私は、自分が何のために生まれてきたのか、幼い頃から悩み続けてきました。
なぜなら、兄が兄でなく、弟のような存在だったからです。
普通、兄といえば、自分より年上でリードしてくれる存在で、兄から何かを学ぶことができるものでしょう。
ところが、私の兄は重度の知的発達障害で、私よりも発達段階が下なのです。
私が一方的に兄を指導するようになります。
しかも、兄のほうが力が強いので、兄が興奮するたびに年下の私めがけて攻撃してきます。
普通なら、攻撃した側を叱るのが親なのですが、母は兄に注意はするものの、兄を興奮させた私が悪いと叱るのです。
私が兄の理不尽な行動に対して注意したら、それで兄が怒って私を叩いてきたのです。
本来ならば、兄が叱られるほうではないかと思います。
しかも、母ははどう考えても兄の方をひいきしているように見えます。
こんなことが続いたら、私は何のために生まれてきたのか子供ながらに悩みます。
母にすれば兄は可哀想な子供だったかもしれません。兄に愛情を注いでやることで、兄の人生をより恵まれたものへと変えたかったのかもしれません。
しかし、妹である私には、それは残酷なことだったのです。
先日、私と同じようにお兄さんが知的障害者である女性とお話しました。
彼女も私と同じような思いをしていたことがわかりました。
「どうしてお兄さんに母親の愛情を奪われなければならないのか?」
「お兄さんは許されてもなぜ私は許されないのか?」
「お兄さんに比べればはるかに母親とのスキンシップが少ない。」
「障害者のお兄さんがいることで、子供の頃さまざまな偏見を受けた。」
「何度も死にたいと思った。」
それから、私は両親も亡くなり、兄のことを子供の頃から世話を焼いてきましたので、母親のような気持ちで兄のことを見ていますが、彼女が私ほどお兄さんの世話を焼いていなかったようでこんなことを言いました。
「母親に愛してもらえなかったのに、どうして母親の愛情をたくさんもらったお兄さんの世話をしなければならないのか?」
「どうしていつも自分は損な役回りしかさせてもらえないのか?」
彼女の場合、お母さんが現在療養中で、自分は子育てに追われています。
それゆえ、しんどいという気持ちも大きかったと思います。
私も彼女も共通しているのは、子供の頃から、我慢し続けて生きてきたということです。上のきょうだいが障害児なので、幼いころからわがままも言えず、また、自分が損するのが嫌で道を外れた行動をするのも抑制して、結局はいい子でいてしまう。そのため大きなストレスを抱えているということでした。
私の場合、夫の理解があって、現在は好きなことをさせてもらっていますけど、彼女の場合、外に出て仕事したり楽しみたいと思っても、夫や自分の母親から反対され、我慢し続け「もう爆発寸前!」という感じなのです。
彼女は「何もかもすべてを放り出してしまいたい」とも語っていました。
障害者のきょうだいについて書かれた本でも、上のきょうだいが障害児の場合、下のきょうだいは鬱傾向があると述べられています。
そして、上が障害児と下が障害児との場合では、上が障害児であるほうが、影響は大きいみたいです。
やはり、「三つ子の魂百まで」ではありませんが、上に障害児のきょうだいがいることで、乳幼児期に母親とのスキンシップが減少してしまうことや、母親の意識のほとんどが障害児に向かっているということも一因かもしれませんね。
私は子供の頃、何度か死にたいと考えた事がありますが、母親の愛情を実感できない環境にあったために、自己否定をする癖がついていたのかもしれません。
幼い頃の私の機気持ちを書いてみました。