Carpe Diem

シンシナティ大学で都市計画を勉強していた、ある大学院生の物語。現在はマンハッタンで就活。

僕たちはどこにも行けない。

2013-02-02 00:13:35 | study abroad
アメリカに来て人生のリアルというか、本質が少し見えてきた。
「僕たちはどこにも行けない。
 でもどこにでも行ける可能性もあるということ。」
ちょっとだけそう考えるようになったことの背景を。

僕は日本にいた時は歳を取るにつれて多く能力が身に付くのだと思った。
それはここアメリカにいても同じような事実だった。
でも、日本では必要以上に先輩を意識していた。
1つ、2つ歳が違うだけですごいように感じる時もあった。
日本にはそう感じさせる文化とか雰囲気があるんだろう。
でも結局は僕も人間だし、その人たちも同じ人間だから、
実際は僕にもその人たちにも長所もあるし、短所もある。
年上だから偉いとか、年下だからどうだとかというのは
少し本質から外れているように思える。
アメリカだと25歳の僕は、50歳の友達とも対等だし、
学部一年生の18歳ぐらいの人たちとも対等だ。
もちろん実力の差はあったりするけど、
人間的に同じことに変わりはない。
不思議に聞こえるけど、先生も尊敬はするけど、
一人の人間としては対等の立場であるし、
先生方もそのように接するから、コミュニケーションもしやすい。

そうやって、色んな年齢の人たちを対等な視点から捉えると、
今まで自分が持っていた将来に対する幻想が驚くように消えてしまった。
これまではもっと頑張ったら、もっと完璧になると考えていた。
例えばアメリカに留学したら、成長してもっと人として一回り大きくなれて、
みんなから尊敬されるというような、小さなことを考えていた。
結局アメリカに来ても自分は自分で、いい所もあれば悪い所もある。
僕のことを慕ってくれる人もいれば、嫌う人もいる。
それはどんなに歳をとってもきっと変わらない事実。
そうやって将来のことを想像すると、
それはもっとリアルに感じられて、
今の僕みたいに仕事をこなしたり、
人間関係で喜んだり、悩んだりして、
将来のことに対して不安を抱えているのは変わらないんだろう。
結局将来の自分は今の自分とそんなに変わらない。
だから「僕たちはここからどこにも行けない。」

でも物事をそうやってリアルに捉えると前に進むことが難しくなる。
僕の場合は将来の理想とか夢とかがモチベーションになっていたから、
それを失うということは行動するエンジンがなくなるのに等しい。
そうするとやる気がでなくなる。
じゃあどうしようか、2週間ほどそれを悩んでいた。
そんな時にふと目に留まったのがMIT教授の石井裕さんのtwitter。
そこには2200年を考えて、今を生きろというようなフレーズが。
もしかしたら読者の中には「何をばかな。」と感じている人もいるだろう。
ここで僕が言いたいのは僕たちが死んだ後の世の中に何を残せるか考えながら、
毎日の行動に意味を持たせてみようということ。
世界のほとんどの人たちが一日にできることはわずかなことだけ。
でもその一つ一つの行動に意味を持たせることで、
小さな一つ一つの行動が積み重なってついに大きな何かを成し遂げるはずだ。
その小さな発想の転換でいま僕は「どこにでも行けると可能性がある」。

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