野殿で、まだ少し見学したいところがあって、
施餓鬼の終わったその後、走りました🚙。
「西蓮寺」(伊賀市長田)から「やぶっちゃ♨」(伊賀市島ヶ原)を通り過ぎ、
「三国越林道」へ。
ここを右折
島ケ原中矢地区に起点があるこの林道、
桜の名所であり、景色も良い、そしてサイクリング愛好家さんによく出会う道ですが、
ワタシには真似が出来そうにないので、いつも🚙。
南山城村野殿まで約10㎞。
「村道多羅尾線」までなら6.7㎞。
このまま真っ直ぐ行くと「野殿」
ここを右折すれば「多羅尾・信楽方面」へ行けます。
この道は、
山腹を伝うように上り、尾根道を走るので左側に景色が見え隠れします。
視界が開けたその途中には、
「三国塚見晴台登山口」ここは、スルー(笑)
国道163号線を走っていると、山肌を縫うような道が見えるかもしれません、
それがこの林道です。
林道からももちろん国道は見えます…そして「東屋」、みなさん必ずここで休憩。
ここからの風景はサイコー
島ケ原辺り、大和高原~室生火山帯、南山城村側の工事現場
全体が良く見えるので、通るたび現場の規模が大きくなっていくのがわかります、
一体何ができるのでしょうか?
(163号線ではダンプなどは通っていますが工事の様子は見えない現場です )
もう少し進むと京都側に入って「三国峠展望台」があります、(南山城村観光HPより)
ここは下に車を止めて、山道を少し上りますが大した距離ではないので、
おススメです、遠景が素晴らしいところです。
※『お斎峠』~『村道多羅尾線』~『三国越林道』のご紹介
突然話は変わりますが、
雨のお盆なのでとても大変な思いをされている方は多いかとお察しいたします、
我が家は、両家の墓掃除は家人、父の施餓鬼はワタシ、棚経はハハ担当(仏壇があるので)と
摩訶不思議な分担しておりますので、現在は大した用事もなく、 で散歩もできず、
もっぱら体力温存のため大人しくしております、
こんなんでいいのか!? と心配になります…
さて、
極道一本道なので迷うこともなく再び(連日の)「野殿」に着きました!
幾度来てもココは伊賀に比べ、やや涼しい~~
「林道」に入る時、ここにこの標識があるの?と、とても気になる「高麗寺」へ行きますが、
そこの住所は「童仙房」です、あしからず
ではまた
施餓鬼の終わったその後、走りました🚙。
「西蓮寺」(伊賀市長田)から「やぶっちゃ♨」(伊賀市島ヶ原)を通り過ぎ、
「三国越林道」へ。
ここを右折
島ケ原中矢地区に起点があるこの林道、
桜の名所であり、景色も良い、そしてサイクリング愛好家さんによく出会う道ですが、
ワタシには真似が出来そうにないので、いつも🚙。
南山城村野殿まで約10㎞。
「村道多羅尾線」までなら6.7㎞。
このまま真っ直ぐ行くと「野殿」
ここを右折すれば「多羅尾・信楽方面」へ行けます。
この道は、
山腹を伝うように上り、尾根道を走るので左側に景色が見え隠れします。
視界が開けたその途中には、
「三国塚見晴台登山口」ここは、スルー(笑)
国道163号線を走っていると、山肌を縫うような道が見えるかもしれません、
それがこの林道です。
林道からももちろん国道は見えます…そして「東屋」、みなさん必ずここで休憩。
ここからの風景はサイコー
島ケ原辺り、大和高原~室生火山帯、南山城村側の工事現場
全体が良く見えるので、通るたび現場の規模が大きくなっていくのがわかります、
一体何ができるのでしょうか?
(163号線ではダンプなどは通っていますが工事の様子は見えない現場です )
もう少し進むと京都側に入って「三国峠展望台」があります、(南山城村観光HPより)
ここは下に車を止めて、山道を少し上りますが大した距離ではないので、
おススメです、遠景が素晴らしいところです。
※『お斎峠』~『村道多羅尾線』~『三国越林道』のご紹介
突然話は変わりますが、
雨のお盆なのでとても大変な思いをされている方は多いかとお察しいたします、
我が家は、両家の墓掃除は家人、父の施餓鬼はワタシ、棚経はハハ担当(仏壇があるので)と
摩訶不思議な分担しておりますので、現在は大した用事もなく、 で散歩もできず、
もっぱら体力温存のため大人しくしております、
こんなんでいいのか!? と心配になります…
さて、
極道一本道なので迷うこともなく再び(連日の)「野殿」に着きました!
幾度来てもココは伊賀に比べ、やや涼しい~~
「林道」に入る時、ここにこの標識があるの?と、とても気になる「高麗寺」へ行きますが、
そこの住所は「童仙房」です、あしからず
ではまた
私はずっとここのことを知らなくて、京都市の人に教えてもらって、二十数年前に初めて訪れました。
一緒に行った人が島ケ原カントリークラブのフェアウエイにすごく関心を持っていたのを思い出しました。
途中の「三国峠」だったかの石碑、
三重県知事 田川亮三 銘でした。
我が親父、土木人だったので、
遺産のような「伊賀の道」が気になる今日この頃です。