史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

記紀神話:八岐大蛇

2020-01-09 | 記紀神話
『古事記』と出雲神話
続いて記紀神話は出雲に舞台を移して行きます。
『古事記』の出雲神話は大まかに五話を伝えており、まず高天原を追放された須佐之男命が出雲へ下り、そこで八俣大蛇(『日本書紀』では八岐大蛇に作る)を斬って草薙剣を得る話から始まります。
次いで因幡の白兎で知られる大国主神とその兄神達との話、次いで大国主神が祖先神の須佐之男命を頼って根堅洲国へ行き、スサノヲの娘の須勢理毘売と駆落ちした話、次いで大国主神の妻女達とその子孫の話、そして小名毘古那神との国造りと大和の三諸山の伝説が続きます。
もともと記紀神話は大きく分けて、神世七代、高天原、出雲、国譲り、天孫降臨の五部構成となっており、出雲神話はその一部を担う主要な物語でありながら、後にオオクニヌシが高天原に国を譲ってしまったため、実のところ日本史を知る上では余り顧みるまでもない神話になっています。

ヤマタノオロチと草薙剣
八俣大蛇の神話については、因幡の白兎と並んで、子供向けの童話集等には必ず載せられている物語なので、日本人ならば知らぬ者のない昔話の一つと言っていいでしょう。
その八俣大蛇の史話を『古事記』に従って見てみると、高天原を追放されたスサノヲが、出雲国の肥河(斐伊川)沿いの鳥髪という土地までやって来ると、川上から箸が流れて来ました。
そこでスサノヲは上流に人が居ると思い、それを求めて上って行くと、翁と媼の二人が少女を中に置いて泣いていました。
スサノヲが名前と泣く理由を訪ねたところ、翁が答えて言うには、自分は国つ神の大山津見神の子で足名椎(アシナヅチ)と言い、妻は手名椎(テナヅチ)と言い、娘は櫛名田比売(クシナダビメ:『日本書紀』では奇稲田姫)と言う。もと自分達には八人の娘があったが、八俣大蛇が年毎に来て食らってしまった。今それが来るので泣くのだと言いました。
スサノヲがその姿形を問うと、その目は赤いホオズキのようで、一つの身に八つの頭と尾があり、その身には蘿蘿と檜榲が生え、長けは八つの谷と丘に渡り、その腹をを見れば常に血爛れているといいます。

スサノヲは自分がアマテラスの同母弟であることを明かし、翁と媼に対して、まず強い酒を造り、家の周りには垣を作り巡らし、その垣には八つの門を作り、八門毎に桟敷を結い、桟敷毎に酒樽を置き、樽には酒を盛って待つようにと言いました。
二人が言われる儘に準備して待っていると、言に違わず八俣大蛇がやって来て、それぞれ門毎に頭を入れて樽酒を飲み、酔ってその場に突っ伏して寝てしまいました。
そこでスサノヲが帯びていた長剣を抜き、その大蛇を切り刻むと、肥河の流れが血の色に変りました。
尾の中ほどを斬ったとき、刀の刃が欠けたので、怪しいと思い剣の先で割いて見てみると、そこに見事な大刀がありました。
その大刀を手に取って、これは尋常な物ではないと思ったスサノヲは、アマテラスに事の次第を告げて奉りました。これが草薙の大刀です。
その後スサノヲはクシナダヒメを娶って出雲の須賀の地に宮居を構え、足名椎神を宮首に任じて稲田宮主須賀之八耳神と名付けたといいます。

『日本書紀』本文もほぼ同じ内容で、余り奇想天外な話を好まない本文ですが、イザナギ・イザナミの国生みと、この八岐大蛇の物語は扱っています。
また書紀本文では『古事記』に増して、草薙剣はもとの名を天叢雲剣と言い、日本武尊が草薙剣に名を改めたという話と、脚摩乳と手摩乳に稲田宮主神の名を賜った後、スサノヲは根の国に向かったという話を付け加えています。
本文以外でこの逸話を語っているのは一書(第二と第三)ですが、どちらの挿話も『古事記』や本文と大差ありません。
もともとスサノヲの出雲降りと八岐大蛇の神話は、三種の神器の一つである草薙剣の起源にまつわる伝説と、出雲の大国主命をスサノヲの子孫と称する系譜を伝えるために生まれたものであり、こんな架空の物語を敢て『日本書紀』本文に入れているのはそれが理由です。

スサノヲとオオクニヌシの関係
そのスサノヲとオオクニヌシ(『日本書紀』本文では大己貴神)の続柄について、『古事記』と書紀一書(第二)ではオオクニヌシをスサノヲの六代の孫とし、一書(第一)では五代の孫とするのに対して、『日本書紀』本文ではスサノヲとイナダヒメの間に生まれた子としており、系譜と時間軸がまるで噛み合わないものとなっています。
尤もアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三神の出生についても、他書では全てイザナミの死後に生まれたとするものを、書紀本文だけはイザナギとイザナミの間に生まれたとしているので、この辺りの解説については『日本書紀』内でも本文と一書の間で棲み分けが為されているのかも知れません。

スサノヲと根の国
またスサノヲは決して出雲に留まった訳ではなく、アシナヅチとテナヅチの老夫婦を須賀の稲田宮の主に据えると、自身は根の国(『古事記』では根の堅洲国)へと退いています。
言わばイザナミの項でも見た通り、根の国への入口が出雲にあるので、否応なしにスサノヲはまず出雲へ下り、そこから根の国に向かわなければならない訳です。
そしてその途中に立ち寄った川上の村で現地の娘を娶り、その娘との間に生まれた子の末裔から、後に出雲の国主となるオオクニヌシが生まれたという流れになっています。
ただ神話の設定とは異なり、出雲が根の国(黄泉)への入口とされているのは、現在でも陸奥の恐山があの世への入口と言われているように、地面から無数の湯気が立つ(出つ雲)ような場所が地下(根)の国への入口とされていたからで、何も山陰の出雲にあの世への扉がある訳ではありません。

ではスサノヲが下って行った根の国とは一体何だったのでしょうか。
かつてスサノヲは日頃から哭いてばかりいる理由を父イザナギに問われ、母のいる根の国へ行きたいから哭くのだと答えており、確かにこれが幼子であれば亡き母親を慕って泣き喚くのも無理のない話ではあります。
しかしこの時点で既にスサノヲは成人である上に、スサノヲ等の三姉弟はイザナミの死後に生まれているので、そもそもイザナミは彼の実母ではありません。
或いは書紀本文が三神をイザナミの子としているのは、この辺りの辻褄を合わせるためかも知れません。
またイザナミが黄泉大神と言われているように、彼女が居るのは黄泉なのですから、本来根の国とは黄泉の国と同義の筈なのですが、何故か記紀共にイザナミ以降は黄泉という言葉を用いていません。

そして根の国があの世を指すならば、「根の国へ行きたいから哭く」というのは「死にたいから哭く」と言っているのと同じであり、「根の国へ去れ」というのは「死ね」と言うのと同じです。
諸神がスサノヲを高天原から追放した時の文言として、『古事記』は「神逐らひ逐らいき」とし、『日本書紀』本文は「逐降ひき」とし、一書でも「逐降」とします。
読みはどれも「かむやらひき」であり、それを表す字は「逐」で統一されています。
要は「追い払う」という意味であり、記紀共にスサノヲは大量の賠償を負わされた後、髭と手足の爪を抜かれて追放されたので、「神去る」が自動的な「」であるように、「神逐る」が必ずしも他動的な「」でなければ、根の国へ追われたとしながらも命だけは救われたことになっています。

アマテラス再臨後のスサノヲ
そしてこの時のスサノヲの処遇というのは、アマテラスの岩戸隠れを探る上でも重要な鍵となってきます。
もし岩戸隠れがアマテラスの死であるならば、その責を負うべき立場にあるスサノヲが助命される筈もなく、国主を死に追いやった罪は自らの死を以て償う以外にありません。
これに従うと「千位の置戸を負わせて神逐らひき」は、「所領を全て没収した後に処刑した」という意味になり、当然その後の活躍や出雲との関係など有り得ません。
逆に記紀の通りスサノヲは高天原を追放されただけならば、アマテラスもまた石窟から生きて還ったことになり、要は彼女が無事だったからこそスサノヲも命までは奪われなかった訳で、普通に考えればそういう帰結になります。

しかしその一方で、アマテラスが死という道を選んだが故に、却ってスサノヲは生き延びたとする見方もあります。
どういうことかと言うと、乱暴狼藉を繰り返すスサノヲに対して処罰を求める諸神と、そうした周囲の空気を察せずに、悪行を改めようとしない実弟との間で板挟みになったアマテラスは、苦悩の余り国務を放棄して石窟に籠ってしまいます。
その後にスサノヲを捕捉して生殺与奪の権を握った諸神でしたが、極刑はアマテラスの意に反するということで彼を助命し、過酷な体罰と財産没収の末に放逐したというものです。
当然イザナギの子としての特権は剥奪されますし、二度と高天原に戻ることは許されませんが、もし岩戸隠れがなければ逆にスサノヲは誅殺されていたでしょう。
尤も古来貴人にとって流罪というのは、死罪以上に厳しいことが多いのですが。

史書に記されなかった両神の関係
以上はあくまで史書の記述に則って考察した場合の話ですが、前述の通り必ずしも記紀がありのままの歴史を伝えているとは限らないので、所謂消された過去が存在する可能性は否定できません。
と言うのもいかに敗者とは言え、記紀に描かれたスサノヲの為人は余りに無茶苦茶で、殷の紂王を始めとして時に現実離れした過度の暴悪描写の陰には、青史を刻んだ側の政治的な意図が隠されていることも多く、神話の中で作り上げられた残酷なまでのスサノヲの姿は、むしろ決して後世に語り継がれることのなかった歴史を反映しているとも言えるでしょう。
何しろ非道の限りを尽くして追放された筈の男が、一方では高天原の本流である天孫系即ち後の天皇家と、その天孫系に併合された出雲系の双方で始祖とされているのです。
無論それが史実かどうかは別にして。

そして今となっては真実など知る術もないことは承知しつつも、敢て上古の浪漫に想いを馳せてみるとき、切り取られた過去と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはりアマテラス方とスサノヲ方との争いでしょう。
例えば岩戸隠れの前こそ愚弟を擁護していたアマテラスですが、スサノヲが高天原に上って来た時は不信感を露にしており、一方のスサノヲにしても姉に対する謙譲の念などは特に見受けられないので、もともと両神が不和だったのは間違いありません。
更に言えば、二人が同腹の姉弟という話を疑問視する向きも多く、恐らくアマテラスにとってツクヨミは同母弟だったでしょうが、スサノヲは異母弟またはそれに近い親族で、それぞれに支持者がいたのかも知れません。
言わば後世にもいくつか事例があるように、後年高天原を継承した者達の思惑によって、本来の系図が書き替えられた可能性もないとは言えない訳です。

二人のアマテラスと二人のスサノヲ
また一説にあるようにアマテラスが一人ではなかったならば、スサノヲもまた必ずしも一人だったとは限りません。
例えば前にスサノヲが高天原へ挨拶に赴き、それに対してアマテラスが武装して出迎え、来訪の意図を詰問した場面などは、普通に読めば明らかにスサノヲの投降です。
そしてそれが改めて高天原の傘下に入ることの意思表明だったならば、確かにアマテラスへの挨拶であることには変りありません。
その際にアマテラスへの服従の証として、スサノヲが実子を人質に差し出すのも当然のこと。
但しその場合は父親のスサノヲが高天原に留まることは許されません。
当り前の話で、昨日までアマテラスに敵対していた男とその息子を同じ空間に置いていたら、いずれ謀反を企てるのは目に見えています。
従ってこの時点で一人目のスサノヲは、男子を高天原に預けて自分は指定された料地へ退いた筈です。

では二人目のスサノヲとは何だったのでしょうか。
明らかに違和感を覚えるのは、天の安河の誓約を境にしたスサノヲに対するアマテラスの態度です。
誓約前はスサノヲを敵と見做しているのに比べて、高天原では一転して擁護する側に回っており、とても同じ相手に接しているとは思えません。
加えてスサノヲが高天原で仕出かしたとされる悪事の数々にしても、髭を蓄えた大人の仕業というにはいくら何でも無理があります。
従ってもしアマテラスが、身内の目に余る非行に心を痛めていたとすれば、恐らくその犯人は彼女の養子またはそれに近い者でしょう。

後世の一例として、室町幕府三代将軍の足利義満は、南朝(大覚寺統)の後亀山帝が北朝(持明院統)の後小松帝に譲位し、南朝が保持していた三種の神器を北朝に引き渡すという形で南北朝合一を果たしました。
その際に合一の条件として南朝側には、全国の国衙領を南朝の料地とすることと、両統送立の復活を提示していたといいます。
しかし実際には皇位が大覚寺統へ戻されることはなかったため、一時は南朝の残党による不穏な動きもありました。
或いは天の安河の誓約というのも、アマテラスの後はスサノヲの子が高天原を継ぐことを条件に、スサノヲが領国を離れて隠退することだったのかも知れません。



5 コメント

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Unknown (マジカルアイ)
2020-01-16 23:06:52
世界で一番古い国はどこでしょうか?
今でも王朝が続くイギリスでしょうか?
中国4000年の歴史という言葉が
あるくらいですから、中国でしょうか?
実は日本です。
日本は初代神武天皇が即位されてから、
その血統が一度も途絶えることなくずっと
繋がってきました。
これを万世一系と言います。
現在の今上天皇は第126代目です。
天皇は国民を大御宝と呼んで、我が子のように
大切にしてきました。
国民は天皇を親のように慕ってきました。
親子の愛情関係で築かれた国日本。
今年でなんと2680年を迎えています。
では他国と比べてどれくらい古いのでしょうか?
世界で2番目に古い国は約1000年前に出来た
デンマーク王国です。
その次に古い国は約800年前に出来たイギリスです。
ちなみに中国が今の国家として成立したのは1949年ですから、
今で71年です。
やはり日本は圧倒的に古い歴史を持ちます。
では国の象徴ともいえる国歌、「君が代」とは
どういう意味のある歌なのでしょうか・・・

管理人さん始めまして。
突然のコメント失礼します。
「国歌からみえる本当の日本」~日本の歴史から学ぶ豊かさ~
という動画を推進しております、
マジカルアイと申します。
歴史を愛する管理人さんならこの動画のすばらしさを
共感して頂けるのではないかと思いまして、紹介させて頂きます。
是非一度ご覧下さい。
https://tasuke-i.jp/
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Unknown (Unknown)
2020-10-02 20:02:40
古事記の神話の構造は高天原の2度の地上への介入の視点でかんがえるとわかりやすい。一度目はイザナギ、イザナミが行うオノゴロ島から国生み、神生みを行い、スサノオが根の堅洲国の王としての活躍につらなる。
二度目はアマテラスが九州に天皇の始祖をつかわせ今につづく天皇を擁する日本につらなる話し。その2つに挟まれているのが、狭義の出雲神話。天皇礼讚が目的ならこんな複雑な構造をしているので今もわれわれを魅了するのだろう。しかし、二つの王権へ大刀(レガリア) をだすスサノオの権威はなにを根源としているのか。そこで島根県安来市あたりの神社巡りをしたくなる。
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Unknown (特殊鋼関係)
2020-10-15 00:47:23
富田八幡宮の境内社の須賀神社なんかどうなんでしょうか。
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Unknown (自動車関係)
2020-10-17 15:03:28
安来といえば特殊鋼関係が盛んで、たたら製鉄の博物館である和鋼博物館なんかもある。この地帯は確か何年か前に日本遺産に認定されていると聞いたが。
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Unknown (修理固成)
2020-10-26 23:10:48
そうかやっぱり十神山がオノゴロ島なんですね。まあ安来にはイザナミ神の御神陵である比婆山もあることだし合理的な比定地ですね。
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