毎年お盆になると、両親や祖父母の墓参りに行きます。
そのときに必ず言う言葉は、
「お兄ちゃんは私が守るから安心してくだいね。」
お墓に参るたびに、「お兄ちゃんは元気でいるから安心してね」「私は大丈夫だから」
と呪文のように唱えるのです。
今年も同じでした。
お墓に参るたびに「お兄ちゃんが私が守る」と口走っているのです。
どうしていつもこうなのかと考えました。
祖父たちはは兄が生まれた時にはすでに他界していましたので、兄のことは知りま
せん。
しかし、父も母も父方の祖母も、兄が障害児になったことで心を痛め、兄ことを心残
りにしたまま亡くなってゆきました。
母の兄に対する思いは尋常ではなかったので、母はさぞかし兄のことが気がかりで
あったに違いありません。
ガンで飲食物が通らなくなった体を病院のベッドに横たわらせながら、天井を見上げ
て、「こうちゃん(兄)は今どうしてる?」と、弱々しい声で尋ねるのです。
そのたびに私は「お兄ちゃんは元気でいるから大丈夫!」と母を安心させていまし
た。
でも、病状が進行するにつけ、母は声も発せなくなり、宙をボンヤリ眺めるようになり
ました。
私が「お兄ちゃんは大丈夫だから安心して」というと、母親のそのぼやけた目から涙
がこぼれ落ちたのです。
そして、母の意識が朦朧(もうろう)とした頃には、私は「お兄ちゃんは私がみるから
安心して」というのが口癖になりました。
そして、母の目玉しか動かなくなった頃には、「今までよく頑張ったから、安心したら
いいよ」と母に語りかけるようになっていました。
そんな経緯があったからでしょうか?
父が同様の状態になったときにも、「お兄ちゃんのことは私がみるから安心して」と言
うようになっていました。
そう、私にとって、兄を支えてゆくことは、両親や祖母の“供養”でもあるのです。
それに気づいたのは最近です。
私は誰のために、何のために、兄を支えているのでしょうか?
そんなかすかな疑問を持った私でした。
<私は兄のために兄を支えている?>
<私は両親のために兄を支えている?>
<私は自分のために兄を支えている?>
答えはすべて当てはまるのです。
<兄を大切に思うから支えてあげたい。>
<両親が喜ぶから兄を支えてあげたい。>
<自分が人間としてできるひとつのこととして、兄を支えてあげたい。>
結局、兄を支えることで、私は両親を供養し、自分自身も幸せにしているような気が
するのです。
誰かのために生きることの大切さ、それは自分の生きがいに繋がるのだということ
を、兄を支えていて感じられるのです。
障害者の検索からここにやってきました。
障害者のご兄弟ということでとても興味深く拝見させていただいてます。親の思いは少しはわかるのですが、子どもたちは何をどう考えているのかなあと壁に突き当たっております。
兄弟としてのいろいろな思いを読んでいると、親としてどうしたらいいのか戸惑うこともありますが、前を見ていこうと思います。
残暑が厳しいですのでお体ご自愛くださり、健やかにお過ごしください。
実は「支えよう」と思ったこともなかったです。
もう生まれたときからそこにいるもので
私も夫も(実は夫の弟も自閉的な弟なのです)こうして考えることをしてこなかったから。
私達の両親はまだ生きて私達を見ていてくれていますし、私に子供がいないので、
自分自身が子供であるという気持ちがあるのだと思います。
もしかしてでしゃばった発言だから
コメントを消してくださって構わないんですけど、
あなたがお母様に
『お兄ちゃんのことは私がみるから安心して、私は大丈夫』と伝えたときに、涙を流されたこと。
きっとお母様もお父様も
まずあなたが幸せになってほしいと願っているのではって
思ってしまいました。
返事が遅くなってすみません!!
私も障害者のお母さんの気持ちはよくわかりません。
私の母が何を思っていたのかは、母の死後、母の友人から聞かされて驚くこともありました。
きっと、障害者の家族は形は異なっても、無意識のうちに家族は互いに思いやっているのでしょうね。
これからもどうぞよろしくお願いします。
ただ、その思いを伝えることができないほど、母は大変だったのかもしれません。
優しいけれどとても厳しい人でした。
それは私が女一人でも生きてゆけるように、と考えたからだと思います。
母が亡くなってから、母の友人と話す機会があって、実は母は私のことをいつも心配していたそうです。
母の死後に、母親の愛情というものを実感したのです。
不思議なことに父が倒れてから父の愛情というものもわかりました。
親子ってなかなか本音で話せないものかもしれませんね。