絆の法則

澤谷 鑛

ご縁

2013-04-23 | Weblog
澤谷 鑛

「日本語のご『縁』にあたる英単語はないといわれています」
 3月31日(日)に「澤谷 鑛 & 石川浩代 スペシャルジョイントセミナー」in 京都 を開催した石川浩代さんが、スカイプでお話したときにいわれていました。
ネットで調べてみると、
「ご縁があるとかの『縁』は、英語で何ていいますか?」
 という問いに、次の三つの答えが出ていました。

【emotional ties や bond(繋がり、絆)でしょうか。「私たちは縁があった」であれば、We were linked by fate.でいいでしょう。】


【恋愛的な意味での『運命のひと』の意味では、the fate man(woman) や、『たった一人の人』的な意味で『the one』も使えます。】


【袖振り合うも他生の縁、の他人との縁だとchance、とかのほうがしっくりくる気がします。】


 ご縁は、縁(えにし・ゆかり) 繋(つな)がり 絆(きずな) 因(ちな)み 誼(よし)み コネ 縁故 所縁 因縁(いんねん) 奇縁 好縁 良縁 合い縁 悪縁 宿縁 腐れ縁 縁起 縁由 由緒(ゆいしょ) という意味だそうです。

「因・縁・結・果」ということがあります。
もともとの「因」があり、「縁」が浮かびあがります。「因」がなければ「縁」もないはずです。「縁」があり「結」べば「果」があらわれます。結果ですね。でも「縁」があっても「結」ばなければ「果」はあらわれません。因縁結果というのは、法則なのですね。

 院生の時代、その日は、なぜか朝早く渋谷の町を歩いていました。すると大学の教養課程の二年間で少し話したことのある人に出会いました。三年ぶりに会いました。教養課程の時、彼は左翼の学生運動をやっていました。話しかけるとなつかしそうに話しました。肉体労働に行くために車を待っているのだ、といいました。彼は大学を三年で中退していました。私は二人の左翼の学生運動家の消息を聞いてみました。一人はある大学内の書店に勤めているとのこと、もう一人は消息不明ということでした。

 消息不明の運動家は、当時国際派と呼ばれていました。みずからの大学ではなりを潜め、他の大学で活動する運動家です。
 授業が終わり、たまたま彼と駅までのバスに乗りました。5台ほどのバスが連なります。駅からつぎの授業を受ける人を乗せてきて、授業の終わった人を乗せて駅に向かうのです。
 一番後ろの席に二人は座りました。立っている人もギュウギュウ詰めの満員のバスは出発しました。大きな橋の真ん中でバスは止まりました。するとひとりひとり降りなさいとの指示する人が乗り込み、警察だ、といいます。隣の彼は、
「澤谷。煙草持っていないか?」
 といいます。
「ショートホープならあるけど、禁煙だぜ」
 といいつつ、彼にショートホープを一本渡しました。車内は禁煙なのに吸殻入れはありました。彼は、自らのライターで火を点けました。すぐに吸い終わり、もう一本、と彼はいいました。新しい一箱を彼に渡すと、一本に火をつけ、残りを返してきました。
「いいよ。持ってろよ」
 というと、
「いや……」
 といって受け取りません。
 ひとりひとりがバスを降ります。
「澤谷。俺と一緒に降りない方がいい。先に降りろ」
 といいます。私は彼のポケットにショートホープを入れ、先に降り、バスの後ろのほうに降ろされたみんなといました。
 彼は、最後にバスから降り、降りるとともに手錠をかけられ、パトカーとともに消えていきました。
 その後、彼には会っていません。いつか会えるのか、もう生涯、会わないのかもしれません。
袖振り合うも他生の縁、なのでしょうか。他生って、前世とか来世とか、前々世とか来々世とかもいうのですね。

 カウンセリングをする人や養成講座やセミナーご参加のひとりひとりと、縁の糸をむすぶ“いのちの絆”を持ちたいと思うとき、彼を思い出します。そしてご縁を考えます。


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21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
みんな幸せに (有貴)
2013-04-23 02:39:54
ご縁という言葉を使いたいとき、自分で勝手に "spiritual bond (connection)" のような言葉を作ったりして、カナダで苦労しております^^;

思えば、一般にキリスト教では転生が信じられていないそうなので、他生に渡る絆を現す言葉も 生まれないのかもしれませんね。

それにしても、「澤谷。俺と一緒に降りない方がいい。先に降りろ」と言われた運動家の方の思いやりと 真っ直ぐな心には、いつ拝読しても 泣きたくなるような気持ちになります。

相手が澤谷先生だから、なおさらだったのでしょうね。

その方が、今どこかで 幸せに暮らしていらっしゃることを祈りつつ。

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 (もも)
2013-04-23 08:30:01
縁は結ばないと、果がついてこないのですね。

なぜか、澤谷鑛先生のブログをかいする縁は、とっても愛しい絆を感じます。

澤谷鑛先生のブログでの二年以上にわたる週に一度の先生とのコメントのやり取りを本にして、皆様にもその貴重な体験を味わっていただきたいと思うようになりました

愛しい絆を育ませていただいた結果のひとつとして。

心より感謝を込めて
ありがとうございました。
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出会い (なな)
2013-04-23 08:31:37
「ご縁」ですね。と言われる時、私はいつも何か懐かしい感じがして、嬉しい気持ちになるのは何故なのだろう?きっとどこかの世(他生)でお会いしている方だからかなと思ってしまいます。

どこの世でお会いしたかは勿論、思い出せない私ですが、この方とはどこかできっと人生をご一緒していた方だろう?と思いを馳せることにになります。

そう考えるととても嬉しい気持ちになります。

澤谷先生に今、ここで出会えた事も、私は勝手に「ご縁」を感じています。「ご縁」っていい言葉ですね。大切にしていきたいとおもいます。

ありがとうございます。
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濁りのないほんもの (澤谷 鑛)
2013-04-23 10:20:39
有貴さん。

「みんな幸せに」という祈りそのもののような言葉に、濁りのないほんものの有貴さんの思いを感じます。

有貴さんのコメントを拝読していて、フト思い出したのですが、大学での教養課程(1年生・2年生)のクラスは、どういうわけか私の属する国文科と英文科が一緒になったものでした。

英文科に徳島出身のN君がいました。大学を卒業して高校の英語の教師になりましたが、教養課程では、毎日のように話合いっていて、親友以外の何者でもありませんでした。

ところが、三年生になってから今まで、これまた一度も会っていないのですね。余程お互い忙しかったのでしょう。

最近でも、養成講座を卒業されて会う人と会わない人とありますね。

でも英文科のN君は、会わなくても親友には変わりありません。
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いのちの絆 (NAO)
2013-04-23 10:21:46
ご縁という言葉には、こんなに沢山の意味があるのですね。
なんだか、とても深いものを感じます。

「因・縁・結・果」という法則があるというのも、納得できます。
頂いたご縁を活かすのは自分次第なのだと思います。

袖振り合うも他生の縁…
もともとの「因」があり、ご「縁」があり、「結」び、「果」があらわれる、それは前世、現世、来世に股がっていたり、繋がっていたりするものなのだと感じます。

肉親同士や恋人同士や親友同士は、幾世も繰り返し立場を変えながら人生を共にすることがあると、以前に本で読みました。
懐かしいような親しみを感じる出会いには、そんな絆があるのでしょうか。
まさに、ビビッっとくる!という感覚は、過去世の因に共鳴しているのかなと思いました。
すべてのご縁には、なにか深い意味があるのだと感じます。
大切にしていかなければと思います。

「カウンセリングをする人や養成講座やセミナーご参加のひとりひとりと、縁の糸をむすぶ“いのちの絆”を持ちたい」という澤谷先生の思いを皆が受け取って、ほんものに出会うことができるのだと感じました。

ありがとうございます。
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縁の糸をむすぶ愛と信頼の絆 (澤谷 鑛 )
2013-04-23 10:22:45
ももさん。

因・縁・結・果の法則を学ばれたのですね。

愛おしい絆ですか。そうですね。人生って愛おしいものに囲まれていますよね。人が生きるのが人生だからなのでしょう。人生で学ぶのには、縁の糸をむすぶ絆が重要なのですね。それも、愛と信頼の絆が、大切なのですね。
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リアルな人生の時空間 (澤谷 鑛)
2013-04-23 10:38:46
ななさん。

ご縁という言葉でなつかしさを感じる……なるほど、わかる気がします。他生の縁なのか……前世や前々世なのでしょか? そうなのでしょう。

最近の脳科学では、目で見て脳で認めたものが、意識で認識するとき、以前、どこかで出会ったと、脳で認めたものを意識で再認識する錯覚のようなものとの論もあります。それも頷けます。

それにしても、この人生劇場というか、人生学校というか、そこで学び練習するのは、その人の生き方としてはずせませんから、ももさんではないですが、愛おしいのでしょう。それはリアルな人生の時空間でもあるのですね。

ななさんとの出会いもご縁なのですね。
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人が生きる人生にリアルに現しだしている (澤谷 鑛)
2013-04-23 10:56:47
NAOさん。

「因・縁・結・果」という法則を知ったということですね。

「因縁」という言葉や「因果」という言葉はよく使いますが、「因縁結果」という言葉は、詳しくその全貌を明らかにしているのかも知れませんね。それも人が生きる人生にリアルに現しだしているのですね。

「因」は潜在意識も含めて心の中にあり、その現実的な展開として「縁」を「結」び、「果」が現われるということです。すべては人生に現われるのですね。

そのことを踏まえて、「しあわせな人生の実現をサポート」するために、セミナーや養成講座を開催しています。NAOさんもいずれご参加下さい。
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そういえば・・・ (石川浩代)
2013-04-23 15:38:01
そういえば 私 先生に
「白洲正子さんが本の中で ご縁を英語で表すとき しっくりくる単語が無い」と お話をしました

ご縁の中の「一つの意味」を表す単語は 置き換えられても
「ご縁全体を表す単語」が無い、、、と 白洲正子さんも 先生のように英語を調べて 比較されていらっしゃいました


ケニアの ワンガリ・マータイさんが「もったいない」を
消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、再生利用(リサイクル)、尊敬(リスペクト)の概念を一語で表せる言葉も見つからなかったために そのまま使われたように 「ご縁」もそのまま マータイさんが広めたような軌跡をたどっていくのではないかなぁ・・・と思います

「ご縁」も「えにし」や「ゆかり」と 捉えると
また一層深い意味合いを帯びる感じを覚えます


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大和の言葉 (澤谷 鑛)
2013-04-23 16:02:02
石川浩代さん。

白洲正子さんが本の中に書かれていたことでしたか。なんとなくそのようにお聴きしたようにも思います(笑)。

ケニアの ワンガリ・マータイさんが「もったいない」をそのまま使われたように、「ご縁」もそのまま使われるのがいいのかもしれませんね。

石川さんは、日本=大和の言葉について詳しいですからね。これからブログにお原稿をいただきたいですね。是非とも発信してください。
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