この頃、テレビでよく見る番組が、農村移住等を取り上げた番組。
都会でのサバサバした生活から、自然豊かな生活をしたい。
と言うことで、移住されているのが多いようだ?
私も、都会で暮らしていれば、同じように憧れたであろう。
四国の小高い山中で、数軒で暮らす生活は、
まるで、仙人にでもなったような気分になるのかもしれない?
もちろん、厳しさもあろうが、お互い助け合い暮らす姿は、
見ていて、ほのぼのとしたものが伝わってくる。
集落の個数は数軒。となれば、誰がどうする等々決められた組織でなくても、
阿吽の呼吸で、事を進めているのが実態のようだ?
もともと人間は、一人では生きられない動物?
一人だと、不安になるのであろう?
手をつなぐことは、決して悪いことではない、むしろ自然なことでもある。
しかし、いやいや手を握り合う、手をつなぎたくないと思っても、手を握っている?
必要でないのに、手をつないでいる?
となると、言葉を換えれば、ヘンタイでなかろうか?
つたない知識て述べるのは憚られるが、時代をさかのぼれば江戸時代、
自由に集まることなど、ご法度。それが、同時代のルールであった。
しかし、ただ一つ幕府から許されていたのが、契約講だという。
キリスト教、農村一揆等恐れたためであろう?
道普請、屋根替え、葬儀、柴刈り等は、契約講の活動が主たるものであった?
このような事も不要になり、多くの組織も解散された。
が、今なお契約講なるものが続いている集落もある。もちろん、昔の契約講と違って、葬儀のだけの役割である。
しかし、葬儀を業とする会社の出現もあり、葬儀も家族葬などに大きく変わる時代になり不要の長物化しつつある?
そんなことで、解散したり、待ちきれなくなって脱会する。
高齢化が、役割を果たせなくて脱退する? これが現実のようだ。
つまり、古いしきたりを死守している集落が存在している処もある?
不要になっても、守ろうとする?
この意識は、江戸時代の管理社会から抜け出せない、
誰かに守ってほしい、そうでないと不安で暮らせない、と思っているのだろう?
このようなしきたりがある限り、魅力ある農村とは言えないのでなかろうか?
自然発生的に助け合う、環境づくりをしないと、
益々、過疎化に拍車がかかることになるように思う?