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早野巴人の世界(その四)

2004-10-11 10:52:06 | 巴人関係
早野巴人の世界(その四)

○ 炭窯や鹿の見て居る夕煙

巴人の『夜半亭発句帖』の中の一句である。この句には「炭」という前書きが付与されている。秋の「鹿」の句というよりも、冬の「炭窯」(『夜半亭発句帖』では「窯」は異体字)の句ということになる。
この句について、ドナルド・キーン氏が次のような英文・訳を付して、その著「日本文学の歴史8(近世篇2)」で紹介している。
   The charcoal kiln-/ A deer watches/ The evening smoke. 
キーン氏はさらに巴人に関連して「『写生』があるかどうかは、明治期に入ると、俳句の優劣、とくに中興俳諧の作品の優劣の物差しとして重要視されるようになった。早野巴人(はやのはじん・1667~1742)のような二線級の作家がかなりの追随者を持つようになったのも、その句に写生があるからであった」
(前掲書P319)と述べている。  
このキーン氏の、巴人(の句)に「写生がある」ということを単純にそのまま鵜呑みにすると、句意そのものがおかしくなってしまうことにたびたび遭遇するのである。即ち、当時は比喩(「あることを見立てたり,例えたりすること」を句の中味にしている)俳諧が横行していた頃であり、巴人の句を理解するとき
にも、単に何かを写生したりしているというよりも、何かを比喩しているのではないかということを常に念頭において接する必要があるということである。
ここでは余り深入りせずに、単純に、巴人の平明な写生的な句と理解しても、1「鹿が炭窯を眺めている夕暮れの絵画的な句」と理解するか、それとも、2「鹿が炭窯を眺めている夕暮れの新奇な光景の句」と理解するかとの、二通りの理解では、この句が画家でもある蕪村の句であるならば、1のような理解となってこようが、変幻自在の俳諧師・巴人の句となると、2の理解の方がより妥当のように思えてくるのである。もう一つ、キーン氏は,巴人を「二線級の作家」としているけれども、現代における巴人研究のパイオニアの潁原退蔵(えはらたいぞう)氏の「夜半亭巴人」(「潁原退蔵著作集第十三巻」所収)の「巴人は巴人として俳諧史上重要な地位を保つものではない」(P169)などの影響によるものと理解できるし、芭蕉と蕪
村との間を結ぶ時代(享保の時代)の、その当時の「一線級の作家」との評価をしても、けだし誤りではないように思われるのである。
(この句については、かって、「炭窯や鹿の見て居る夕べかな」の句形で鑑賞していたが、その句形は誤りであることを付記しておきたい。)

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