母が亡くなったのは、私が27歳の時でした。
当時、兄は30歳。すでに施設に入所していました。
私の場合、小学生の頃からの母と分担して兄の日常の世話をしていましたから、実質上、子供の頃から兄の保護者みたいなところもありました。
実際は、母が入院した頃から、兄の面会や書類の手続きはすべて私がしていました。
私の場合、高校生の時に家の経済も兄の支え方も母親から伝授されていましたので、母が倒れてからも兄のことはすべてすんなりとやっていけました。
父が兄の手続きや面会に本格的に参加するようになったのは、私が結婚してからでしょう。
その後数年で、父も体調を崩して、私が再び兄を支えるようになりました。
その時には夫も加わって兄を支えるようになったのです。
私は生まれた時から兄を支える運命にあったのだと思うことがよくあります。
母は、私が物心ついた頃から、「私が亡くなったらお兄ちゃんを支えてあげてね。あなたはきょうだいだからね。お兄ちゃんは可哀想な子だからね。」と、いつも話していました。
私にとって、これはかなりのプレッシャーになりました。
兄がいることで自分の人生には兄という「足かせ」が存在するのだと思うようになりました。
子供心に確かに悩みました。
しかし、これは私にとって逃げられる運命ではないのです。
この運命を否定しては私自身を否定することにもなりかねません。
ですから、私は積極的に兄をささえてやろうと思うようになりました。
「私がいなければ兄は安心して生きてゆけないだろう」
そう思わされるような人生経験を重ねてゆきました。
最近、「きょうだいは別だから」といって、健常児と障害児を別に育てるご家庭があるようですが、それはいかがなものでしょうか?
確かに健常者にとって障害者のきょうだいは少なからず人生の妨害になります。
しかし、彼らが何をしたのでしょうか?
彼らも本当は健常者のように自分の人生を自由に選択したいし、さまざまな事に挑戦したいはずです。
しかし、障害によって、身体機能や自己表現に支障が出ているために、好むと好まざると狭められた人生を歩んでいるだけなのです。
健常者が障害をもつきょうだいと関わらなくてもいいとは思いません。
どうして家庭内で世間や学校と同じように線引きされなければならないのでしょう?
たしかに障害者のきょうだいを支える側はしんどいです。
でも、関わりを絶つというのは問題だと思うのです。
親亡き後は、きょうだいが支えてあげるべきだと思うのです。
親が、健常者のきょうだいに負担をかけたくないという理由で両者を分けることは、極端に言えば、迷惑をかける家族は捨ててもよいという理論に発展しかねません。
私は、障害者のように自己選択を狭められた家族の可能性を広げてあげることも家族の役割だと思います。
また、それによって自分自身の可能性を広げてゆけると思うからなのです。