「無所属」という言葉のイメージは、
何ものにもとらわれない自由がおありでしょうか?
以前の選挙時には何度も「無所属とはいっても、一番近い政党はどこですか?」と新聞社に何度も聞かれました。
でも、前回から4年経ち、国政での政権交代もあり、
小さな政党が乱立しているからか、今回は、「はい、無所属ですね」とすんなり終わります。
統一選の前半戦では、議員として議会に入ったら絶対に住民のためになるという候補者が何人も落選しました。
そこには、「無所属」への逆風が吹いていたかもしれません。
大震災は、人々の心の中に不安を生みました。
今日も地震で、街にいた人々が、声をかけあう光景が見られました。
現在は、3月11日に揺れを経験した国民は、
一体何に怯えているのでしょうか。
自然の脅威でしょうか。
私は、盆地育ちで、街の真ん中を急流が流れている街で子ども時代を過ごしました。
生まれた年には大きな洪水があり、また、その川の為に、
冬は、朝11時まで街中が霧に包まれるような場所でした。
星は良く見えるし、台風の季節にはそのルートを見つめ、
活火山が近くにあったので、地震も多くありました。
小学校の校庭で発生する竜巻(つむじ風レベルですが)を何度も見ました。
自然はいつも身近でしたから、
その優しさも怖さも知っていたように思います。
原発には何となくの恐怖を感じていました。
そして、大人になって、少しずつ原発の矛盾を知り、
原発推進者たちの行動を知り、
「そこまでして作りたい」もの原発が、
人間にはコントロールができないものであろうことは、
生物的勘で気がつきました。
そして、政治の世界に近づくに連れて、
大きく見えた力が、非常に弱いものの寄せ集めであると思い始めました。
何かに属する事は、何となく安心です。
「よりどころ」です。守ってくれそうな感じもします。
でも、それがシステムの中に組み込まれた時には、逆に
他のアイデアを邪魔する場合があることも事実です。
新しい知恵や突破口を作るのは、いつも、「異端児」です。
本当は、国民一人一人が自分の足で立ち、考え、
人に頼まれたからではなく投票すれば、変えられることがあります。
私は、それが原発であると思い始めています。
今は、安心感のある「政党」や「よりましな政党」に
目が行くかもしれません。
でも、忘れて欲しくないのは、
彼らには、止めるチャンスがあったのに止めなかったということです。
全ての現職には少なからず、現在の「怯える社会」を作った責任があります。
そして、今1票を持たない将来の世代に、この瞬間でも
借金を増やし、地球の環境を破壊し続けているということです。
誰が明るい未来へ突破口を開いてくれる異端児がわかりません。
この選挙のあとに当選した人たちが、新しい形を作る窓口になり、
国民は、自分たちの声をその窓口に届けて、公約を破っていないかを見守り、時には厳しくチェックする事が必要だと思います。
私は今まで無所属で選挙を戦いました。
現在の、現職に有利な公職選挙法の上で、不利な戦術を使い、負けてきました。
そんな私に、今、力はありません。
なのに、私が代表をしている政治団体が発行した新聞を攻撃する勢力があります。
最初は、発行元の部分をちぎりとって、ポストに入れられました。
「お前のいる場所はわかっているんだぞ」という意味でしょうか。
次は、10部以上をまとめて裁断機にかけたものを
ポストに入れられました。次の段階の、脅しでしょうか。
私は現職ではありませんし、
政党に所属もしていません。
組織や団体のしがらみもありません。
公職にあるわけではありませんので
「市民」としてはごく一般人です。
しかし、その一般人に執拗に攻撃をしてくる人たちが存在するのです。
こんな社会は、安全でしょうか?
そして、本当に、今までの政党やマスコミにコントロールされた情報社会の中で
幻の安定と安全が、このまま永遠に続くと思われますか?
私は、そう思いません。
無所属での情報発信はいろんなパターンがあっていいと思います。
その情報の中で「選ぶ権利」を私たち国民が自分の手に持ちたいのです。
私は、これからの子どもたちに、
「自分で選べる社会」と「これまでの世代が積み上げてきたもの」をできるだけ傷つけることなく残して行きたいと思っています。
それが、人として平等な社会であり、奇跡の星=地球です。
明日から1週間、統一地方選の後半戦が行われます。
私たちにしなければならないことがあります。
本当に、安心で安全な日常を私たちは自分たちで手に入れましょう。
何ものにもとらわれない自由がおありでしょうか?
以前の選挙時には何度も「無所属とはいっても、一番近い政党はどこですか?」と新聞社に何度も聞かれました。
でも、前回から4年経ち、国政での政権交代もあり、
小さな政党が乱立しているからか、今回は、「はい、無所属ですね」とすんなり終わります。
統一選の前半戦では、議員として議会に入ったら絶対に住民のためになるという候補者が何人も落選しました。
そこには、「無所属」への逆風が吹いていたかもしれません。
大震災は、人々の心の中に不安を生みました。
今日も地震で、街にいた人々が、声をかけあう光景が見られました。
現在は、3月11日に揺れを経験した国民は、
一体何に怯えているのでしょうか。
自然の脅威でしょうか。
私は、盆地育ちで、街の真ん中を急流が流れている街で子ども時代を過ごしました。
生まれた年には大きな洪水があり、また、その川の為に、
冬は、朝11時まで街中が霧に包まれるような場所でした。
星は良く見えるし、台風の季節にはそのルートを見つめ、
活火山が近くにあったので、地震も多くありました。
小学校の校庭で発生する竜巻(つむじ風レベルですが)を何度も見ました。
自然はいつも身近でしたから、
その優しさも怖さも知っていたように思います。
原発には何となくの恐怖を感じていました。
そして、大人になって、少しずつ原発の矛盾を知り、
原発推進者たちの行動を知り、
「そこまでして作りたい」もの原発が、
人間にはコントロールができないものであろうことは、
生物的勘で気がつきました。
そして、政治の世界に近づくに連れて、
大きく見えた力が、非常に弱いものの寄せ集めであると思い始めました。
何かに属する事は、何となく安心です。
「よりどころ」です。守ってくれそうな感じもします。
でも、それがシステムの中に組み込まれた時には、逆に
他のアイデアを邪魔する場合があることも事実です。
新しい知恵や突破口を作るのは、いつも、「異端児」です。
本当は、国民一人一人が自分の足で立ち、考え、
人に頼まれたからではなく投票すれば、変えられることがあります。
私は、それが原発であると思い始めています。
今は、安心感のある「政党」や「よりましな政党」に
目が行くかもしれません。
でも、忘れて欲しくないのは、
彼らには、止めるチャンスがあったのに止めなかったということです。
全ての現職には少なからず、現在の「怯える社会」を作った責任があります。
そして、今1票を持たない将来の世代に、この瞬間でも
借金を増やし、地球の環境を破壊し続けているということです。
誰が明るい未来へ突破口を開いてくれる異端児がわかりません。
この選挙のあとに当選した人たちが、新しい形を作る窓口になり、
国民は、自分たちの声をその窓口に届けて、公約を破っていないかを見守り、時には厳しくチェックする事が必要だと思います。
私は今まで無所属で選挙を戦いました。
現在の、現職に有利な公職選挙法の上で、不利な戦術を使い、負けてきました。
そんな私に、今、力はありません。
なのに、私が代表をしている政治団体が発行した新聞を攻撃する勢力があります。
最初は、発行元の部分をちぎりとって、ポストに入れられました。
「お前のいる場所はわかっているんだぞ」という意味でしょうか。
次は、10部以上をまとめて裁断機にかけたものを
ポストに入れられました。次の段階の、脅しでしょうか。
私は現職ではありませんし、
政党に所属もしていません。
組織や団体のしがらみもありません。
公職にあるわけではありませんので
「市民」としてはごく一般人です。
しかし、その一般人に執拗に攻撃をしてくる人たちが存在するのです。
こんな社会は、安全でしょうか?
そして、本当に、今までの政党やマスコミにコントロールされた情報社会の中で
幻の安定と安全が、このまま永遠に続くと思われますか?
私は、そう思いません。
無所属での情報発信はいろんなパターンがあっていいと思います。
その情報の中で「選ぶ権利」を私たち国民が自分の手に持ちたいのです。
私は、これからの子どもたちに、
「自分で選べる社会」と「これまでの世代が積み上げてきたもの」をできるだけ傷つけることなく残して行きたいと思っています。
それが、人として平等な社会であり、奇跡の星=地球です。
明日から1週間、統一地方選の後半戦が行われます。
私たちにしなければならないことがあります。
本当に、安心で安全な日常を私たちは自分たちで手に入れましょう。