「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

高価な古本を購入する

2024年03月12日 | 日記と読書
 じんぶん堂企画室(聞き手:滝沢文那)の『柄谷行人回想録 』が面白くて、ネットで毎回読んでいる。その中の「試験勉強でつかんだマルクスの「本領」:私の謎 柄谷行人回想録⑤」では柄谷が、大学時代の試験の話をしていて、柄谷は東京大学の経済学部の出身で、大学院で英文学の研究に進み、僕は高校時代に新潮文庫の夏目漱石『明暗』の解説を書いていた柄谷の文章が面白く、また経済学部から文芸批評をしているということで当時の僕には印象に残っていた。別に経済学部から文学研究、文芸評論をすること自体は珍しがることではないかもしれないが、高校生の時は受験もあって、大学の学部というのは、将来の進路と繋がっているという単純な思考があるため、印象に残っていたのだ。当時、大学に入ってからようやくそれが文芸批評と呼ばれていると初めて知ることになる文章のジャンルを読んだ最初は、これは前にブログで書いたので繰り返しになるが、新潮文庫の漱石の小説に柄谷が解説を書いていたのを、高校生なりにこの人はちょっと他の解説とは違うものを書くな、と思っていて印象に残っていた複数の文章と、あとは『漱石とその時代』の江藤淳の「嫂」の話にフェティシズムを感じて、読みふけった評論だった。特に柄谷は大学からも単行本で出たものは、それなりに読んでいたと思う。文芸批評の文章ももちろん面白かったが、僕は『トランスクリティーク』(岩波書店)を一番興味深く読んだ。恐らく、柄谷が何を書きたいのかがおぼろげにわかりはじめたころであり、ある程度理解しながら読んだ(と思える)ことが、興味を持った原因だろう。そこでのマルクスの議論は、デリダの『マルクスの亡霊たち』(藤原書店)とネグリの『マルクスを超えるマルクス』(作品社)とトリアーデを作っている、と思って読んでいた。

 さて、話が脱線したが、「回想録」を読んで思ったのは、柄谷が学生時代どのような書物でマルクスの勉強をしたのだろうか、という疑問であった。〈柄谷通〉の人は知っているのかもしれないが、宇野弘蔵の経済学、平田清明や岩田弘の影響があるらしい程度の認識で、特に何の手掛かりも積極的に調べようとも思ってなかったが、「回想録」を見ると柄谷は学部生時代、鈴木鴻一郎編の『経済学原理論』を試験で勉強し、「わかりやすかった」と言っていて、記事の写真でも柄谷が現物を手に取って眺めて見ており、一度読んでみたいと思った。

 別に今これを読む意味はないかもしれないが、amazonで調べると、上下で3万5千円以上する。日本の古本屋ではそもそも見つからなかった。しばらく古本屋をめぐりをすると、上下で1万4千円で並んでいた。amazonの半額以下ではあるが、買う意味があるか値段の高さに躊躇したが、「回想録」の雰囲気を味わうためにも、買っておこうということで購入した。僕は読書自体は元来好きではないが、妙なところで、書物の雰囲気というか、その時代性というか、それを読んでいた人物というか、そういうものにフェティシズムを感じて、高価な古書を衝動的に買ってしまうことがある。語義矛盾かもしれないが、一過性のフェティシズムであることが多い。本には元の持ち主の人の蔵書印が押してあり、どうやら北海道の方のようで、下巻には当時の領収書がそのまま挟んであり、「680円」だったようだ。この元の持ち主である北海道の方も柄谷と同い年かその周辺の年代に大学生だったのだろうという想像をしている。西部邁は寮の天井にこの本の「まとめ」を書いて張って試験対策をした、と「回想録」には登場する。初版は1960年に出ているので、まさしく柄谷が回想している「60年安保」の年に出た書物だ。当時の大学生はどういう存在であったのか、興味がある所である。僕の家族は、親類まで広げても、僕が初めて大学に行った人間なので、それ以前の大学生がどういうものだったのかは身近な人からは聞けなかった分、憧れがあるのかもしれない。

 今は他の仕事で時間がなくて、むしろその仕事に忙殺されて心の余裕がないが、少しだけ読んだ。経済学が、ヘーゲルを想起させるような、こんな観念の運動の歴史であるかのように大学で講義されていた時代が、1960年代にはあったのか、という妙な驚きがある。自分が大学で経済学を勉強した時は、もうマルクスなどシラバスのどこを探しても存在せず、マクロ経済やミクロ経済でグラフを画いたり読み取ったりしており、理解力もなく、これは何をやっているのかとぼうぜんとしていたのだが、こういう本があったら、経済学が好きになれたかもしれない、というのは後付けに過ぎるか。そういえば大学時代にマルクスの言葉を初めて聞いたのは、哲学の先生で、勿論マルクスという名だけなら大学以前でも聞いてはいるが、学問の対象として聞いたのはその時が初めてであり、その教員はやたらと本当にマルクスは古くなって必要ないのか、という問いを常に発していた。当時は何でこの人はマルクスにこだわるのだろう、と思っていたが今思うと「68年」に学生運動をやっていた世代であった。その教員は、フォイエルバッハとシュティルナーなど、ヘーゲル左派の系譜を教えてくれ、なぜヘーゲルは右派と左派に分かれたのか、ということも熱心に講義してくれたが、それは後々ためにはなった。マルクス経済のマの字もなくなっていた僕の学部時代に、マルクスという言葉を刷り込んだのはその教員であり、柄谷のようなマルクスや大学の人々とのエリート的な出会いはしていないが、僕も大学で確かにマルクスの名前くらいには出会っていたのだろう。

付箋を貼りながら読み、栞は喫茶店のストローの紙袋。

大雪で大西巨人のことを少し考えざるを得なかった

2024年02月05日 | 日記と読書
 今日も喫茶店で読書をして帰ろうかと思ったが、雪が強くなってきているし、お目当ての店などが雪ということで早じまいをしそうな雰囲気だったので、帰ることにした。僕の住まいは都心に近いので、東京西部よりは雪が少ない傾向にある。しかし、それでも午後六時の帰り道で、すでに道路にも積もりはじめていた。ただ、雪はシャーベット状である。東京では数度しか経験したことはないが、比較的乾いた雪で30センチくらい積もった時は、皇居を探検すると面白い。誰もいないし、真っ白な森の中を歩いていると、遭難をしたような錯覚に襲われて、だんだん怖くなってくる。本当に遭難したのではないか、と思えてくる。東京の「中心」が本当に誰もいなくて、車の音も一切聞こえてこないのは大変神秘的といえる。それだけ皇居の森が広いということなのだろう。


 僕の出身地は比較的雪が降りやすく、かつ積もりやすい場所で、白くなったり数センチの積雪は普通だが、30センチくらいの積雪が冬にはめずらしくない地域だ。山側に行けば当然一メートル以上になる。よく祖父が教えてくれたのは、牡丹雪は積もらないので安心だが、乾いた粉雪が降り出すと積もる、という話だった。子供ながらに牡丹雪の方が大きいし、派手なので積もりやすいように感じるが、つもり始めは乾いた粉雪が降るという決まりである。温度とも関係があるのだろう。積もりやすい粉雪は、気温が低く地面で雪も解けにくい環境で降る雪ということなのだろう。しかしここ数年、あまり東京の都市部では乾いた雪が降らなくなったように思う。いまもどちらかというとシャーベット状だ。手でまとめて玉にしようとしてもまとまらない乾いた雪が懐かしいが、寒い地域に行かないとお目に掛かれないのかもしれない。

 そういえば最近、ドラマになった漫画の原作者が、恐らく自殺であろうという形で亡くなったことがニュースになっていた。その中で原作者と出版社、そして制作したテレビ局の関係が注目されている。この問題は、どのような契約でドラマ化をしたのかという、法的な問題も関係しているように思う。Twitterの呟きで、テレビの取材を受けた人がことごとくいうのが、テレビ局側は取材する人を尊重しないし、取材で述べた意見を都合よく局側の制作意図に捻じ曲げていく(編集してしまう)ということである。そういうのを見ていると、テレビ局側のコミュニケーション不足や、制作側の傲慢な態度が関係してる可能性は高いのかもしれない。ともあれ、どういう契約で原作者はドラマ化を許諾したのかなどは、「外野」から見ているだけではわからないので、詮索しても仕方がないところがある。ただ、話し合いをちゃんとすべきだったのだろうとは思う。

 今回の個別的な事象についてはとやかく言っても仕方がないが、この一件を見ながら、小説家の大西巨人の話を思い出していた。大西には日本近代文学の傑作中の傑作という『神聖喜劇』という小説があるが、この小説は演劇にもなり、漫画にもなり、シナリオの脚本となり、映画化も話題に挙がるような作品であった。ただ『神聖喜劇』を読んだ人ならばわかると思うが、ある場面を二時間の映画にするならばともかく、小説全体を映像作品にするのはかなり難しいのではないかと思う。荒井晴彦の『シナリオ神聖喜劇』は、「一応」、映画のためのシナリオということになっているが、それでもまだ4分の1の分量にしなければ映画には出来ないという量になっている。 のぞゑのぶひさと岩田和博の漫画版『神聖喜劇』もとてもよくできているが、漫画にしてはセリフの量が昨今の新書と引けをとらない。そういう意味でも、小説『神聖喜劇』をドラマにしようとすれば、今のNHK大河ドラマでやるしかないと思う。そういう意味ではNHKにお願いしたのは、大河ドラマで『神聖喜劇』をぜひやってほしいということである。当然、安直なポリティカル・コレクトネスを突き破る形で。

 なぜ大西巨人の話をしたかというと、僕が生前の大西の講演会に行った時に、「大西さんの小説が映像になるということをどうお考えですか?」という対談者の質問に大西本人は、難しいとは思うが、やれるならやっていただきたい、と。そして、映画化なりドラマ化なり漫画化なりが行われる場合、もうそれはまったく小説とは別個の作品になるのだから、私からその作品に対して何か注文を付けることはない、と答えていたからだ。大西は『神聖喜劇』が「翻訳」されることで生み出される映像化やほかのメディアでの上演を、「別」のもの、全く別の形態への変化なのだから、小説の形式からとやかく言うことはないと主張しており、僕は大西が作品(『神聖喜劇』)を自分の所有物としてではなく、「構造」から唯物的に把握しているのだなと理解した。文学理論には「作者の死」や「作品からテクストへ」という形で、作品は作者に属しているのではなく、それは一つの構造でありテクスト(織物)であって、作者という存在も、その構造の一部分の「効果」に過ぎない、と言われている。大西の発言は、この立場をより実践の観点から述べたものだなとも思った。簡単に「作者の死」や「テクスト」などといっても、作品の所有欲は作者だけではなく、その読者も共有しており、その所有欲に屈することが多々ある。だが、その講演会での大西は、『神聖喜劇』の映像化があるとすればそれはもう全くの別の作品だから、自分の支配の及ぶものではないと平然と言っていたが、それを聴きながら僕は、とはいうものの大西のようにはなかなか言えるものではないだろうな、と思った。まあそして何よりも、大西は、『神聖喜劇』を何かのメディア作品に翻案できるものならしてみなさい、という自信があったのだろう。それは、そのような作品を作り得たものだけが持てる自信なのかもしれない。

 作品とその所有権(者)は、法的に結び付けられているものなので、一概には言えない部分が多いが、しかし作品の所有者は作者なのか、読者なのか、という問題は本当は錯綜しており、議論の余地があるものだと思う。そしてある時期、そういう作品の私的所有を考え直し、唯物論的にそこに切断を入れようとした思考が文学理論としてあったことも事実だ。作品の生産形態、所有形態には、作者や読者の「感情」では考えることができない理論の側面があるはずなのだが、ネットで議論するのは、難しいのだろう……

精神とは骨のことである

2024年01月29日 | 日記と読書
 東アジア反日武装戦線の桐島聡を名乗る男性が、神奈川県の病院に偽名?で入院しており、重篤な病状の中で、自らが桐島だと名乗った、というニュースがあった。ちょうどこの報道の前日、虫の知らせかどうかは知らないが、夜からネットで桐島聡の情報を漁っており、仕事帰りの神社下の交番の手配写真でも桐島の顔を確認し、70代前半なら存命である可能性も高いが、この世にいるのだろうか、ということを何とはなしに考えながら家路を急いだ。ネットでは、前々から桐島の画像を加工したり、似た人物が同じように写真を撮ったりするなど、手配写真はなぜか人々の関心を惹いてきたように思う。その理由の一つには、嫌に「ハッキリ」とした顔立ちで、手配写真のために加工したのだろうかというほど、目鼻立ちがはっきりしているということがある。それはまるでモンタージュ写真を思い起こさせ、この人物は本当に存在するのだろうか、というような不気味な雰囲気を醸し出していた。所謂「未解決事件」に出会ったときの不気味さといってよいだろうか。手配写真の「笑顔」と妙にはっきりとした目鼻立ちの輪郭と、それが何かシミュラークルのような、モンタージュのような、そしてこの人物というか「顔」のフィクション性のようなものが、恐らく人々の欲望の的になったのではないかと思う。そういう意味では、まだこの「顔」はもしかしたら「対象a」のごとく、かつての出来事の幻想を繋ぎ留めるような原因になっていたのかもしれない。ただ、この「顔」のモンタージュ性というか空虚性は、その「本人」が目の前に現れたからといって、なくなるものではないし、安直に脱神話化されると思ってはいけないと思う。最早「本人」など関係がないこの空虚性こそが「実体」であり、眼差しを向けざるを得ないわけである。SNSでの発信を中心に、既に〈現前性〉に屈して久しいこの世の中で、そのような空虚なものに依拠する我慢強さを維持したいとは思う。ここまで書いてみると、桐島の手配写真がなにがしかの精神性を惹起したのは、ヘーゲルがいうように、精神は〈(頭骸)骨〉だからかもしれない。あの手配写真は「顔」を写したのではなく、精神という〈骨〉なのだろうか。

 この桐島聡を自称する人物と東アジア反日武装戦線については、ネットで漁っていたという割に、そのネットで漁った以上の情報は全く知らず、またそれらについての書物も読んでおらず、不勉強なので、松下竜一『狼煙を見よ:東アジア反日武装戦線“狼"部隊』(河出書房新社)と「復刊ライブラリー」の東アジア反日武装戦線KF部隊(準)『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線の戦闘史』(風塵社)を購入したので、ちょっと今は仕事が忙しくて読めないが、いずれ読んでみたいと思う。この東アジア反日武装戦線は絓秀実が特に詳しく論じている「華青闘告発」と深いつながりがあるということだけは事前情報を得ているので、その部分も見てみたい。それはそうと「反日」というのは今や左翼やリベラルさえも否認する言葉になってしまったが、「反日」の肯定は考えるべき問題なのではないかと思う。「自虐史観」や「反日」といわれることを恐れ、自らのナショナリズムを批判できない左翼やリベラルは、結局資本主義の植民地主義や帝国主義のイデオロギーを受け入れざるを得なくなるだろう。そのような左翼やリベラルというのは、存在意義があるのであろうか。

 それはそうと、少し前だが日本共産党の党首の「独裁」についても、共産党の〈リベラル〉ではない党運営の在り方が批判されていた。共産党なのだから、唯物弁証法に則った必然性を体現した党の規則で運営されるべきであり、そこに物分かりのいい観念的な民主主義(リベラリズム)をもたらすのは、おかしな話だろう。党員のジャーナリストが除名された問題も、分派活動を禁止するというのはそのような唯物弁証法を守るためには当然のことというほかはない。むしろ、その唯物弁証法に則らずに、嫌悪感や気分で党員を除名しようとしたのならば、それこそが問題である。これはかつての民主党政権の時から言っていたことだが、共産党が〈リベラル〉になってしまったら、それこそ民主党や自民党と同じになってしまう。それならば共産党が存在する必要はないのだ。さっきの空虚な「顔」ではないが、その空虚性の唯物弁証法の必然的法則を守る気がないのならば、イデオロギー闘争などできないだろう。僕は別に共産党支持者ではないが、君主制の打倒と唯物弁証法による資本主義の打倒を空虚であったとしても示さなかったら、共産党の存在意義などない、と思う。少なくともそこは否認しないで明確化すべきだろう。

 君主制の打倒や資本主義の打倒など唱えると、「反日」と同じく大衆の支持を失うと思っているのかもしれないが、恐らくそんなことはない。スターリン主義批判以後の共産主義は、新左翼の課題であったと思う。しかしその新しい共産主義が結局は物分かりのいい多数決主義の民主主義であったとしたら、それはとんでもない世の中にしかならない。本当は共産党が吸収するべきだった、不条理で不平等な世の中を恨む声が、結局別のカルトや極右陰謀論政党に吸収されてしまう、という結果を見てもわかるだろう。共産党はそのような世論の現前性を信じるのではなく、むしろ空虚で実体のない唯物弁証法の〈(頭)骸骨〉をこそ、党の「実体」として、唯物性として守るべきではないか。そうしないと、民主党や自民党と同じようなくくりにされ、「少数派」や「マイノリティ」は行き場をなくすと思う。勿論それは「少数者」や「マイノリティ」が共産党支持者になるということではない。日本共産党を打倒する共産主義者=少数者たちもいなくなるという意味である。

 読書メモもしておこう。涼宮ハルヒシリーズを全巻読破した。なかなか面白かった。そして『In Stahlgewittern』もあきらめずに読んでいる。今は、一段落ずつノートに書き写し、文法的に正しく読めたら先に進めるというやり方で読んでいるので速度は落ちたが、少しは正確に読めているかもしれない。それでも精度は40パーセント以下くらいかもしれないのだが……とにかく、すでに折り返してはいるので気長に。

できれば上げないでほしい

2023年12月18日 | 日記と読書
 本日は在宅勤務であり、しかし週末から書類作成に追われており、睡眠不足と生活のサイクルが乱れて、少し頭痛を覚え、それ故に少し眠らないとと思いながら、洗濯をしつつ、来年から家賃を上げるといわれたので、管理会社に値上げをしてほしくないという相談と、上げるにしても減額してほしいという相談を、たったいま終えたわけである。感触としては、さすがに現状維持はないかもしれないが、減額されるような気はしている。

 読書はあまり進まず、東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)と『訂正する力』(朝日新書)を読み終わり、『失われた時を求めて』の4巻が読み終わり、5巻「ゲルマントのほうへⅡ」に入った。「ドレフェス事件」が徐々に出てきており「反ユダヤ主義」における、登場人物たちの立ち位置が問われている。『ディルタイ全集』の第2巻も何とか読み終わりそうではあるが、終わりそうで終わらない。早く第3巻に行きたいものだ。前にも書いたが、『記憶理論の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1903-1904年度』と『文学的絶対: ドイツ・ロマン主義の文学理論』を並行読みしている。まだ積読ばかりなのに、サルトルの『弁証法的理性批判』の全三巻を古本で購入してしまった。読書欲に実践が追い付かない感じだ。それはそうと、「涼宮ハルヒシリーズ」も猛スピードで読んでいる。

「飯テロ」という言葉をよく聞くが、「テロ」は「不謹慎」といわれるのだろうか。注目したい。

誰もいないバッティングセンターでディルタイをそろそろと読んだ感想(8)

2023年10月30日 | 日記と読書
 今日は久しぶりにバッティングセンターに行ってきた。日暮れ時で明かりがまだ点灯していなかったので、最初の20球は探り探りで打った。ただ、久しぶりのわりに、そこそこバットには当たった。照明がついてからの50球はなかなかのもので、芯に当たっていい打球が飛んだのもそこそこあった。しかし、もう少し打っていたら手にまめができていたと思う。薄暗い誰もいないバッティングセンターで、金属バットの音だけが響いていた。


 帰ってきてニュースを見ていると、ハロウィーンの渋谷の状況を報道していた。見ていて、日本的?で嫌な報道の仕方だなと思う。番組は、ハロウィーンで渋谷に来るのは自粛してくださいという区長の「自粛」要請から始まり、行儀のいいハロウィーン参加者のコメントが流され、ハロウィーンは人に迷惑にならないように楽しみましょう、までの御定まりの結論となって構成されていた。あの番組自体が、管理コントロールの推奨であり、参加者たちも結局、警察を始めとした管理コントロールを喜々として受け入れていくための露払いにしかなっていなかった。仮装しながらわざわざ渋谷まで行って、そこで区長や住人の人の気持ちはよくわかります、ただ騒いだり乱痴気騒ぎするだけの人ではないんです、私たちもそれはいけないと思っていて、ほら、あそこにごみを拾っている人もいます、などなど……のよくあるやり取り、この一連の流れこそが、祭りとか、渋谷のありよう(公園の管理、路上生活者の排除)とか、人々の主体的な行動などを自らで踏みにじっている。インタビューされてコメントする人々は、そしてそれを番組として構成する報道関係者は、人々は管理されていないかのように、渋谷に集まった人々の群れの中には、政治的分裂や貧富の差や暴力性などないかのように、警察といっしょに自分たちの行動自体を管理コントロールする。自分たちのこの一連の行動とコメントこそが、もっとも管理されている状態でありながら、管理を隠蔽(否認)している状態なのだ。むしろ、ごみをしても誰も拾わず、良い大人が酔っ払って管を巻き、警察に注意されても無関心で、もっと殺伐と荒廃しているべきなのである。自分が管理されていることを否認せず、粛々と管理される様子を、ありのままに見せる必要がある。

 ディルタイが「無意識」に触れるところをメモとして引いておこう(『全集第二巻』、「『精神科学序説」第二巻のための完成稿―—第四部から第六部まで」p.129)

《また、意識の事実がこのように確実だということのなかには、意識の事実がもしかすると意識に属さない他の事実に制約されているのかどうか、それゆえ、もしかするとこうした事実の領域の背後には、われわれの意識に達しないためにわれわれには知られないような諸事実の別の秩序をもった背景が見いだされるのかどうか、という点についての決定は含まれない。心理的事実のそのような第二の秩序は、最近のほとんどの心理学研究者たちが想定している諸感覚によっても成り立つだろう。この秩序は、意識の法則に従って記憶に入り込めるような表象が無意識というかたちで存在する、という仮定によって際限なく拡大されるだろう。けれども目下の叙述は、意識の事実のこうした領域に関する諸現象の概念を用いた戯れを事実上終わらせる。こうした事実は私がそれを体験するからこそ存在するわけである。》

 ディルタイは、さしあたり意識が介在できない存在があることを、「無意識」の領域の問題として想定できるとしている。しかし、現実や事実というのは感覚を通して意識を介したものだけが現象するわけだから、「無意識」とは無際限に拡張される「戯れ」でしかないというわけである。つまり、意識に還元できない「記憶」としての「無意識」は想定できるが、ここでは「戯れ」として非本質的なものと見做される。この「無意識」の問題は、フロイトやハイデガー、ラカン、デリダなどに引き継がれ、意識すらをも差異化して構成する、「記憶」としてのエクリチュールの問題につながっていくだろう。あるいは意識には「無」としてしか現れない「存在」として。