3/25(日)は、夫婦で別々のセミナーに参加してきました。
終わってから、どのようなことを感じたのかシェアするのは、互いの学びにもなるので楽しいものです。
人って幸せに生きたいし、夢があるならそれを実現させたい、と思っているはずですが、実際にはそのように行動していないと感じることがあります。
他人からみれば、そっちにいったら幸せから遠ざかるのに……というような道を本人は選んでいるように感じてしまうことがあるのです。それが当たり前のパターンかのように。
でも、それも必要なことだと長い目で見て、相手を信頼してあげていたらいいのかもしれません。たとえ10年たっても、その人に大きな気付きが得られる、ということもあるとは思います。
そうはいっても、じゃあ幸せになるのは、夢がかなうのは10年後ね、っていわれれば、それは嫌だなって感じると思うはず……。
嫌だと自分では思っているのに、でも深いところで幸せになる道を遠ざけているようにも思ったりします。
何故か人はそういう選択をしてしまう。
ある人は、お金だったり、ある人は男女関係だったり。仕事であったり。
僕が参加して感じたのは、その人が経験してきたことにどんな意味づけをしているか?
ということです。その意味づけが自分はこういう人間なんだって定義している。
例えば自分は、不器用で要領が悪いと定義していたら、どんどんそれを強化するように行動しちゃう。ほらやっぱり自分はそうだ、って。
でもだからといって、ただ物事をポジィティブに考えるようにしても、本質的には変わらない、っていう気が僕はするのです。
自分が自分を定義した過去の経験に戻って、そこにあるネガティブなものをいったん吐きださないといけない。
そうすることによって、自分がどんなメガネをかけてこの世界をみているのかを知ることができる。
自己の再定義と世界をどうみているかの再認識。
もし、今の自分が生きてる世界が、自分の感じる幸せや、願う夢とは違う現実を生きていて、そこにギャップや苦しさを感じるなら、そこをみていく必要があるのだと感じた一日でした。
はじめまして!HPで演奏ききました♪
出会いを大切に語られている田村さん、演奏されている田村さん
そして音色をきくと私はすごく複雑な気持ちになりました。
私も音楽の道を目指そうとした気持ちがありましたが
後にとっておこうと決めた時期があって。
大切に保管しているのです。
田村さんの文章の中に自分の思いが
こんな風に重なりました。
>それも必要なことだと長い目で見て、
相手(音楽の道を目指す気持ちを自分の宝箱にしまった気持ち)
を信頼してあげていたらいいのかもしれません。
たとえ10年たっても、その人に大きな気付きが得られる、
(また同じように箱にカギを差し込んだら取り出せる)
ということもあるとは思います。
でも、悔しかったんです。
田村さんの演奏に感動しながらも
自分だって・・・・・そんな嫉妬心がありました。
もう、10年以上もカギをかけたままの宝箱は
それでも今はまだ、開けない理由を探しています。
>自己の再定義と世界をどうみているかの再認識。
今はここで立ち止まっているところです。
田村さんのコメントを読んで思ったのは、きっと田村さんはここを一度は通っているんだろうなぁということです。
だからこそ今ピアノをされていらっしゃる。
ピアノの音色をとおして人の心に訴えかけること、それが田村さんの自己表現のひとつなのかなんて思いましたがいかがでしょうか。
>そこにギャップや苦しさを感じるなら、そこをみていく必要があるのだと感じた・・・
これは田村さんがさらなる向上を目指しているからこそ感じたことなのでしょうね。益々の飛躍とご活躍をお祈りしています。
そうですね、すべて意味があると僕も思います。
反対に行き、また戻ってくることで、そこから自分にも他者にも気づきを与えられるのもしれませんし、戻ってこなくても、それはそれでまた自分か、誰かかに気づきをもたらしているとも思います。
借りを返す。。。そういうこともあると思います。
いつのどんな借りなんでしょうね。。。不思議ですね。
澤谷先生のセミナーでは、こういう浄化が起こっているのですね。僕も出逢いに感謝です。コメントありがとうございます、厘さん。
ももさん:「気づき」ありがとうございます。さっき自宅の下の階でお店をされている方が、僕に笑顔で挨拶してくれました。
幸せで優しい気分になれました。笑顔で挨拶、僕は自分からそうするの、なかなか出来ない方です。。。
スッと出来る方は、自分にも他人にも信頼とか愛があるのですよね、きっと。そういう世界でみてる。
フローラさん:澤谷先生との出逢いを創っていただいたので、すご~く感謝してます。「 」の文章、自分で書いててあっ、そうだったな、と思いました(笑)ふたをしていたい部分って誰でもあると思うんですけど、澤谷先生は、先はよくなっていく、という信頼とその人自身の力を信頼されているのだと感じたんです。「KokoRo」の力ですよね。深い世界ですね~。また、22日に学ばせていただきたいと思います。僕も楽しみにしています。
でも、意味のないことは起こらないし、意味のないことはしないのだとしたら、
反対の方向に歩いていくことで、何かしらの借りを返しているのかもしれませんね。
いったいいつの、どんな借りなのかわかりませんが・・・
こんにちは。松原です。
澤谷先生に曲をプレゼントされたのですね。
きっと素敵なんでしょうね。
「KOKORO」というタイトルもいいな~♪
「今の自分が生きてる世界が、自分の感じる幸せや、願う夢とは違う現実を生きていて、そこにギャップや苦しさを感じるなら、そこをみていく必要があるのだと感じた」
本当にそうですね。
学ぶ力の高い田村さんご自身が、
そこにどのような体験を重ねて見たのか、
とても興味が沸きました。
4月22日の名古屋セミナーにもご参加下さるとのこと、
お会いできるのを、とても楽しみにしています。
先日の澤谷先生の記事にコメントを書いた際のお返事に「しあわせな人生を実現させる4つの法則/澤谷先生著」のご紹介を澤谷先生がして下さったので、読み返しました。
「問題を解決するには、絆の存在を知り、私たちの姿勢を《もらう》から《与える》に転換する」(しあわせな人生を実現させる4つの法則 P175 参照)
そうかぁ・・・。私はじょ(相手を思いやる心)がまだまだ足りず、<与える>ということがまだまだできていないのだ・・・と思いました。
大切な人達に<何を与える>ことができるのか、考え続けようと思います。
やっと、しあわせはわかちあうものという姿勢がちょっとずつできはじめ、春の陽気も手伝い、通勤中に出逢う方々を愛しいという眼差しでみている私が存在し始めました。
乱文乱筆にて失礼致しました。
ありがとうございました。
澤谷先生へ曲のCDをプレゼントされたのですね。
田村さんのホームページを覗いてみると…。
大学卒業後、音楽を一度やめて福祉の道へ…。
曲を視聴させていただきました。
大学までピアノを弾き、福祉の道に行ったまま、
音楽を忘れかけた私の心に、響きました(笑)
ありがとうございます。さて…。
嫌だと思っているのに、幸せになる道を遠ざけるということを
何故か、人はするんだということ。
私もまさに、そんな経験がありました。
その経験したことの意味づけですが…。
まさに、自分は、不器用で要領が悪いと定義していて、
どんどんそれを強化するように行動し、ほらやっぱり自分はそうだ、って、
確認していました(笑)
そして、「でもだからといって…。」の部分に、非常に共感致しました。
今、自分が自分を定義した過去の経験に戻って、
そこにあるネガティブなものをいったん吐き出す過程にいるように思います。
自分がどんなメガネをかけていたのかを知り、
まっさらな人生を歩みたいものだと思いました。
出会いに心より感謝致します。