史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

記紀神話:出雲神話

2020-01-19 | 記紀神話
出雲の大国様
続いて出雲神話は大国主神(大国主命)が主役の局面に入ります。
大国主神は大物主神または大己貴神とも言い、更に多くの別名を持っています。
そのオオクニヌシの物語を『古事記』に従って簡単に追ってみると、オオクニヌシには八十(大勢)の兄神がいましたが、その兄達は皆身を引いてオオクニヌシに国を譲ってしまいました。
その身を引いた理由というのが、兄達は各々稲羽(因幡)の八上比売に求婚する心があったからで、共に稲羽へ行った時には、大穴牟遅神に(皆の荷物を入れた)袋を持たせ、従者として連れて行きました。
そして気多(気高郡)の前まで来た時、裸(毛を剥がれた)の兎が伏せていました。
-白兎の話は割愛-
これが稲羽の素兎です。
その兎がオオナムヂに申すには、八十神はヤガミヒメを得られまい、今は袋を負わされるとも貴方が獲られるだろうと。

果してヤガミヒメが八十神に答えて言うには、自分は貴方達の言葉は聞かない、オオナムヂに嫁ぐといいます。
八十神はこれに怒り、共謀してオオナムヂを殺そうとし、ある時は伯伎国で狩りに誘い、自分達が追い下した赤猪を待ち受けて仕留めるよう命じておき、猪に似た大石を焼いてから転がり落として大火傷を負わせ、またある時は欺いて共に山へ入り、予め大木に切れ目を入れて楔で止めておき、オオナムヂが木陰に来たところで楔を外して下敷きにするなどしました。
オオナムヂの母親がこの様子を見て、汝はここに居れば八十神に滅ぼされてしまうと言い、木国の大屋毘古神の所へ遣わしました。
しかし八十神は木国まで追ってきてオオナムヂを出せと迫ったので、大屋毘古神は木の俣からオオナムヂを逃がし、須佐之男命の坐す根の堅洲の国へ行けば何とかしてくれるだろうと助言します。

根の堅洲国訪問と結婚
オオナムヂは大屋毘古神に言われるままにスサノオの所へ参り到ると、スサノオの娘の須勢理毘売が出てきてオオナムヂを見ました。
二人は一目で恋に落ち、その場で結婚を誓うと、スセリビメは戻って「とても麗しい神がきました」と父に伝えました。
そこでスサノオが出てオオナムヂを見るや、「これを葦原色許男と言うぞ」と言い、呼び入れてその日は蛇の室に泊め、また次の日の夜は百足と蜂の室に入れましたが、どちらもスサリビメの内助によってオオナムヂは難を逃れます。
またスサノオは鏑矢を大野に射放つと、オオナムヂにそれを取って来るように命じ、彼が野に入ったところで周りから火を点けました。
四方を炎に囲まれて逃げ場を失ったオオナムヂでしたが、野鼠の助言により足下に空いていた穴に身を隠して野火から逃れることができました。

一面の焼け野原を見て、スサリビメは泣きながら弔いの用意をし、スサノヲもまた奴は死んだと思って野に出てみると、オオナムヂが鏑矢を持ち帰ったので、家の広間に招き入れて頭の虱を取らせました。
しかしオオナムヂがスサノヲの頭を見ると、そこに蠢いているのは虱ではなく百足でした。
それもスサリビメの内助により、あたかも百足を取って噛み砕いているかのように装うと、それを見たスサノヲはオオナムヂを愛おしく思い、そのまま寝てしまいました。
そこでオオナムヂは眠るスサノヲの髪を梁に結い付けると、室の戸の前に大岩を置き、スセリビメを背負い、スサノヲの太刀と弓と琴を奪って逃げ出しました。
途中琴が樹に触れて鳴ってしまいスサノヲが目を覚ましましたが、梁に結い付けられた髪を解く間に遠くへ逃げることができました。

スサノオは黄泉比良坂まで追って来て、逃げる二人を遥かに望み、呼びかけて「汝が持つその太刀と弓をもって、汝の兄弟を追い伏せ追い払って、お前は大国主神となり、また宇都志国玉神となって、我が娘のスセリビメを正妻とし、宇迦(出雲郡宇賀郷)の山本に太い宮柱を掘り立て、高天の宮殿に居るがよい」と言いました。
前にスサノヲがオオナムヂを見て言った「アシハラノシコヲ」とは、「葦原の強い男」という意味ですが、確かに他国へ来るなりその国の姫君を口説き、その上で大神に面会しているのですから、度胸だけなら天下一品でと言えるでしょう。
そしてオオナムヂはスサノヲの太刀と弓を持って八十神を退け、初めて国を作りました。
稲羽のヤガミヒメを先の契りに従い婚約して迎え入れましたが、彼女は正妻のスサリビメを畏れて、オオナムヂとの間に生まれた子を置いて国へ帰って行きました。

人話として読み解く出雲建国
ここまでを軽く読み返しておくと、まずオオクニヌシと兄達との件については、物語の主人公に複数の兄(姉)が居り、その兄達は皆で末弟(妹)を従者のようにこき使い、自分達は我先に利益を得ようと試みるも、意に反して末子に幸福が訪れてしまい、妬んだ兄達が末弟を害そうと謀り、遂には弟に敗れるという結末は、世界中に同様の話が数多く伝わっており、別段珍しいものではありません。
同じく(ここでは省きましたが)因幡の白兎にしても、類似の伝承がアジア各地に見られるようなので、やはり日本固有の神話という訳ではありません。
恐らくこの逸話の粗筋は、出雲の八十神が求婚に来ることを知ったヤガミヒメが、予め道中に家臣(兎)を配しておき、兄弟の本性を探らせたというものでしょう。
また複数の兄(姉)が皆して家を出てしまい、末子に家督を押し付けるというのもよくある話ですが、オオクニヌシが出雲建国の父とされていることからすると、案外この頃は因幡の方が大国だったのかも知れません。

続くオオクニヌシが根の堅洲国へスサノヲを訪ねたという逸話にしても、非力な主人公が苦難を承知で虎穴に入り、過酷な試練を経て勇者となった後、故郷に戻ってかつての敵に勝利するという粗筋は、英雄伝説の雛型とも言うべきものなので、改めて言及するまでもないでしょう。
無論ここでオオクニヌシの頼った国と相手が、果して根の堅洲国とスサノヲだったかどうかは別にして、要は兄からの敵意によって身の危険に曝された(神話では兄達の手で二度殺され、その都度生き返ったことになっています)オオクニヌシが他国へ亡命し、その国の王女と結ばれたことで父王の入婿となり、娘を正妻とすることを条件に舅の助力を得て祖国へ帰還し、兄達を退けて国王になったという話です。
これが神話になると様々な脚色が施されてしまうので、却って話の本筋を見えにくくしてしまいますが、純粋に建国の部分だけを抜粋すれば至って分かり易い内容となっています。

以上がオオクニヌシの建国までの物語です。
続いてオオクニヌシ(『古事記』ではここから呼び名が八千矛神となっています)が高志(越)国の沼河比売を娶ろうとして現地まで赴き、姫との間で歌を交わした話や、スセリビメの嫉妬が余りに激しいので、萎えたオオクニヌシが出雲を出て行こうと決めたものの、互いに歌を交わすことで仲直りしたという話が続きます。
これらは国史というより男女の恋歌を主題とする話で、その後にオオクニヌシの妃と後裔が列挙されています。
実のところオオクニヌシはかなりの艶福家で、「英雄色を好む」の格言通り、出雲建国の伝説的な国神でありながら、こと女性に関してはお世辞にも節操があるとは言えませんでした。
正妻のスセリビメにしてみれば、もともとオオクニヌシが出雲の国主になれたのは、自分の父スサノオの威光と、自分の内助の功があったからで、自分は父の意向に逆らい駆落ちまでして添い遂げたというのに、浮気ばかりしている夫が許せなくて当然です。
そんなところは後の北条政子とよく似ています。

スクナヒコナと三輪山の神
続いて出雲神話はオオクニヌシと小名毘古那神(『日本書紀』では小彦名命に作る)による国作りを伝えています。
『古事記』ではスクナビコナを神産巣日神の子としており、オオナムヂとスクナビコナの二柱が相並んで国を作り堅めたとしますが、国作りの詳細については何も語られておらず、その後にスクナビコナは常世国に渡ったとだけ伝えます。
スクナビコナに去られたオオクニヌシがこれを愁いて、「吾独りでどうして能くこの国を作れようか、いずれの神が吾と能くこの国を相作れようか」と嘆くと、海を光に照らして近付いて来る神がありました。
その神が言うには、「能く我を治める(祀る)ならば、我が共に与して相作り成すだろう。もしそうしないならば国が成ることは難いだろう」と言います。
そこでオオクニヌシが「ならば如何にして治め奉るべきか」と尋ねると、その神は答えて「吾を倭の青垣の東の山の上に奉れ」と言いました。
これが御諸山(三輪山)の神です。
そして最後にスサノヲと神大市比売との間に生まれた大年神の系譜を載せて『古事記』の出雲神話は終っています。

『日本書紀』に見る出雲神話
以上ここまで『古事記』の出雲神話を見てきましたが、『日本書紀』本文は八岐大蛇と草薙剣にまつわる話を伝えるだけで、大己貴神については単に素戔嗚尊の子と紹介するだけです。
八岐大蛇の話は他にも一書(第二、第三、第四)で扱っており、大まかな内容は全書を通して大差ありません。
しかし『日本書紀』では、その後に続くオオクニヌシと八十神との関係や、因幡の白兎や八上姫との物語、根の堅洲国やスサノヲとの関係、多くの妻妾達との逸話に関しては、本文一書共に全く記されていません。
更に言えば、これらの出雲神話は『出雲風土記』にも収録されておらず、『因幡風土記』は現存しないので、出雲建国という重要な歴史でありながら、現状では『古事記』の中にだけ残っていることになります。

唯一『日本書紀』では一書(第六)の中に、大国主神はまたの名を大物主神と言い、または国作大己貴命と言い、または葦原醜男と言い、または八千戈神と言い、または大国玉神と言い、または顕国玉神と言い、その子孫は凡そ一百八十一神有ると伝えています。
そしてオオナムチは小彦名命と力を合わせ、心を一つにしてて天下を経営したので、今に至るまで百姓はその恩頼を蒙っているといいます。
かつてオオナムチがスクナヒコナに語って、「吾等の造った国は善く成ったと言えようか」と言うと、スクナヒコナは答えて、「或いは成れる所も有り、或いは成らざる所も有り」と言いました。
この二人の問答について『日本書紀』の著者は、「この談話には恐らく深い旨があるようだ」としています。
また『古事記』ではスクナヒコナを神産巣日神の子とするのに対して、『日本書紀』一書(第六)では高皇産霊尊の子としています。

また面白いのは、その後に続く三輪山の神の話が、『古事記』とは真逆の内容になっていることで、スクナヒコナが常世郷へ去った後、オオナムチは国中の未だ成らざる所を独りで能く巡り造りました。
遂に出雲に到ったとき、わざわざ言葉に出して「葦原中国はもと荒れて広く、岩石や草木に至るまで尽く強暴だった。しかし既に砕き伏せて順わぬものはない」と言い、更に続けて「今この国を治めるのは吾唯一人である。蓋し吾と共に天下を治むべき者があろうか」と言いました。
すると海を光に照らして浮かび来る者があり、「もし吾在らざれば汝は能くこの国を平らげたろうか。吾在ればこそ汝は大きな国を成したのだ」と言います。
オオナムチが誰かと問うと、答えて「汝の幸魂奇魂である。吾は大和の三諸山に住みたいと思う」と言うので、当地に宮を造ってその魂を招きました。
これが三輪山の神だといいます。

出雲と朝鮮半島
一方で『古事記』にはない話として、『日本書紀』一書(第四)では、高天原を追放されたスサノヲは、子の五十猛命と共に新羅の国へ降りましたが、「この国には居たくない」と言って遂に埴土で舟を作って東へ渡り、出雲国の簸の川上にある鳥上の峯に到ったとあります。
そしてその後に人を呑む大蛇と草薙剣の話が続きます。
同じく一書(第五)には、スサノヲが「韓国の島には金銀がある。もし我が子(五十猛命)の治める国に船がなければよくないだろう」と言って、杉・樟・桧・槙などの種子を播いたとあります。
出雲の海岸と新羅の関りを示す伝承は(スサノオは出て来ませんが)『出雲風土記』にも見えており、当時の山陰地方と朝鮮半島南部を結ぶ海路の存在を今に伝えるものとなっています。


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