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「ねえ佐々木さん、髪型変えてみたら?」
理科の授業の時、同じ班の岡本さんからそう声を掛けられた。
いつからそうしてたのかはよく憶えていないけれど、
少なくとも三年生になってからは、ずっと肩口までのセミロングのままだったと思う。
「うーん、私は別にこのままでも良いと思っているけれど」
「そんなんだから、アイツといつまで経っても進展しないのよ」
「アイツ……キョンの事?」
はあ。一体何度この事を聞かれたのだろう。岡本さんだけにしたって、これで何度目なのか判らない。
「だから彼とはそんなんじゃないんだって。ただの塾友達だよ」
「ただの塾友達が自転車の後ろにいつもいつも乗せてってくれるのかしらね。
それに、あなただってよくそれに付き合ってる。それでただの塾友達なんて、ヘンだわ」
「だからそれも前に言った通り、道が同じだしバス代が浮くからだって」
「ふーん? 佐々木さんの為ならバス代わりになりそうな男子がここにはいっぱいいる気がするけどね。
例えば……ほら、そこの須藤とかさ」
水を向けられた須藤君が机の上に突っ伏す。実験机だからきっとあまり清潔じゃないと思うけど。
「ちょっ、勝手な事言ってんなよ岡本?!」
起き上がった須藤君は反論の言葉を上げたが、岡本さんは素知らぬ顔で相手にしない。
「はいはい、怒らない怒らない。ま、そんなのはどうでもいいわ。
とりあえず一度やってみる事を勧めるけど。彼がどんな反応をするのか。面白いと思うわ」
今は5月の終わり頃。夏日を記録する日も増えてきた辺りだった。
髪型か……彼はどんなのが好みなのだろう?
442 :2/4:2007/04/12(木) 00:12:07 ID:QzD2R3c/
6月に入って最初の土曜日。この日は朝から温度も湿度も高く、かなり不快指数の高い日だった。
何か思う所があった訳でもなく、この前の岡本さんの言葉が引っ掛かっていた訳でもないけれど、
その日、私は髪を結い上げて――世間一般に言うポニーテールで――登校した。
「おはよう、佐々木さん」
教室に入って、挨拶してきたのは岡本さんだった。私も挨拶を返す。
「今日はポニーテールなんだね? すごく良いと思うよ、それ。アイツもイチコロだね」
くすくすと笑う岡本さんに、だからそうじゃないんだ、と反論しようとした時。
「はよー」
彼が来た。
「やあ、おはようキョン。相変わらずだるそうな顔をしているね」
くっくっと喉の奥で笑ってみせる。彼に対しての私のいつもの笑い方だ。
「お前……佐々木か?」
「僕が僕以外の誰だっていうんだい? まったくキョン、キミと来たら早速脳細胞にカビが生え始めたらしいな」
「あ、ああ……」
私を目視確認した後の彼の様子は明らかに変だった。何か呆然としているような、うろたえているような、
どうしたらいいのか判らずに思考がストールしてるような。
「キョン、どうしたんだ? 体調が悪いなら帰って休養する事をお勧めするよ。夏風邪は性質が悪いと言うしね」
「い、いや大丈夫だ。それよりお前、何だその髪型は。珍しいな」
「これか? 今日は暑いからね。しかし素に返った途端にいきなりそんな台詞が出てくるとはね、
キミはいつものキョンのようだ。心配して損をしてしまったよ」
「ああ、悪かった」
ふと笑った彼は手を振って、自分の席へと向かう。
「……彼もまあ、随分と判りやすい事ね。言った通りでしょ? きっと面白いって」
確かにいつもと違う彼の反応は面白かったけれど――
443 :3/4:2007/04/12(木) 00:14:27 ID:QzD2R3c/
翌週、雨の振る月曜日。珍しく通学路で彼を見掛けた。
「おはよう、キョン」
「おう」
振り返る彼の視線を傘で遮蔽し、ゆっくりと顔を合わせる。
「……さ、さき? お前、髪」
「ん?」
彼の視線の先にはショートカットになった私の顔があるはずだった。
「切った、のか」
「ああ、暑くなったからね」
彼の反応を見て、私は笑った。なるほど、確かにこれは面白い。
「そう、か。そう、だよな。暑くなったもんな」
随分と歯切れ悪く彼が言う。はは、という彼の笑い声も、陽気に似合わず随分と渇いた感じがした。
前言撤回。
もしかして、やっちゃったのか、私は?
どうしよう。どうしよう。
今更ながらによくよく考えてみれば、土曜日彼が見せたあのリアクションは
彼なりの褒め言葉だったようにも解釈できなくもない。早とちりした一昨日の自分が恨めしくてしょうがない。
こんなにも自分が鈍感だったなんて、私って、何て莫迦。
444 :4/4:2007/04/12(木) 00:16:43 ID:QzD2R3c/
その後教室までずっと、私達は無言のまま共に歩いた。
ホームルームが終わっても、頭の中はずっと後悔が渦巻いているばかり。
だからと言っていつまでもこんな気持ちを抱えてもいられない。とりあえず、彼と何か話を――
「佐々木」「キョン」
何て間の悪い! まさかこのタイミングで呼び掛けを同時にしてしまうなんて。
「キョン、キミが僕よりも数ミリ秒程度先に口を開いたのだからまずはキミから話すべきだ。反論は受け付けない」
「そ、そうか、じゃあ……佐々木」
何でだろう、喉が渇く。唾を飲み下した時のごくり、という音がやけに大きく響いたように感じた。
「お前、一限の宿題、やってる?」
「はあ?」
「いや、今教科書を開いて思い出したところなんだ。一限始まるまででいいから、頼む。ちょっと写させてくれ」
「……まったく、キミには呆れたな」
私が一体どんな思いでいたかなんて、キミには何の関係もないんだね。
「まあいい、始まるまでならね。まったく、僕はキミの代わりに宿題をやっているわけじゃないんだけどね」
「あのなあ、それを言うなら俺の自転車の荷台だって、お前専用ってわけじゃないんだぜ」
「塾への輸送分で相殺しようって事かい? くく、まあいいだろう。そういう事にしておいてあげるよ。
ああそうだね、今日もお願いしようか。なに、傘くらいならキミの代わりに差してやるさ」
そう、彼の自転車の後ろは、代わりなど存在しない私の指定席。
誰にも譲るつもりなんてないんだから。
「ところで佐々木、さっき言いかけたのは何だったんだ?」
「……もう、どうでもいいことさ」