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目眩く思想世界擬きと言霊フロンティア
Depuis 2005/05/19

CAD

2006年09月11日 22時19分34秒 | Diary
人生初のCAD設計をそろそろ始めようかと思う。でも目の前にあるのは3次元のモーターとエンコーダーなわけである。これにはまるパーツを2次元で、しかもマウスとキーボードで描くわけである。いやー全くイメージがわかないぞ。どういうことだ。習うより慣れろってことか。精度はせめて0.5mmは保ちたいが、多分加工で失敗するだろうな。なんだかハナから挫折しそうだ。はは。

左側上下の親知らずを抜歯。まだ痛くもないのにこんな健康そうな歯を抜いてよかったのかとちょっと歯たちに悪く思う。しかも痛み止めを飲んだのに疼痛が治まらないどころかだんだん激しくなってくる。出血も完全に止まっていないようだ。6時間おきに飲めということだったが、耐え切れずもう一錠飲んだら痛みは引いたが全身が凄まじくだるくなって寝てしまった。体が重くて何もやる気がしない。この手術代もせっかくの貴重な稼ぎからさっ引かれるのか。ちくしょう。9月は本当に何もできない予感がしてきたぞ。月末のケータイ代金の引き落としまでにはなんとかせねば。合宿代さえ捻出できない懸念。

Sleipnirとかいう流行のブラウザを使ってみる。思ったほど使いやすくない。タブ機能ならIEにもあるし、IEはGoogleイメージ検索とかHotmailのチェックとかツールバーからできたんだが・・・まぁ慣れと設定だろうな。色々なツールバーはまだまだ対応してないようだからしかたない。しかし、編集でカット・コピー・ペースト、すべて選択にショートカットキーが使えないというのはありえない。Deleteキーも効いていない。いったいなんだこりゃ。レンダリングエンジンの切り替えとか正直どうでもいいし。Geckoでも表示が狂うようだが、そもそもIEのレンダリングエンジンさえちゃんと動かせてないぞ。何かのロックでもかかってるのか。セキュリティホールの問題はあるけど、IEに戻ろうかなぁ。

夢の中でさえスケジュール帳を開き、各種のデッドラインに追われて焦る。免許とか、NFのパンフレット原稿とか、CGIとか。ふぅ。

漂流

2006年09月10日 03時20分47秒 | Movie
 『漂流教室』('72)を読む。前から読もうと思っていたが怖い、怖いと聞いていたのでつい敬遠していた。実際読んでみたら別にどうってことはない。まぁそんなことはストーリー設定を知った時点でわかることで、僕は本当に怖そうだと思ったら基本的に見ない・読まない主義だ。それが最近読もうという気が起こったのは、映画('87)を見てみたらあまりにくだらなさすぎて、もともと名作といわれる原作を読まないでこのまま死ねるかと思ったからにすぎない。90年代を生きてきた僕らにとって、全く70年代や80年代の映画ってのはよっぽど慎重に見ないと当たり外れが多すぎる。

 今までは楳図かずおのホラー調タッチが読むか読まないかのその微妙なバランスに味方していたのだろう。じゃあ一般的な意見としてどこが怖いのかというと、一つは小学生という子供が武器を持って極限の心理状況の中で互いに戦い命を落としていくという展開にあるのだろうが、その怖さも世知辛い現代においては霞んでしまう。この事実こそが本当の怖さなのかもしれない。

 で、個人的にはこの作品は別にそれほど名作とも駄作とも思わないわけだが、捻くれ者のさっつさんとしては作者の意図通り(?)文明や環境問題に対する警鐘を読み取る手法は好きではない。ここでは仲田君の妄想能力をとりあげてみる。

 人間と未来人間の歴史的関係(ずば抜けて深遠そうなテーマの割に結局解答が与えられていない?)の次に興味深い、というか気に入ったのがこのトピックだった。あとは子供がそんな喋り方するわけないだろうとかいう幼稚な突っ込みくらいしかできません。スミマセン。あ、肝心のタイムスリップの方でいえば『戦国自衛隊』('79)見たけどやっぱり映画は微妙。原作を読まないとだめだ。『ジパング』にしてもそうだが、タイムスリップが起こってしまってから「歴史に干渉することは許されない」とか呑気なこと(当時バタフライ効果はそんなに目新しい言葉ではないはずでできるだけ世界に関わらないという消極的態度が甘すぎる)を言ってて幻滅しかけたが、歴史の修正能力というモノを持ち出して無理に納得させてみようとしたのはよかった。福井晴敏のリメイクも見てみようかな。

 本線に戻ろう(あるのか?)。ネタバレにならないよう注意して書くが、仲田君の妄想能力が生み出した敵は小学校をかなりヤバめの危機に陥れる。っていうか普通に考えてあの状況からの回復は無理でしょう。ハラハラの展開はお楽しみとして、この深層意識の実現という現象はタイムスリップ、人類の滅亡、あるいはペストの流行という現象と全く独立の問題として云わばオマケ的に発生している。『漂流教室』を語る際この局面がさしてとりあげられない、あるいは軽く片付けられてしまうことにいささか違和感を覚えるのは僕だけだろうか。そうかやっぱり僕だけか。僕がヘンだったか。

 この一連のストーリーから思い出されるのが映画『スフィア』('98)であり、原作('87)は『ジュラシックパーク』のマイケル・クライトン。実際のところどうかわからないが、年代からいうと『スフィア』が一方的に影響を受けていると考えても全く違和感がない。スフィアに入った登場人物たちが自分でも気付かないうちに作った怪物に襲われるという恐怖。まぁ、よく知らないが実は結構ありふれたテーマなのかもしれない。あーまだまだ読書量が足りないなぁ。

 ところで『スフィア』と『CUBE』('97)もなんかよく似ている。監督も原作も違うのに、どちらも作品名が作中に登場する謎の幾何完全な人工物を表している・閉鎖環境での極限心理や深層心理を緻密に表現している・描写が相当にグロい・そして「それでいいのか」的ハッピーエンドに終わるという共通点がある。『スフィア』は『CUBE』ほど有名ではないようだが、スフィアは宇宙人が作ったということにでもしておけばまだわかりやすい。比して『CUBE』は全く訳が分からない。全ての謎は『Cube Zero』で解き明かされているらしいが、すっきりさせるために『Cube 2:Hypercube』も含めてアレを2回分見ないといけないのかと思うと辟易である。

 また脱線した(本線ないってば)が、さらにもう一つ欠かせない作品があった。今春YouTubeをダウンさせて話題になった『ハルヒ』にもこの深層意識の実現能力という思潮が流れている。何しろ涼宮ハルヒは創造神なのである。世界を塗り替えてしまうのだからたまげたどころではない。これが一見アホアニメに見える『ハルヒ』がただのアホアニメと一線を画している一要素であるのだ。と暴論を振りかざしてみてそろそろネタ切れだ。僕が知らないだけで多分他にもありますよねこういうアニメくらい。スミマセン。こんなはっちゃけた現代神話が好きという素敵なあなたには神林長平の『言葉使い師』でもすすめてさっさと寝よう。おやすみ。

P.S.今思ったけど本当にすすめたいのは『プリズム』の方かも。

2006年09月08日 09時35分27秒 | Diary
しもたー!
月食みんの忘れたー!
ちゃんと目覚ましかけたはずなのに。

もっとも京都では天気悪くて見えなかったという話もありますが。誰か西の方で見た人いるかなぁ。

卒検

2006年09月07日 23時32分47秒 | Diary
見極めも学科もギリギリだったから正直受かる気がしなかったんだけど、えいままよと受けてみたらどういうわけか一発で受かりました。今までで一番ボロクソ云われたけど。もう教官に何の遠慮をする必要もなく車を運転していくであろう生徒への、最後のダメ押しなのでしょう。なにはともあれ、応援し続けてくださったみなさん、ありがとう。

公安の試験受かる気がしない・・・4月の頭に仮免とってから勉強量0だからなぁ。

金がない。なんでだろ。阿蘇旅行して、神戸に行って、大阪で買い物して、名古屋まで行ってまた買い物して2000円のひつまぶし食って、資格試験受験料と滞納したケータイ代を払って高速教習券と免許申請券買って弾みでカラオケしてDebianの本と6万のPCと2万のHDと6000円のエンコーダを2本買っただけなのにもう生きていけないくらい貧乏になってしまった。暫くは交通機関は使わないでしょうし、外食とか自販機もできるだけ控えるでしょう。付き合いも悪くなりそうです。ごめんね。なにしろカネがないんです、世の中を渡るのに必要なカネが。「生協でお茶しようよ」くらいならつきあいます。さらに親と弟からの借金も返さなければならない。月に5万もらってさらに家庭内バイトで20万稼いでおきながら無計画に使ってしまう自分が悪いに決まっている。真性の阿呆である。でも今はまだまだ金を使わなければならない。自分を育て、磨くために。もっと金を貯めよう。どんなに不経済でも、もっと働こう。自分のために。

エゴイスト結構!私もエゴイストだ (ウェルナー・ロックスミス) これが云いたかった?

名古屋

2006年09月04日 00時17分46秒 | Diary
9/1(FRI)
働く。とりあえず何も考えずに高槻の松○屋で20時から29時まで働く。また改装工事。デパートってのは華があっていいなぁ、と思ってる余裕はなく、解体屋が本能のままに売り場を潰している横でひたすら新しい売り場を組み立てる。なんだか高校時代の運搬作業と木工作業の血が騒ぐ。そりゃたまらなく疲れるけど、どうせ肉体疲労だけだしちょうどいいと思うよ。病んでるのにわざわざやる仕事にまで心を煩わされたくないし。

9/2(SAT)
癒えぬうちにまた伊勢○で20時から22時半まで改装。それなりに充実はしたけど、夜勤は体調に響くのでもうやらないかも。

9/3(SUN)
6時に起きて名古屋までマイクロマウス・ロボトレースの初級者大会を見に行く。先輩がマウスで結構いい成績を残すのを見るとまたどこからともなくムラムラとものづくり魂が湧き上がってきた。大須とかいう電気街を覗いて買い物をし、ういろを買って櫃まぶしを食べて帰ってきたら23時だった。半日名古屋。

再びDELL機をDebianで塗りつぶした。これにLANカードのドライバを入れるにはCDかUSBメモリ、外付けHDを使うしかなさそうだが、困ったことにDebianが全く認識していない気がする。mountとかそのへんが怪しいのかな。とりあえずよくわからんままfdiskでチェックしてみるとhdaでCD、sda~sdhの全てでフロッピー(USB外付け)が反応。しかしディスクの中身は依然として見られないし、外付けHDもどうやったら認識できるのか。さらにコンソールが一番下まで完全に表示されず、コマンドラインで自分が今何を入力しているのか確認できないという意味不明な状況。行き詰まった。

まぁブログにLinuxのトラブルなんて書いてもkawayu氏しか反応してくれないんだけど、僕もネット上の文献には日頃お世話になってるのでちょっとでも社会還元、後学のためということで。

現実への逃避

2006年09月01日 10時40分30秒 | Diary
8/31(Thu)
雨の夜の山岳教習。怖い。けど正直市街の方が怖い。路上の水溜りに車のライトが反射し、標示がことごとくキャンセルされているかのようなパニックに陥る。あー無事でよかった。っていうか人轢かなくてよかった。

怠惰は罪だ。寝てばっかりじゃ何も始まらない。何も考えずとりあえず動こう。何も考えられないくらいにてきぱき動こう。

さっつさんは最近こう思うわけだ。少なくとも自分にそう言い聞かせて再起を図ろうとしているわけだ。だが結局、そんな生き方すらも逃げじゃないのか。思考を忘れ、夢を捨て、真実を避け、現実という避難所を求め、後で「忙しかった」「どうせ無理だった」と言い訳をするための。現実主義者に、はたして夢追い人を責める資格はあるのだろうか。

鬱病の治療で一番警戒しないといけないのは、病状が深刻化していくときと逆に治っていくときの過渡期だという。何故なら、その二つの時期には充分な自殺衝動と、それを実行に移すだけの充分な気力があるから。本当のどん底にいる人間には自殺するだけの気力もないということだ。

僕は精神科医ではない。それに鬱病でもなくてただの鬱だし、自殺衝動もないから関係ないんだけど、やけに説得力を感じる。どっちにしてもリハビリテーションという時期は大切で、エネルギーの使い道を間違えるわけにはいかない。それはわかっているのに、やっとこさエンジンがかかりだしたのに、まだ胸にブレーキがかかっている。ハンドブレーキを解かずにアクセルを踏み続けるような胸心地の悪さ。何もしていないのに突然脈が跳ね上がり、胸が苦しくなる。

この臆病というややこしいブレーキはいつかかっちまった?何がブレーキをかけている?自分か?何故ブレーキを解かない?何故ブレーキを解ける?どうやったらブレーキを解ける?誰がブレーキを解く?自分か?誰がブレーキを解かせてくれる?それも自分なのか?自分ってのはどこにいて、どうやったら動かせるんだ?自分のドライバは何?自分?じゃあ自分と他人はどこが違うんだ?何故違うんだ?いつから?何故自分で自分を変えられない?どうやって自分を変える?誰が治せる?自分を治せない矛盾に満ちた自分を、どうやって自分で治す?自分?自分・・・・・・?何もかもが自分?

おい、いつまでこの"はしか"と戦う?