山さん (精神科医)
新年明けましておめでとうございます。
今年の初ブログを書かせていただきます。
お正月は、「気持ちを新たに」「スタートの気持ちになって」というように、内面のリセットをする機会として、考え出されたものなのでしょうね。
ひとは日々、生きております。起床して、動いて、そして睡眠……このサイクルを何回も何回も繰り返すわけです。クールな視点に立てば、同じことばかりよくやるなあ、という具合になるのかもしれませんが、決してそんなことはなく、ひとはいつも精一杯生きています。
その日々を「生きる」ことの大きなモチベーションとなっているのが、「明日こそは……」という希望なのではないでしょうか。
誰しも生活のパターンというのが出来上がっていて、大体においては同じような日々を過ごすことが多いです。しかし、それは過去においての結果論であって、明日はどうなるのかは誰も分かるはずもありません。ビックリするようなことが起こるのかもしれない。場合によっては災難に巻き込まれるかもしれない。逆に、何か大チャンスが巡ってくるかもしれない。
しかし、そのように明日という日が分かりようのないものであるからこそ、ひとは生きていけるのではないか、と。なにか奇跡めいたことが起こるのかもしれない、という根拠こそないが、そういう期待も持っていることもあるでしょう。
また、自嘲気味に「俺はそこまで長生きしたくない」というひともいますが、そういうひとも大抵は明日は死にたくない、生きていたいでしょう。
もちろん、何らかの目標をすでに掲げていて、それに向かって日々邁進されている方もおられると思います。
しかし、そういった具体的なものでなく漠然とはしているものの、何らかの明日への期待や希望というものをひとは抱いているようです。それにはどのような背景があるのか?
そこには、生きとし生けるものすべてにおいて、まるで大河の流れのように、向上していく人知を超えた力のようなものが働いているからではないか、という気がするのです。澤谷先生がよく引用される、道元禅師の説いた「仏向上」ともリンクするところがあるのではないか、と思うのですが……。
ひとそれぞれに色々な過去があります。いい思い出もあれば、そうでないものもあるでしょう。しかし、それら一つ一つの出来事も、ひとを向上させる礎になっているとみることは出来るのではないでしょうか。
過去のことから学んだり、そこにおいて示されていることを考えてみたり、そうすることで自分の素のこころが見えてくるのではないか、と。自分の成り立ちやこれからのあり方が分かってくるのではないかと思うのです。
過去を変えることはできません。しかし、その過去の記録への意識の向け方は変えることが出来ます。
その考え方、意識の持ち方しだいで、まだ分からぬ明日が色づくのかもしれませんね。
今年一年、一日一日をそういう具合に、明日を期待しながら生きていきたいと思います。
新年明けましておめでとうございます。
昨年は大いに学んだ年でした。しかしながら、自分自身を見つめるということに関してはどうだったのか?今日の記事を読みながら考えさせられました。
様々なセミナーや研修会・講演会等に参加し、いろいろな人と出逢い、学び、感じ、その喜びに浮かれていただけのような気もします。外ばかりに目が行き、内なる自分をしっかり見つめることができていたのか?
>過去のことから学んだり、そこにおいて示されていることを考えてみたり、そうすることで自分の素のこころが見えてくるのではないか、と。
今年は、人生の棚卸しというか、もっと自分自身をしっかりと見つめ直す一年にしたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申しあげます。
自分を見つめる・・・言うは易しですが、なかなか難しいことですよね。
ある禅僧の方の著作に、「人間は他人のなかに自分を投機しないと生きていけない」と書いてありました。
あるいは、自分の姿を見出すことは、他人との関係・出会いのなかにおいて行われるべきものなのかもしれませんね。
澤谷先生のお話に会場が笑いに包まれ、
自分の悩みが、ちっぽけに感じたのを昨日のことに感じます。
確かに、過去を変えることはできません。
その過去にとらわれ、翻弄されることもあります。
翻弄されながらも、気づきや学びがあります。
想いや行動を変えることができます。
今は、夢に向かって歩いています。
明日を期待しながら生きていける幸せを感じています。
ありがとうございました。
素敵な記事を、ありがとうございます。
心が澄み渡るように感じます。
>生きとし生けるものすべてにおいて、
まるで大河の流れのように、向上していく人知を超えた力
まったく同感です。確かにそのような流れのような力が存在しますね。
ひとりひとりの向上したいという思いが集まり合わさってこの世が在る。
だから、この世は美しく、生きるに値する素晴らしいものなのでしょう。
マイナスがあり、影もあり、醜いものもある。
それすらも、この大河のような向上の流れを止めることはできない。
それらすべての闇すらも、この向上を押し上げる役目があるのですね。
現在ある闇も、過去の闇も、すべて向上を押し上げている。
そしてそれは、この社会においても個人においても、同じなのだと思います。
個人においては確かに存在していると信じていた向上の力が、実は個人の次元に留まらず
流れとなってこの世に満ちているという素晴らしさに、目を向けさせられました。
去年は、個人に対してその向上の力を信じようと、努め、学びながら過ごしてきました。
でも今年は、山さんのおかげで、この世に流れている向上の力に目覚めさせられました。
今年は、その大きな流れを通して、信じようと努めることもなく、自然に人の向上をただ見ることができるような気がします。
もはや信じようとする必要すらない。ただ、見る。それだけでいいのですね。嬉しいですね。
ありがとうございました。
明日がある、という希望と期待があるから、日々のキツいことも耐えていけるのでしょうね。
明日はまだ未知でまっさらですよね。
そこをどう彩るかは、我々の考え方に拠っているような気がします。
コメント有難うございました。
おっしゃるように、マイナスなものや闇も、それらすべてが向上の流れにくわわっているのでしょうね。
そう考えれば、どんなものでも、向上しないものはないといってもいいのかもしれませんね。
向上しているという感覚を肌で感じつつ、また今年も歩んでいきたいと思っております。
宜しくお願い申し上げます。