里山の移ろい

写真付きで日記や趣味を書く

紅葉

2016-10-31 15:24:34 | 日記

孫のテニス

中1の男孫が、初めてテニスの試合に臨むという。

娘が「見に来ないか」というので妻と二人で見に行った。

空手は得意だが、テニスはどんなものか?

サーブは、打てるのか等々心配のほうが大きかった。

実質、部活での練習も4~5か月足らず・・・・

それでも、一試合はストレート勝ち、

二試合目は惜しくも敗戦。

いずれ、孫のチームは声も出てるし動きもまずまず。

それにしても、孫の試合は、いつもまともに見られないものだ。

 

紅葉

朝、少し早い時間に庭清掃のためホーキをもっと、手がかじかむようになってきた。

里山も、色づき始めているがいつもの年と比べ色づきが全く悪い?

その中にあって、ケヤキの葉が少しは観られる。

常ねの年であれば、あまり目につかないが、今年は他を寄せ付けない別格の感じがする?

別格といっても、うなるようなものではない。それだけ、その他の葉の色が悪いのである。

当然、気候のせいである?

気候が少し変わっていることはたしかだ。

隣家の、ツバキや寒椿、それにツツジなど、日当たりのよいところは結構花が咲いている。

そんなことでもあって、紅葉狩りに出かけようとする気になれないのである。

それでも高い山は、賑わっているものと思う?

こんなことを綴っていたら、車を飛ばしたくなってきた。

 

 

 

 


2016-10-30 16:02:36 | 日記

我が家の柿について、二度目の投稿である。

この地の産物で多いのは、コメ、次いで柿の順になる?

しかし、柿は販売目的にしたものでなく、自家用として植えられている家庭が大部分。

品種は、主に干し柿用の富山柿。

私たちが子供のころは、どこの家庭でも家屋の軒下に隙なく吊るされていた。

家族全員で柿をむき、紐に吊るしたものであった。

そんなに沢山あっても、子供たちが勝手に食べることは許されなかった。

そのため、父母たちの留守を見計らい、こっそり盗み食いした記憶がある。

そんな思い出のある干し柿だが、最近あまりつくらなくなった。

第一、子供たちもあまり食べないことに原因があるようである。

好んで食べる年代は、60歳以上の高齢者?

もちろん、私は柿と言えば渋抜き、干し柿なんでも大好き。

しかし、我が家は日当たりもよくないし、なかなかうまくいかない。

昨年も、苦労して柿むきをして縄に吊るしてみたものの、失敗した苦い経験がある。

そんなことで、姉の家からいただいて食べたものだ。

その点、甘がきは手間いらずで、木に登ってもぎ取りは、すぐほうばることが出来る。

その柿が、今年は鈴なりに実をつけ、まだまだ木に残っている。

この地には、甘がきが意外と少ない?

近所に分けてやると、喜ばれている。

我が家の甘柿は、祖父の代に植えられたもののようで、

100年ぐらいになるのではないか?

何しろ、子や孫に食べさせたいと、植えられたという。

私も、3本ほど植えた富有柿は、食べられるようになった。

ことしも、2本植えた。孫たちが食べるかどうかは別にして、

後々、甘柿があってよかったと言われる?ことを願っているのだが…・

果たしてどうか。

 


クマとラジオ

2016-10-29 15:57:45 | 日記

「テレビは見るが、ラジオはほとんど聞かない」、という人が多いのではなかろうか?

私も、最近までその一人であった、が、この頃ラジオを聴く機会が多くなったのだ。

と、いうきっかけは、この地にクマが出没したので、

クマよけのラジオである。

朝夕、愛犬を連れ里山に上るので「危険だ」、と妻がうるさく言うので、

携帯ラジオを持ち出したということである。

そんなこともあって、必ずといってよいほどラジオをポケットに入れ出かけるようになった。

今では、ラジオを持たないと物足り無さを感じるぐらいになった。

お陰で、ラジオから流れる音楽を聞き、チョットした知識等々小耳に出来る等、

ラジオに新鮮さを感じるのである。ラジオも、捨てたものではない、と思った次第である。

これも、クマさんのおかげである。

「クマは危険」ということだけで警戒だけしてきたが、

「ありがとう、クマさん」という心境にもなった。

それでも、油断は禁物ということに変わりはない。

 

 

 


組織の陳腐化

2016-10-28 16:52:19 | 日記

農村は、共同活動が困難になりつつある社会になろうとしている。

いや、そのような実態にすでになっている、と言ってもよい。

もろもろ事情があるが、なんといっても高齢化が進行していることが要因であろう。

それを、さらに後押ししているのが集落内各戸の職業の多様化だ。

もちろん、これが良いとか悪いとか言っているのではない。

このような姿になりだしたのは、昭和40年以降である。

当時は、集落内の職業はほぼ農業でひとくくりにできた。つまり職業は「百姓」。

それが、三交代等々多様な勤務体系で休日も異なる職業を「業」とする時代になった。

しかも、農業と違って勤務先も管内だけにとどまらない。

つまり、皆が同じサイクルで生活していた時代とは、全く違う時代に暮らしているのである。

今、様々な組織がつくられているが、ほぼ全てそのような時代に組織されたものだ。

村の共同作業なども、常に参加する人、そうでない人とに完全に分離してしまった。 

相互扶助と言えば聞こえが良いが、組織構成員としての役割が、

果たせなくなってきているという実態にある。

相互扶助と言いども、平等に一定の役割を分担し果たさなければならない。

避けて通りないのである。

ともあれ、村落には行政の末端組織である行政区、JAの末端組織の農家組合、

さらには藩政時代からの契約講等々存在している。

中でも、もっとも陳腐化し実情に合わなくなっているのが契約講。

この組織は、集落でご不幸が発生した時にお世話する助け合い組織で、

ほぼ集落内の全戸を構成員にしたものである。

それでも、これまで述べたような事情があり、兄弟・家族の人数も減少し、

実態に合わなくなってきている。

それを反映したように、葬祭産業が盛んになり、当市内にも4社が営業している。

したがって、契約講に加入していなくとも葬儀を行うことが出来、

益々契約講の存在価値が低下している。

万一の場合、葬式を出せない等々心配は何もなく、直接的には困ることは何もない。

このような時代になっても「契約講」が存在している、不思議さはある。

 

存在する理由はいろいろあるが、世代間の違いか最大のように考えている。

いずれ、複雑になっている集落の各組織も、

整理統合の時期になったように思う。

このような組織は、地域によっては既に解散しているところもあり、

諸々思考し方向づけしたい、と思う今日この頃である。

 

 

 


地区祭り

2016-10-24 16:30:31 | 日記

学習発表会

近くに孫がいると、何かと楽しみが多い?

おとといも「学習発表会、見に来る?」という娘からの電話。

こんなことで、孫の通学する学校に行く機会も、1年間に3回はあるようだ。

書初め展、運動会それに学習発表会だ。

学習発表会を見に行くのも、今年が最後になった。

1歳上の孫の時からだから、7年連続学校に出かけたことになる。

「見に来て」と、連絡あればいやとも言えない(半面嬉しいかも )。

このような機会が、来年からなくなる。その時になると、一層寂しくなると思う。

 それにしても、子供たちの劇や歌も上手で感心して見入った。

それに、主役を演ずる生徒がくるくる変わる劇には少しは驚いた。

先生方の苦労も見え隠れする。

 これが、今日の教育方針なのであろうか?

いいのか悪いのか、判断に迷う処だ…

 これでは、リーダーとなるべき人材が育たないのではなかろうか?

それが狙いでないはずであるが…・ 

しかし、自分たちの時代と比較するまでもなく、質内容ともに格段の差がある。

ラジオで育った私たちと、

テレビ等々の影響を受け育った子供たちとの差。

ということだけでなく、今日の子供達の出来が良いのではないか?

 

 

地域の祭り

昨日は花火が2発、青空高く打ち上げられた。

花火の余韻が、まだ消えない中を(20分足らず)、先頭のマラソンランナーが我が家の前を通過した。

花火の音を聞くと、気持ちが高ぶるものを感じる。その、高揚感はランナーに伝わったことと思う。

お祭りに欠かせないものが2つあるそうだ。それは、法被と花火とか。

それでも、このような競技の場合のスタッフは、法被でなく、おそろいのヤッケ。

この祭りは、今年で8回になるが、地域で唯一つのお祭りといってよい。

斗〇山周辺をコースに、8年前地元有志が「健康とくらマラソン、ウォーク」として立ち上げた。

今年も、地区内外から200名近い参加があったようだ。

大分、メジャーになってきたが一層の発展を祈りたい。

ウォークに毎年参加しているという男性は、「来年も参加したい」と話していた。

 一昔前までは、小学校の運動会もあったが、5年前に廃校となり地区民が集うものがなくなった。

花火を上げるようなことは、この祭りだけ。

それだけに、地区民の期待も大きい。

地区民も楽しく、他からおいでになる方々もより楽しく。

そのためには、地区の我々も心からオモテナシをしたいものである。

地区の幹部の皆さん、一丸となってオモテナシができるよう区民を鼓舞してほしい。

 

 


剪定も修行のうち?

2016-10-19 16:47:02 | 日記

ご不幸

天に雲なし、素晴らしい天気になった。

車を飛ばし遠出したい気分だが、残念ながら今日は知人の奥さんの葬儀。

享年81歳であった。女性の平均年齢からすると、まだまだ早かった。

これまで、何回も旅行にご一緒させていただいた。

歌が好きな人で、カラオケでたくさん歌を聞かされた。

声が良く、歌の上手な方であった。

1年半もの入院生活、残念ながら病気回復することなく不帰の人となった。

心からお悔やみ申し上げ、ご冥福を祈りたい。

 

 剪定

200本近くあるサツキの剪定が終わった。

ツゲの木も10本ほど剪定したが、まだ半分。

残りは、年内に終えたいものだ、がハシゴを使うこともあってそう簡単ではない。

辛抱強く、修行のつもりでやるしかない。

仏教界では、庭づくりは修行の一つとか?

剪定作業も、修行なのだろうか?

サツキもツゲも、それぞれ個性がある。

その個性を生かした剪定でないと、不自然な姿になるようだ。

しかし、いつも忙しく剪定するので、

自分が納得する姿恰好になかなかつくりない。

修行が足りないのかなー。

 

 

 


サツキの刈込

2016-10-14 17:00:01 | 日記

ここ2日ほど、朝の気温が大分低く、ストーブがほしかったほど。

そんな朝であったが、窓越しに見る愛犬は玄関を睨んで待っている。

愛犬は、朝夕の散歩が楽しみ。愛犬のことを考えれば、連れ出さないわけにはいかなくなる。

空は秋晴れ、少しひんやりしたが里山の空気がうまい。

それにしても、8~9月は空を見上げる日が多かったように思う。

それだけ、晴れた日が少なかったのではないか?。

我が家は、代々半農的な暮らし。雑草刈りに、植木の剪定等雑用が多い。

私はリタイヤ後は、このような暮らしが定番だ。

したがって、その日の天候・天気予報が気になる。

昨日も、サツキの刈込み。始めると面白くなって、午後も続けることとなった。

サツキの剪定は時期的には遅い、が伸び放題でうっとうしい、

それに、つる草が絡んでみっともない状態。このままだと、サツキの葉が腐るのは必然。

刈り込めば「すっきりさわやか」、まるで理髪屋に行ってきた気分。

今日で3日目、延べにして一日半。後2日はかかりそうだ。

サツキの刈込は、楽しくもあるがハシゴを上ったり下りたりと結構ツカレル。

しかし、これがホドヨイ疲れになって熟睡出来るから有難い。

私にとっては眠り薬、ということになる。

 

    さっぱりしました。

 

 

 

 

 

 


柿の効用

2016-10-12 16:00:51 | 日記

今年の我が家の甘柿は、木が折れそうになるほど実をつけた。

妻が「小さな実を採り、枝を軽くしては?」と言うので、

少しは実を採ったものの、大変な作業。

とにかく、それほど実をつけた。

もちろん、これまでこんなことは一度もなかった。

そのためか、実の大きさは例年の7割。食べるのは、少々面倒である。

それでも、柿が大好物なので柿木の下を通る都度柿をほうばる。

日に、10個ぐらいは食べるかも?

皮もむかずに食べ、胃袋が心配。それが、意外と何でもない。

そういえば子供のころ、学校から帰るとすぐ柿木に上ったものだ。

腹いっぱいになるまで、木から降りてこなかった。

柿は、身体に良いことはわかっていたが、本当らしい。

そういいば「柿が赤くなると医者が青くなる」ということを聞いた。

抗癌、老化抑制、二日酔い、風邪、インフルエンザ予防、高血圧改善等々

このように、柿は身体によいことばかり。

一度じっくり調べてみたい。

 

   こんなに実をつけました

 


便秘はガスが原因?

2016-10-11 18:56:01 | 日記

便秘

人にはそれぞれ悩みがあるが、私も大変困っているものがある。

毎日、出るものが出ないのだ。

これが解消できれば、何も要らない・・・・・

そんなことで、さんざんこれまで苦労してきた。

朝起きたら冷水をコップ一杯飲む、繊維質野菜を多くとる等々試みてきた。

しかし、これといった効果が出なかった。

何か良い方法がないか、と藁をもつかみたい気持ちで毎日過ごしていた。

それがある日、某テレビ番組が便秘解消法について放映していた

結論は、便秘の原因はガス。ガスは軽いので、

「肛門を上になるように」すると良い、と言うようなことであった。

早速、朝起きる前床の中で実行することにした。

さらに、お腹のマッサージ、両足を高く上げる等いろいろ組み合わせたところ、

功を奏したか1週間も順調なのだ。

毎日「すっきり」OKなのだ。

今のところ続いているということは、効果ありのようだ。 

 

 

山形が好きで、今日も高畑経由で飯豊等を回ってきた。

220キロほど走行した。途中の道の駅で、偶然集落内のC氏にばったり。

彼は休みで温泉周り。私たちは、アユを食べに。

 

道の駅 白鷹

道の駅 いいで

 


共同は良いことばかりではない?

2016-10-10 16:03:12 | 日記

集落共同作業

昨日は、300mの県道わきに集落共同での花壇5カ所に花を植栽した。

この補助事業も始まって10年。

花を見て、悪い気分になる人はいないが、除草等々厄介なものもある。

いずれ、何かを始めればよいことだけではないのはたしか。

年々植栽に参加する人数も減少し、それもリタイヤ組が9割。

最初のうちは、積極的に参加されていたが減少の一途をたどっている?

正直に話せば、負担になってきているのだ。

10年前は60代。これ以上続けるとなると、参加もままならなくなってくる。

満足に、行動を共にできないのではないか?

 

 

お祭り

23日の日曜日に、この地区のお祭りがある。

市内外から150人ぐらいのマラソンやウオークに参加される。

我が家の駐車場も一つのお休みどころ。つまり、お茶の接待場になるのである。

お茶に茶菓子、甘がき、サツマイモ等々準備し待つことになる。

浅野内匠頭でなくとも、粗相のないように接待したい。

そんなこともあるので、本日午前中に我が家の池回りやサツキの刈込などをおこない

より良いオモテナシに努めたいもの。

これで、当日の準備は、テーブル・イスにのぼりの準備をするのみ。

雨の降らないことを祈る。