあるけれど。
そして、この曲との出逢いから8年後、
僕は、ひとりきりの生活を始めることになる。
あれから、さらに時は過ぎていった。
今でも僕は、道に迷うこともある。
安易な方向に傾きそうになるとき、自分に問いかける・・・
♪家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪
周りの人たちが、
“伴侶”という安住の地。
“子ども”という安住の地。
“マイホーム”という安住の地・・・
これらを、次々と手に入れていくのを眺めながら、
僕も、“安住の地”にたどり着くことを願っていた。
だけど、僕の中に潜む、遊牧民的な魂のカタチは、
また、僕に問いかける・・・
♪家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪
♪今 東京駅に立ち尽くす僕は
長すぎる人生の繰り返しと同じ
大阪行きの電車は何番ホーム
繰り返し 繰り返し 旅に出ている♪
『大阪行きは何番ホーム』・・・
僕にとって“大阪”は、“ふりだし”だ。
だから、僕が「大阪行き」のホームを探すことは、自分の挑戦に対して降参することになると言い聞かせてきた。
旅に出て、“栃木”という地方にたどりついて4年。
これまでの僕は、“大阪”に背を向けることによって、自分の過ぎ去った日々から抜け出そうとしていたのだ。
時は今、僕に、「さらに生まれ変われ!」と命じてくる。
大きくうなずく僕の中で、躊躇する僕がいる。
そんな僕に、僕は言い聞かせる。
♪家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪
まだまだ、僕に“安住”は訪れない。
だけど、わかっている。
この旅の先に、“安住の人”がいる。
この旅の先に、“安住の地”がある。
いずれにせよ、歩みださなければ、めぐり逢えない!
あの、悲しい夜から15年が過ぎた。
“ずっと、ずっと、信じ続けるもの”は手に入れた。
生命の力、すべてをかけて、託すべき道も手に入れた。
そこには、人を、幸せにしたいと願っていた「愛」の想いが満ちている。
さあ、歩みだそう!
ずっと、ずっと、信じ続ける以外は考えられなかった。
だからこそ、僕は、この人生を、
その道に託すことにした。
生命の力、すべてをかけて、
その道に進みはじめた。
だけど、大事なものを、見失っていた。
なぜ、その道へ進むのか?
・・・それは、自分のプライド?
・・・それは、自分だけの満足?
・・・それは、体面を保つため?
人を、幸せにしたいと願っていた、
その「愛」の想いは、
その道に、満ちあふれているだろうか?
僕の中で、疑問符が生まれ始めた。
そして、その道の、“本線”に入る直前の分岐点で、
僕は、あえて、人生のウインカーを出した。
信じ続けるべきものを捨てることは、
自分の生命をも捨てることと同じだと思っていた。
だから、生きていく希望を、完全に失ってしまった。
自暴自棄になりかけた僕の傍で、一晩中、泣いてくれた人がいた。
その人は、僕に、“祈り”という名の翼をくれた。
目が覚めて、僕は、なぜか、自由を感じた。
そして、年齢相応の人生を、
それだけでなく、今までに避けていた人生を楽しんだ。
その時に、この曲に出逢った。
『大阪行きは何番ホーム』 by 吉田拓郎
リリースされて、数年後のことだった。
僕にとっては、新鮮な感覚があった。
♪19の頃だったと思うけど
うちを出ることに夢をたくして
ひとりきりでくらしてみようと
希望に満ちていたときがあった・・・♪
一人暮らしには、高校時代から憧れがあった。
あたたかい家庭のなかで、あたたかく過ごしてきたけれど、
あたたかさに慣れきって、
あたたかさのなかにいることに危機感を感じていたのだ。
だけど、そのチャンスには恵まれなかった。
いつも、土壇場になって、立ち止まる僕だったのだ。
だけど、この曲の世界に浸るとき、
僕は、精神的に“うちを出ていた”ように思う。
やがて気がついた。
僕が捨てたものは、朽ちていく運命にあったものだったのだ。
そして、僕は手に入れた。
永遠に続き、無限に続く道を。
♪愛をむさぼる気持ちのまま
一人の女との生活がはじまり
幸せという仮の住まいに
子どもの泣き声まで加わっていた・・・♪
自由を感じ、僕は旅を始めた。
その“無限”の道の途中で、
僕もまた、一人の女と出逢った。
そして、彼女との生活をはじめた。
そして、子どもの泣き声も加わった。
♪外の景色がかわっていく中で
人とのかかわりがわずらわしくなり
一人の男であったはずだと
真実をかくしたまま旅に出た・・・♪
やがて僕は、その生活を捨てた。
愛しい子どもとの別れはつらかったけれど、
その生活のなかで、僕の列車は動き始めた。
その結果、彼女の存在は、縛りのように感じ始めた。
ふたたび、自由を手に入れた。
“無限”にはさらに近づいていけるようになった。
ただ、過去という荷物に、時々、憑かれることもあるけれど。
そして、この曲との出逢いから8年後、
僕は、ひとりきりの生活を始めることになる。
あれから、さらに時は過ぎていった。
今でも僕は、道に迷うこともある。
安易な方向に傾きそうになるとき、自分に問いかける・・・
♪家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪
周りの人たちが、
“伴侶”という安住の地。
“子ども”という安住の地。
“マイホーム”という安住の地・・・
これらを、次々と手に入れていくのを眺めながら、
僕も、“安住の地”にたどり着くことを願っていた。
だけど、僕の中に潜む、遊牧民的な魂のカタチは、
また、僕に問いかける・・・
♪家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪
♪今 東京駅に立ち尽くす僕は
長すぎる人生の繰り返しと同じ
大阪行きの電車は何番ホーム
繰り返し 繰り返し 旅に出ている♪
『大阪行きは何番ホーム』・・・
僕にとって“大阪”は、“ふりだし”だ。
だから、僕が「大阪行き」のホームを探すことは、自分の挑戦に対して降参することになると言い聞かせてきた。
旅に出て、“栃木”という地方にたどりついて4年。
これまでの僕は、“大阪”に背を向けることによって、自分の過ぎ去った日々から抜け出そうとしていたのだ。
時は今、僕に、「さらに生まれ変われ!」と命じてくる。
大きくうなずく僕の中で、躊躇する僕がいる。
そんな僕に、僕は言い聞かせる。
♪家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪
まだまだ、僕に“安住”は訪れない。
だけど、わかっている。
この旅の先に、“安住の人”がいる。
この旅の先に、“安住の地”がある。
いずれにせよ、歩みださなければ、めぐり逢えない!
あの、悲しい夜から15年が過ぎた。
“ずっと、ずっと、信じ続けるもの”は手に入れた。
生命の力、すべてをかけて、託すべき道も手に入れた。
そこには、人を、幸せにしたいと願っていた「愛」の想いが満ちている。
さあ、歩みだそう!
僕の「知られざる真実」を暴露してしまいました。
例によって、日曜日までレスできませんが、皆さんのコメは、出先から読ませてもらいます。
そういうことも全部ひっくるめて、今まで誠大さんに接してきたつもり
だから、夢に向かって進もうとしてるアナタのこと、心から応援してるよ
アナタの想いは力強いから、必ず夢は叶うだろうと・・・アタシは信じてるからね
TBありがとうございます。
今から風呂に入って、出勤しますので
あとでゆっくり読ませていただきます。
取りあえず、お礼まで。
「大阪行きは何番ホーム」
もちろん、好きですよ。
もう、このblogでは触れないつもりでいたけれど、この記事は何ヶ月か前からストックしておいたもので、今回、『青春懐想』というシリーズにしたので、UPしてみました。
でも、一度はこういう経験してる男って、愛情深いかもしれないぜ~
失敗を通して、教訓を得てるから・・・
僕は、拓郎さんをそんなに聞き込んだわけではないですが、この曲をはじめ、すごく胸に響いた曲があります。
近々、もう一曲をテーマに、記事書く予定です。
気付いたら使えなくなってしまっている古いものでも、どうしてもキモチ故に捨てきれない事は多いです。
これがココロの問題であれば尚更ですね。
古いものを捨てたくないと思う愛情を持った上で、捨てきれる勇気を持っている方は、僕にとっては尊敬に値します。
捨てたことを後悔するのではなく、捨てたから向上出来たことにカンシャできればよいのですけどね、いい意味で。
本当にとどめきれるものなんて何もないと思えば、その瞬間瞬間に全力を注げると思うし、失わなくてはいけない時が来ても、未練にうちひしがれることがないはず・・・。
「捨てたから向上できたことにカンシャ」・・・まさにその通りだと思います。
難しいですが・・・。
でも、僕は、カンシャする習慣をもちたいなって思います。
時間の流れの中で、一つ一つをいい思い出にする努力だけは自分との闘いですからね。
新しいものを手に入れた時に、それを前のものより良いものに出来るかどうかはものの問題ではなく、自分のスキルではないかと僕は思っています。
だから良いものを得る為の努力はして行きたいと思ってます。
前のものを捨てて、同じ物を手に入れようと思った事もありますが、そこに捨てた未練を感じない様に努力してます、相当キツイですが。
正直、ちょっと・・・いや、かなりびっくりしてしまったけど。
同じとこ何回か読み返してしまいました。
この応援歌?いいです。
あたしも誠大さんをいっぱい応援したいです!
ほんでもって、『すうぃーつ』・・
楽しみに待ってるわん