ぶん
頭がちょっと停滞気味で、それで文章書くので、わかりにくかったらごめんなさい。
忘れないうちに落とし込みたいので、書かせて下さい。
夫が先日AM仕事を休みました。理由→「精神的な落ち込みのため」
会社には別の理由を言ったらしい。
さて、その後の昼食で聞いてみました。
私「(彼女に)何かあった? 新しい(ショックな)事が」
夫「何かあったというか。。。落ちている」
私「ふ~ん。蓄積してるんだ?」
夫「まぁ。。。減らんわな」
…………
私「色々、落としていけるといいね。みんな」
夫「う~ん。。。」
というわけで夫には通じなかったようですが。
自分で言って、気づいたのです。
過去の、一番苦しかったとき、また今でも時々苦しむとき、何かを大切に握りしめていることに。
あれもこれも握りしめて、手放したくないときに苦しいのだということに。
子どもに笑っていて欲しい。
相思相愛の夫婦でいたい。
世間の噂の種になりたくない。
傷つきたくない。
傷ついて欲しくない。
何もかも、手放さずに持っていたくて、両手に握って、両腕に抱えて、背中も丸めて、亀のように抱え込むと苦しくなるのです。
そして、「落とすこと」を極度に怖がっていました。こだわりを無くすことは、幸せから遠ざかることだと、ずっと思っていました。
いつの頃からか、落とした方が幸せになれると知ったのです。そしてそれを進めているのです。
夫と、彼女は、それをまだ知らないのかもしれない。
そう思いました。
それは、お金や、地位や、名誉にしがみつくのと、何ら変わりがないのですね。こだわるものが、一般的でないだけで、こだわっていることに変わりはない。
「夫婦円満」であろうが、「後ろ指指されない生き方」であろうが、こだわるほどに離れていきます。無くすことを恐れ、無くなったものを嘆き、いつまでもいつまでも苦しみは続きます。
例え抱えたままうまくいっても、無くすことをずっと恐れて、今を大切に出来ない気がします。
そうではなくて。
一旦落として。
心を自由に生きた結果として、それらは手に入るものなのですね。お金と同じ。地位や名誉と同じ。生きた結果手に入るものなのです。
子どもの笑顔を目的にするから、おかしなことになったのです。
夫婦円満を目的にするから、おかしなことになったのです。
傷つかない生き方も、目的じゃありません。
それらは、こだわるところではない。
大事に握りしめて、抱え込むものではない。
それらは、副産物です。今を精一杯生き続けたときに手に入る副産物です。
夫と、彼女が、何かを手放せる日は来るのでしょうか?
手放すことが、幸せへの近道だと、気づく日は来るのでしょうか?
私に出来ることは何もありません。
そういえば。
mixiのボイスで呟きましたが、彼女にベテランカウンセラーでマイミクの澤谷先生のご本をプレゼントしました。
『すべての「結果」は引き寄せられている―運命を決める「牽引の法則」』澤谷 鑛 (著・単行本)
夫に届けてもらったのですが、泣いて泣いて、受け取らせるのが大変だったそうです。
どうやら彼女は私が怖いらしい。何を持ってきたやらと思うらしい。
ちょっと嬉しい。。。違う違う。ここらへんがすぐ顔を出すエゴです。
夫との会話。
夫「持って行かない方が良かったかな」
私「あのさ。思うんだけど、彼女のことを一番信じてないのはあなたじゃない?」
夫「?」
私「彼女が自分の力を持っていることを。。。自分で立ち直る力のある女性だと言うことを、一番信じていないのはあなたなんじゃない?『守ってあげなきゃ』って思ってるでしょ」
夫「うん」
私「あなたが一番信じてあげなきゃ。。。私の時もそうだったんじゃないの? ぶんは自分で立ち直るって、信じてなかったんじゃない?」
夫「そうかもしれない」
そういうことなのです。
もちろん、私自身も、自分に力があると信じていなかった。
そして、今の彼女も信じていないでしょう。だから、誰か一人で良い、全力で信じてあげる人がいるのです。
自分の翼は折れてしまったと思っている人に、もう一度翼を広げてもらうには、誰か一人で良いから全面的に信じる人が必要だと思います。
だから、私は彼女を信じることにしました。その気持ちを込めて、彼女に本を贈りました。
今すぐ読むかどうかは分かりません。今は捨ててしまうかもしれない。それでも良いのです。私の思いは変わりません。
似ているからこそ、思うのです。彼女にも、今の幸せに気づく力がある。今、一番苦しいからこそ、登ってこられる。いつか、必ず気づく。
そしてそれは夫にも思います。
。。。。。と書いても、もちろん日々心は揺れます。
それも私。
今日は雨です。
心が洗えるでしょうか。
ゆったり、読書でもしようかしら。
amazonで買った本でも。あげてしまったので自分の為に。
『すべての「結果」は引き寄せられている―運命を決める「牽引の法則」』澤谷 鑛 (著・単行本)
>今を精一杯生き続けたときに手に入る副産物
>もう一度翼を広げてもらうには、誰か一人で良いから全面的に信じる人が必要
どれも深く、心に響く言葉ですね。それにしても、本を贈るなんて・・・
たとえ今は出港していても、ぶんさんの夫にとっての港は、きっとぶんさんなのでしょうね。
コメントいただきありがとうございます。
「母港」と言っていただけて嬉しいのですが、おそらく夫の母港は私ではなくて義母(夫の母)ですね(^^)
男性にとっては、永遠にそうなのでしょう。おもしろいですね。
澤谷先生とご縁をいただいて、「手放すこと」の素晴らしさに気づきました。今まで、なんとたくさんの(どうでもいいものを)しっかり大事に抱えてきたことでしょう。
そして、そんな自分でも信じてもらえると、するすると手放せてしまうことにも驚きました。
これからも、そのように生きていきたいと思います。
ありがとうございました。
それでもお心は揺れる。揺れてしまう。
でも、そのお心を否定されることもなく、ごまかされもせずに
>どうやら彼女は私が怖いらしい。何を持ってきたやらと思うらしい。
ちょっと嬉しい。。。違う違う。ここらへんがすぐ顔を出すエゴです。
と、正直にお書きになれるところが本当に素晴らしい。何度読んでも爆笑します。
そんなぶんさんが素晴らしい。
あなたは大丈夫だと、心から思えるのです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
こだわっているときは、その自覚すらないのかもしれませんね。
自分が余計なことにこだわり苦しんでいることがわかり、それがすんなり手放すことが出来れば・・
でも、それが悲しいことに出来ないのですね、なかなか。
そもそも、こだわりや執着をどうしてしてしまうのか。
全くそういったものがない、というのは、それはそれで考えられないことです。
「生きている」という実感はその執着・こだわりと背中合わせ、ともいえるかもしれません。「ある程度」のこだわりがあるから生活も出来るし、「それなり」の達成感も得られる。
・・・このあたりのサジ加減がなんとも微妙というか。
どのこだわりをどのタイミングで手放せればいいのか。
どの程度捨ててしまえばいいのか。
その解答はすぐには得られないでしょうね。だれも教えてくれない。
むしろ簡単に得られないからこそ、それを模索する価値もあるのでしょう。
でも、手放せなくて辛い思いをすることも、一つの「生き様」で、それがあってこそ次のステージがあり、何か言い知れぬ喜びが見つけられることが出来るのか・・
なんて、思った次第です。
ありがとうございます。
正直、何かの気付きを得た後は、その前の自分を否定したり隠したりしがちでした。ひとえに「よく見せたい」という思いの賜物です。
でも、それをするほど、また苦しくなるのです。分かったような、悟ったようなつもりになっても、やっぱり心は揺れ動く。それは当たり前のこと。
認めてしまえば、恥ずかしいけど、でもなんと気持ちの軽いこと(^^)
こうやって正直にいることを認めて下さる方もいる。とても、とてつもなく、うれしく思います。ありがとうございます。こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。
コメントくださり、ありがとうございます。(山さんの『さん』は一つでよろしかったでしょうか?)
> でも、手放せなくて辛い思いをすることも、一つの「生き様」で、それがあってこそ次のステージがあり、何か言い知れぬ喜びが見つけられることが出来るのか・・
そうですね。素晴らしいお言葉をありがとうございます。
私の場合でも、長年抱えているからこそ得られるものもあり、もしどれかを手放すなら長くかかったからこその喜びがあるでしょう。
勝手な主観ですが、手放さないと重くて次の階段を上れない、そのギリギリのタイミングで手放すのがいいような気がします。
そのベストなタイミングは、おそらく本人にしか分からないですよね。私は、ただ『いつか』広がる翼を信ることしか出来ないのでしょう。そしてその信すら、私には、いつか手放すべきこだわりであるのかもしれません。
おもしろいですね。実に人生はおもしろい。
またひとつ、素晴らしい思考の機会をいただきました。ありがとうございました。