史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

記紀神話:人話と神話

2019-11-25 | 記紀神話
神と人の狭間で
以上ここまで『古事記』と『日本書紀』に収められた神話の中のイザナギ・イザナミ両神による神生みまでの部分、即ち『日本書紀』で言うところの神代上巻第五段までの部分を通しで読み進めてきましたが、特に黄泉巡りの件を読めば誰しも気付く通り、これらの物語は人の世の出来事が神格化されたものと、自然界にまつわる伝承や迷信の類が入り混じる形で構成されています。
従ってこうした神話を少しでも史実に近付けることで、そこに語られている本旨の解読を試みようとする場合、本来ならば人話であるところの部分と、全くの神話の部分とを分離する作業が必要となります。
そこで神世七代から天照大神までを上記の二系統に分類してみると次のようになります。

上古の神々とは
まず『古事記』の冒頭で語られている五柱の別天つ神については、『日本書紀』本文でこそ触れられていないものの、出雲大社に御客座五神として祀られていることなどから、上古の重要な神々であることは間違いないものと思われます。
中でも最初に現れた天之御中主神などは、そのまま読めばまるで宇宙の中心の神のようにも受け取られ兼ねませんが、二番目の古神である高御産巣日神(『日本書紀』では高皇産霊尊に作る)が、高天原の神話では天孫瓊瓊杵尊の件に登場するところを見ても、やはりこの五柱の高神もまた人の世の神である可能性が高いと言えます。
例えば五柱に続く神世七代の最後となるイザナギ・イザナミの両神が国を生んだとしながら、別天つ神の四番目に当たる宇摩志阿斯訶備比古遅神という神名は、『日本書紀』一書でも解説されている通り、明らかに天界ではなく地上にまつわる名称なのです。

続く国之常立神(国常立尊)に始まる七代についても、独神二柱と五対十柱の男女神(『日本書紀』本文では独神三柱と男女神四対八柱)の神名が、尽く地上にまつわる名称であることから、やはりこの七代もまた想像上の天空神などではなく、かつて実在した人の世の祖先神であろうと思われます。
ではなぜイザナギ・イザナミの両神が、まるで万物の創造主であるかのように描かれているのかというと、この両神を境として日本が大転換期を迎えたからであり、それは言うまでもなく天照大神の出現に他なりません。
つまりイザナギ・イザナミの夫婦神が、この国の全ての人民の父母とされているのは、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三神を生んだからであり、この三柱の神から日本史は始まっているのです。
ただ『日本書紀』では神世七代の主要な神とされる国狭槌尊が、『古事記』では七代の中に入れられていない理由についてはよく分かりません。

創造の夫婦神とは
神世七代に続く国生みの神話について言えば、イザナギ・イザナミが日本列島を生んだなどという子供でも信じないような話は当然無視してよいでしょう。
しかし個々の内容を人の世に照し合せてみると、一概に神話と切り捨てるのは早計と言える面もあります。
例えば記紀共に国生みの物語は、天浮橋から海原へ矛を指し下したところオノゴロ島を得たので、両神はその地へ天降って次々に国を生んだと伝えています。
このように矛を下に突き刺すという行為は、その土地が自分の私有物であることを示すか、またはこれから領有する意思を表すものであって、淡路島に始まって順次国を生んで行ったという話も、その後の領土の拡大を神話化したものだと言えなくもありません。
無論それがイザナギ・イザナミの業績であるかどうかは別にして。
そしてイザナギが葬られた地を『古事記』は近江とするのに対して『日本書紀』は淡路島としており、一書(第十)では黄泉国から帰ったイザナギは初め淡路海峡で禊を試みたとするなど、淡路とイザナギが浅からぬ関係にあることを暗示する伝承もあります。

国を生み終えたイザナギ・イザナミは、次に神々を生んで行く訳ですが、前記の如く『古事記』で神生みの最初に出てくる大事忍男神から風木津別之忍男神までの七柱の神々は、『日本書紀』には一切その名が見えません。
通常これらの諸神については、それぞれ何らかの自然現象等が神格化されたものと解釈されることが多い。
しかし他地域の神話にも同様の起源が見られるように、もしイザナギ・イザナミが上古に実在した人物だったとすると、当然この夫婦には子供があった筈なので、案外オホコトオシヲからカザモツワケノオシヲまでの七柱というのは、両神の実子が神話化されただけの可能性もあります。

次いで海の神に始まる自然神が生まれたとする件にしても、古来祭事に臨んでは森羅万象を司る八百万の神々を祀るのも王の務めでしたから、案外これは祝詞か何かに出てくる諸神を紹介しただけのものかも知れません。
また水戸の男女神から四対八柱の水神が生まれ、山の神と野の神との間に同じく四対八柱の山神が生まれたという件は、やはり『古事記』にだけ見える話で、『日本書紀』には出てきません。
この水神と山神とに限らず、『古事記』にはその後も似たような数字の羅列が何度も出てきますが、イザナギが火の神カグツチを斬ると、血を帯びたその刀から八柱の神が生まれたとか、同じくカグツチの死体からは八柱の山津見が生まれたなどというのは、数に統一性を持たせようとする意図的な加飾くらいに見ておいて構わないでしょう。

もともと『古事記』の編纂は、天武帝の「帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽を削り実を定めて、後葉に流えむと欲す」という宣により始まったとされます。
しかし勅旨とは裏腹に実際の『古事記』は、明らかに何者かの手によって創作された史書で、その趣旨にしても正しい歴史を後世に伝えようというものではなく、完成された物語を作り上げてそれを唯一の国史に認定するというものでした。
現実的に考えても、口伝によって代々受け継がれてきた祖先の伝承が、ここまで理路整然としている筈もありません。
そもそも歴史に正解など有り得ないのですから、むしろ『日本書紀』一書のように統一性がなく、断片的で不完全な伝承の方が、より自然な歴史の形と言えなくもありません。

次いで『古事記』や『日本書紀』一書では、カグツチを生んだことによりイザナミが負傷し、その吐瀉物や排泄物から、鉱物・粘土・水の神々が生まれたという話が続きます。
ただここで語られているように、神々の身体や体液から万物が生じたという神話は、世界中に類似の伝説が無数にあるのも事実なので、考古学や民俗学上の価値はともかく、史学的には余り足を止めるような箇所でもないかと思われます。
その後のカグツチの死については、既述したのでここでは省きます。
要はどちらも現世の出来事を下地にした話ではなく、金土水の創造と火山の噴火にまつわる想像上の話であり、歴史を読み解く上では軽く読み流して問題ないでしょう。

黄泉巡りとは
イザナギの黄泉巡りに関しては、比較的人話と神話の区別が付きやすいものです。
まず人話の部分だけを抜粋して並べてみると次のような話になります。
イザナミはイザナギとの間に何人もの子を儲けましたが、あるとき産後の肥立ちが悪く他界してしまいました。
最愛の妻を亡くしたイザナギは、悲しみの余り妻を一目見ようとモガリの場へ会いに行きましたが、そこで見たものは腐りかけて蛆の集った妻の姿でした。
驚いたイザナギは急ぎその場を去ると、陵墓の入口を大岩で塞いで埋葬し、その前で葬儀の神事を行いました。
神事を終えたイザナギは、着ていたものを全て脱ぎ捨ててミソギを行い、海水で死穢を祓った後、再び独り現世に戻って行きました。
イザナミの死後もイザナミは子宝に恵まれ、晩年になってアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三子を授かりました(『日本書紀』本文では両神の間に生まれたとします)。

逆に人話ではない部分を並べてみると、イザナミが生前と同じようにイザナギと会話をしているのはともかくとして、イザナミの遺体に雷があったこと、帰ろうとするイザナギを黄泉醜女等に追わせたこと、それをイザナギが神力で防いだこと、イザナギの身に着けていたものが神になったこと、イザナギの禊から神々が生まれたこと等です。
このうちイザナギが黄泉国から逃げる話については、昔話「三枚のお札」にも見られるように、他にもよく似た話が多々伝わっているので、敢て立ち入るまでもないでしょう。
また黄泉から戻ったイザナギが多くの神々を生んだ話についても、そこに生まれた神々の名称が現生の人間にまつわるものとは思えないので、取り敢えずは装飾程度の認識で問題ないかと思われます。

カグツチの死とは
前にカグツチの死は火山の噴火だと言いましたが、イザナミの遺体から八柱の雷が生じたという件については、一体それが何を意味しているのか実のところよく分かりません。
恐らくは神の死と雷にまつわる何らかの伝説があって、それがイザナミの死に擬せられたものだと思われます。
或いは別の見方をすると、カグツチはほぼ誕生と同時に斬り殺されているので、火山の噴火は単なるカグツチの死ではなく、むしろ誕生と死を同時に表現したものだとも受け取れます。
確かに火口から火柱と噴煙が吹き上げる様は、まさに火の神の生誕と呼ぶに相応しい光景であり、火の神を生んだがためにイザナミが陰を焼かれたという描写も頷けます。
するとイザナミの体から発していた雷というのは、さしずめ火山雷ということになるでしょうか。

三神の設定とは
イザナギは最後にアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三神を生みました。
そしてこの三神がそれぞれ日神・月神・龍神に擬せられていることは誰もが知っています。
但しそれはあくまで擬せられているというだけのことで、三神がそのまま太陽・月・龍の化身だということではありません。
例えば天照大神というのは美称(或いは死後に贈られた諡号)であって、正しい神名は大日孁貴または大日孁尊であり、古来日本では貴い身分にある男子を日子(彦)、女子を日女(姫)と呼ぶように、人名として捉えれば別段珍しい名前でもありません。
現に後の高天原の神話の中でも、天照大神は決して日神などではなく、神田として田畑を所有したり、女性の嗜みとして機織りをしたりしています。

そのアマテラスと共に高天原を治めたというツクヨミにしても、『日本書紀』本文では単に月神とし、別名として月弓、月夜見等を伝えており、アマテラス=太陽、ツクヨミ=月という神話としての設定を崩していません。
しかし「月読」を素直に「月読み」と訳せば、それはそのまま暦のことで、いつの時代も暦の制定は君主の大権でしたから、「月読尊」が「暦の尊」であるならば、それは王もしくは王権を代行する者に他なりません。
これに従うと月読尊というのは、高天原にあって姉である天照大神を補佐していたか、(後の厩戸皇子や中大兄のように)その政務を代行していた存在となり、両者が共に高天原を託されたというのも納得が行く訳です。
因みにここでは触れませんでしたが、『日本書紀』一書(第十一)では、日神と月神が各々昼夜に分かれた由来なども伝えていて、それはそれで面白い話なので、興味のある方は一読しても良いでしょう。



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