絆の法則

澤谷 鑛

「死にたい」という気持ち ~イド・自我・超自我~

2015-02-28 | 牽引の法則
                                のぶさわ正明


フロイトは人間の「心」を3つに分類しました。即ち、

イド(エス)=無意識にある不快を避け快を求める快楽原則に基づく言わば、生き延びる為の本能、衝動的なパワー

自我(エゴ)=イドを検閲し律する道徳的な監察、命令、裁き、刑罰などを行う良心

超自我=(スーパーエゴ)相反するイドと超自我の要求を現実原則に従って調整する

の3つです。
これらを譬えでわかりやすく説明すると、
「イド」は欲望の赴くままに行動する無邪気な子供。
「自我」はその子を社会に適合できる様に導く親。
「超自我」は社会の規範やルール。
といったところでしょうか。

例えば、無邪気な子供である「イド」が「ねえねえお母さん、あのおもちゃ買って!」と言って来た場合……。
母親である「自我」は「子供を甘やかしてはいけない」という「超自我」のルールに沿って、「この前も買ってあげたじゃないの?! 良い子は我慢できるものよ!」とか、「いい加減ししなさい! ダメなものはダメよ!」と言うかも知れない。

この場合の母親の対処の事を「自我の防衛規制」と言います。
つまり、自我の防衛機制があるお蔭で、人間は環境や社会と折り合いをつけて生きて行けると言えると思います。

所が、自我が弱いままだったり、何らかの理由で弱くなっちゃったら、「調整役」ができなくなってしまうでしょう。
例えば、何でも「子供(イド)の欲求通りに従ってしまう」と、社会で適応できない様な我儘な自己中人間になってしまうかも知れません。
逆に子供(イド)の欲求を無視して、社会の規範や固有の道徳律(超自我)に無条件で従わそうとすれば、子供(イド)は完全に委縮し、自分らしく生き生きとできなくなってしまうでしょう。
「お母さん!(自我)しっかりして下さい!(笑)」と言いたくなりますよね?
そして、混乱したお母さん(自我)は「もう私には無理!」と育児放棄してしまう……。
これが所謂神経症の原因だとフロイトは考えました。

フロイトは、「神経症とは、他の自我の防衛機制では対処できない場合に症状を作り出す事によってイド衝動を抑え込む為の現実回避」だと考えました。

例えば、イドが感じてる強い感情や満たされない欲求をパニックや強迫、過食等の依存症に陥ったり、或いはうつ状態に陥る事で感じない様にする、等です。
そして「希死念慮」と言いますが、「死にたい気持ち」というのは、もはや自我がコントロールを失って、超自我の中に「ダメな人間は生きている価値はない」等の「○○でなければ生きている価値はない」というルールを持ってしまってる人が、イドの「生きたい」という欲求を完全に蹴散らしてる状態だと思います。
(イド=無意識の本能は快楽原則に従っていますので、間違っても「死にたい」という欲求を持つ事はありません)

もし、今あなたの超自我が「死にたい」という刀を振り回している暴君と化しているのであれば、今こそイドを守るべく自我が立ち上がる時です。(母親が大切な我が子を守る様に)

例えばあなたが優しく強い母親(自我)になったとして、「お前の息子は仕事も辞めて何をやってもダメな子だ! 働かざる者喰うべからず!」なんて事を暴君と化した超自我が言って来てたとしたら、何て言い返したいでしょうか?
「あんた何言ってるの!? うちの子は今はちょっと疲れてるだけ! 働かない人は生きてちゃいけないの? あんたの勝手な思い込みでしょ! それともそんな法律でもあるの?! 証拠を挙げてみなさいよ!」等と、我が子を守る為に徹底的に反論してみませんか? 同時に我が子(イド)には、「ごめんね! お母さんが頼りなくて。あんたを守ってあげられなくて……。でも今からお母さんは強くなるわ! あんたは働いても働かなくても、いい子であってもなくてもそんなの関係ない! 大切な存在よ。逃げてもいい! 休んでもいい! だから! 生きていて!」等と愛情を送り続けてみてはどうでしょうか?

イド(無意識の本能)は決して「死にたい」とは思わないものです。
「死にたい」という気持ちは、極端に傾いた超自我が勝手に言ってるだけです。
そしてその超自我に言い返し、イドの「生きたい」という欲求を守る為の自我を、あなたは既に持っているんです。

それでは今日も良い変化を!

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