渋谷区議会議員『子どもにツケをまわさない!』笹本由紀子です。

転んだら、何かつかんで立ち上がる元・証券会社OL+音楽家+ラジオDJで、幼児教育研究者。渋谷区議会議員です。

無所属。

2010-12-29 02:12:36 | 日記
現存の政党には所属しないという選択肢が、
自治体議員には必要だと信じ
2回の選挙を無所属で戦ったわけです。
そして、各地の同じような無所属の候補者の方を
応援してきました。

すると、ある人に、
「各地の政治家をつないで、将来は、政党になるんですね」
と言われました。
最近のローカルパーティの動きが、
=政党予備軍
のような印象を受けたらしいです。

自治体の議会が、国会のような議員内閣制ではなく、
首長と議会という緊張感の構図を常に持つ事ができる、
大統領制のような地方議会で、
今の政党に属するという事は、ただの「身売り」だと思っております。

自民も民主も公認料が出ます。
立場をもらい、お金をもらう、それが、今の政党に所属するという事です。
議員が1人で物事を決断したり、自立することは決してできません。

個人の考えがあるのに、
全ての議案が政党の仰せの通りになるわけがありません。
党議拘束を破れば、離党です。
選挙の時に公認されて当選したのに、
その党を離れる事は、有権者にとっての裏切りです。
だから、最初から、無所属でいる事が、「必要」なのです。

政党の公認の候補者が、挨拶周りを始めています。
有権者の家に上がりこんで、お願いするのは、
戸別訪問禁止というれっきとした公職選挙法律違反です。
それが、彼・彼女らの方法ですし、
法律違反からスタートする人物なら、
法律を作る資格があるはずもありません。
戸別訪問禁止という法律の是非はともかく、
最初からルールを破って始める物事って、
きっと破綻します。
これをできるだけ多くの人に知っておいて欲しいのです。

ちなみに、私の選挙は、全国のみなさんからのカンパです。
よく、選挙区の人には、
金も票もよこせとは、図々しい女だと言われます。
でも、政党や団体からお金をもらって選挙をする
筋合いも必然性もないので、
やはり、今回もカンパ中心です。
お金も票もの欲張り選挙です。
こんな選挙はいかがでしょうか?

きっと、各地でこんな選挙をする候補者がいると思います。
有権者にとっては、選ぶ候補者の選択肢は多い方がいいでしょう。
それに、いろんな無所属がいますので、
それもまた楽しんでチェックしてくださいね。




女子力。

2010-12-27 01:38:49 | 日記
電車で、周りの若い男性達がそれぞれの携帯を見ている中、
2人の女子が乗ってきた。
1人は、よたよた。
もう1人は、彼女をかかえていた。

その抱えていた方の女子の髪がまあ美しいストレートロングで、
後ろ姿にきれいだこと~と思っていたら、
これが、2人の会話から、
とても男前の女子と判明。

深夜なので、各駅停車しかなく、
どちらかのドアが頻繁に開く。
だから、ドア近くの女子達は、
男前の女子の力加減で、
こなさなくてはいけない。
2人分のバッグもかかえている。

ぐたぐたの女子(名前は、はづきちゃん)は、
時々、カックンっとなって、
男前女子の方にゴンゴンぶつかる。
ドアに頭がぶつかりそうな時は、
背中に回した手で操作して、それを回避する。

怒鳴るわけでもなく、
甘やかすわけでもなく、
とにかく、スマート。
しかも、目はパッチリ、指なんかとても華奢で細い。
さらに、マフラーの巻き方もピシッとしてて、
かっこいい。
とにかく、長く、サラサラの髪は美しい。

どんな育てられ方をなさったの~?と聞いてみたい
女子だった。

事務所にスカウトしたかったですよ
名刺渡そうかとおもいましたよ。
はづきちゃんを連れて帰った女子
笹本由紀子とささの葉の会では、
こんな男前女子を募集中です。


市川房江。

2010-12-21 19:09:15 | 日記
市川房江さんについての「まとめ」が簡潔なので、
ご紹介いたします。
そして、渋谷区民でした。


http://www.eonet.ne.jp/~m-hirose/ijinden/5gatu/0515.htm

市川房枝(1893~1981)婦人運動家 政治家

愛知県中島郡明地村、現在の尾西市に農業と養蚕業を営む両親のもとで3男4女の3女として生まれます。

父親は、酒もタバコも飲まず、女遊びもしない真面目な人でしたが、気が短くかんしゃく持ちで、握り拳や薪の棒でたびたび母親をなぐりつけたそうです。泣きながら母親をかばう幼い彼女に、母親は、「今までに何度里へ帰ろうと思ったか知れないが、おまえたち子供がかわいいから耐えているのだ。女に生まれたのが因果だから。」といっていたそうです。

「母の女の悲しみが、私の小さな体にしみついた。私の長い人生は母の嘆きを出発点に選んでしまったようである。」と晩年自伝の冒頭で語っているように、「何故女に生まれたのが因果なのか、何故女は我慢しなければならないのか」という疑問が、彼女の生涯を決定づけました。

このように、母には暴君でしたが、子供たちには、良い父親でした。自分の今の境遇が自分の無学のためだと嘆き「お前達は、みんな勉強をせよ、自分が一生懸命に働いて行きたい学校に行かせてやる」といつも言い聞かせていたそうです。その言葉どおり、彼女の兄弟姉妹は、病弱だった長女と早逝した次男を除いて全員が、この当時農業を営むものとしては分不相応ともいえる教育を受けることができました。

その後、師範学校を卒業し、高等小学校の教員を経て、現在の中日新聞の前身である名古屋新聞に勤務。その女性記者第一号となり活躍しましたが、上京を望み、わずか一年で退職しました。上京後、英語塾を主宰していた山田嘉吉・わか夫人のもとで英語を習いながら原稿書きを手伝っているうちに、「青鞜」の新しい女性たちと知りあいます。

1920年3月28日上野精養軒で「新婦人協会」を平塚雷鳥らと発会させ、以来女権拡張のために活躍しました。1924年久布白落実らとともに東京婦人会を中心に婦人参政権獲得同盟と改称しました。戦後いちはやく1945年11月に新日本婦人同盟を結成し会長となり、婦人参政権を得るや、日本婦人有権者同盟の会長に就任、参議院議員となり、売春防止法などの成立のために活躍しました。

選挙では常に法定費用をはるかに下回る費用で当選を重ね、清潔な選挙の代名詞となっています。1971年の選挙では落選してしまいましたが、1974年には全国区で193万票を得て復活しました。

晩年は、「平和なくして平等なく、平等なくして平和はない」というのが口癖だったといわれています。昭和56年2月11日。心筋梗塞で倒れるまで現役政治家として走り続けた彼女は、87才の生涯を終えました。その棺の中には、愛用の眼鏡、筆記用具とともに、「女子差別撤廃条約」のコピーが納められていたということです。

市川房枝は「新婦人協会」を平塚雷鳥らと発会させ、以来女権拡張のために活躍しましたが。論先行主義の平塚雷鳥に対して、市川は実践主義。理論や意識が先立ち、なかなか現実に結びつかなかった当時の婦人団体の中にあって、市川の運動家としての実行能力は重要な鍵でしたが、平塚は次第に批判的な態度をあらわにします。二人は決裂、市川は民主主義の本場でノウハウを学ぶために、当時婦人参政権が確立したばかりのアメリカへ単身渡ります。

平塚雷鳥は「婦人公論」に「新婦人教会の回顧」と題して、市川房枝に対して悪口雑言の限りを尽くし、分裂の原因を市川房江に押し付けています。

その婦選運動時代、「だいこんの花」「野中の一本杉」「もみくちゃの十円札」など様々なニックネームで呼ばれた市川房枝。飾らない素朴さ、口に出したことは必ず実行する、できなかったら責任をとる、という生来の人柄は、多くの女性たちの信頼を集めました。
昭和28年に行われた第三回参議院通常選挙。この選挙に於いて、市川房枝は、理想選挙を実践し、見事東京地方区第二位当選という快挙を成し遂げます。その理想選挙とは、「トラックもマイクも使わず、個人演説会も推薦人が立ち、運動の主力を法定のハガキとポスターに置き、候補者はラジオの政見放送と選挙公報に立候補受諾のことばを掲載する。」といったものでした。
最初は理想選挙の意味すら理解されませんでしたが、終盤この型破りの選挙を応援する有権者が増え、得票数19万1539票で二位当選。
この時の選挙費用なんと総計26万1038円。法定選挙費用155万9600円の約16パーセントでした。

悲願の参政権獲得。そして、周囲から参議院議員立候補をすすめられていた1947年、突然公職追放の通告を受けています。この事件では、占領軍に対して市川を中傷した者の存在が取りざたされましたが、市川は、生涯を通じて、「確証がないものは信じない」とひたすら耐えました。市川房枝という人は、世間の風評や中傷に対して、常にそんな潔さを持っていました。

しかし、一切の社会活動からしめだされる公職追放は、格子なき牢獄同然でした。講演や執筆を禁じられ、それで得ていたわずかな収入も絶たれます。家のまわりを耕して野菜をつくり、自給自足の生活。下駄に鼻緒をすげて内職し、豆炭やあめを売ったり、台所のゴミだけで飼えるからと、アヒルも飼ってみたり。もともと質素な生活だったのが、極貧に近い生活にまで落ち込みます。

住み込みで事務の手伝いをしていたミサオさんは、後に養女となるほど可愛がられていましたが、追放当時の市川を手記で振り返っています。
「政治に関係ない講演ならかまわないとのことでしたが、私に恋愛の話しを頼むわけにもいかんから、誰も頼んでこないよ、と笑っておられました。」
「何しろ万事に質素で、元津田塾大学学長の星野あい先生から教えてもらった、ひとりトランプ占いで夜中まで気晴らしをしていらした。」
「皆が道ばたで追放解除の署名運動をやってくれているらしい。すまないね、ありがたいね、と夕食の時ポツリとおっしゃった」など、ミサオさんにも決して「辛い」とは言わなかった市川ですが、後年、自伝の中で「死さえも考えた」と告白しています。

一方女性たちは、市川の追放決定後、直ちに追放解除の署名運動を繰り広げます。またたくまに17万。中にはアメリカ・カナダの女性指導者たちの名前もありました。それでも追放は3年7ヶ月続きました。
いつ終わるとも知れない追放に、「死さえも考えた」長く辛いトンネル。明かりをくれたのは、共に闘ってきた女性たちの市川へのあつい信頼でした。



 

ずっといた。

2010-12-19 23:42:22 | 日記
トイレにずっといた若い女性の事を書きましょう。
1時間近くいわゆる「誰でもトイレ」の中にいた模様。

それに気づいたのは、とても大きな声で、
携帯で話しているらしかったから。

このタイプのトイレは、一定の時間が経つと
中の電気が消えます。
ドアにガラスが入っていて、
中の照明が消えたのがわかります。
そして、暗い中で、話し声が続いていました。
約一時間後、そこから出てきた女性とすれ違いました。
ひと目でわかるのは、その場所では異質のファッションセンスだったから。
さらに、しっかりと手に携帯を握り締めていたから。

現在各地で、トイレで食事をする人の目撃談があります。
しかし、衛生面から、長居をするのは危険です。

誰でもトイレはそれを必要とする人がいるから
設置されています。
ちゃんとそれに気づかないといけません。

いくらおしゃれをしても、
トイレの神様はやって来ません。


バブル。

2010-12-18 23:22:23 | 日記
私にとってのバブルは、

明治大学証券研究会所属だった事と、
ハイヒールで走っていたという事です。

そして、ハイヒールのツケが時々襲ってきます。

その一つが腰痛です。

ほとんどぎっくり腰状態です…

大人なので(笑)
「このくらい動くとまずい事になりそうだ」という予感がします。

先日、まずい…と思うタイミングと
どうしても、重たいものを持ちつづけなくてはいけない日が
重なりました。

そして、現在、
とても、痛いのです…

パソコンが治ったのがせめてもの救いです。

ツケは必ず返ってきます。
そして、政治では
こどもにツケを回さないようにしましょう!

街を歩く、かかとの高い靴のお嬢さんたちを後ろから見ると、
心配になる、親心の毎日ですよ。

今夜は、小学生が2歳児をお風呂に入れて
寝かしつけてくれましたので、
日記が書けてます。

ともかく、安静にします。

しかし、今日の、代々木、新宿、笹塚、幡ヶ谷、代々木上原は
寒かった。
だから余計に痛むのですが、
まあ、歩き過ぎですね…

今日の月は綺麗でした。
21日の皆既月食もこのくらいの天気だと嬉しいですね。


お金のこと。

2010-12-15 00:58:14 | 日記
12月になって日記が滞りがちだったのですが、
本日私を取り巻く、難題に明るい光が見えたので、
日記を再開しようと思います。

私は、金融機関に就職して
辞めて大学院に入り、修了と同時に結婚したので
私の蓄えといえば、金融機関でのお給料が
メインでした。

そして、子育てを経て、
2回の選挙を終え、
さらに、子どもが授かり、
3回目の選挙を向かえると、
自分のみならず、親も高齢になり、
また子どもの成長に教育費もかかるようになり、
私の蓄えは、底をついたのでした。

選挙を来年4月に控え、
目下の最大の問題は、
お金のことです。

最初の選挙の時に「プチ雇用」という
言葉を使いましたが、
高齢でも、少ない金額でも、
自分が働いた対価を貰えるというのは、
必要な事だと考え、その支援を提案しました。

あれから、7年が経ち、日本の経済がどんどん悪くなって、
高齢の方のみならず、
主婦の経済状況は悪くなりました。

加えて、出費は簡単には下げられませんから、
何とか、「やりくりをする」という日常は、
多くの方が経験なさっているかもしれません。

お金をかけない選挙というのは、
言うのは簡単ですが、難しいものです。
私は、全国の候補者の中でも
選挙そのものには、お金は使いませんでした。
ただ、子どもが小さかった事
身近に、世話を頼める親族がいなかった事が重なり、
選挙費用と同じ額が、ベビーシッター代となったのでした。

そういう訳で、
現在、選挙資金を稼いでいるわけです。

徐々に
専業主婦で、2回落選すると、
選挙に突入するまでにハードルが高いのかについて
日記に書いていこうと思いますので、
よろしかったら読んでくださいませ。

では、仕事に戻ります…



大きくなった。

2010-12-11 23:49:47 | 日記
子どもがバイオリンをやっていたのですが、
今まで、子ども用の分数バイオリンでした。

今日、私と手の長さが同じになっていることを発見!

丁度、弦を換えに行ったので、
楽器店で大人用のバイオリンを持ってみた。

十分、手が届きます…

しかし、分数と違って、
機械製造は30万円位から
手作業は70万円位から
少し名の通った職人さんなら、100万以上、
もっと名の通った職人さんのものは、
注文待ち…

子どもの手は大きくなっても
支払う方は 心の準備が
その金額にすぐには届きません…

ちなみに、中学生位では大人用になるかなとの予想が、
大きく繰り上がりましたよ。



明日は少林寺拳法の演武会です。