史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

四夷と中国

2019-02-28 | 有史以前の倭国
地上のあらゆる場所へ棲息圏を広げた人類は、その辿り着いた土地が灼熱の砂漠であれ酷寒の氷原であれ、そこで生き抜くために最善の方法を見出すことで、いかなる環境にも適応して来ました。現代に生きる我々は、衣食住を初めとして、(文明国に限れば)世界中のどこに居ても同じ生活を送ることができますが、それはあくまで産業革命以降に実現したものであって、近代以前には有り得ない話でした。そしてこの地上のいかなる場所に於 . . . 本文を読む

衛青と匈奴征伐

2019-02-27 | 有史以前の倭国
衛青と霍去病によって行われた匈奴遠征と、その間の対外関連の出来事を年代順に略記すると、次のようになります。 紀元前一四一年三月   皇太子劉徹(武帝)即位。建元元年(前一四〇年) 武帝元年。後世遡って元号を建元と定める。元号の始め。建元二年(前一三九年) 張騫を西域へ派遣。建元三年(前一三八年) 閩越の侵攻を受けた東甌救援のため南方へ派兵。元光二年(前一三三年) 馬邑の戦い。匈奴に対して三十万の . . . 本文を読む

衛青と霍去病

2019-02-26 | 有史以前の倭国
将軍衛青による第一回目の匈奴遠征が行われたのは、武帝の即位から十二年目の元光六年(紀元前一二九年)のことで、以後衛青は元狩四年(前一一九年)までの約十年の間、甥の霍去病と共に幾度となく匈奴へ出陣し、北狄に対して前例のない戦果を挙げることになります。尤も匈奴征伐そのものは、衛青が遠征を開始する四年前の元光二年(前一三三年)にも一度計画されており、この時は匈奴が信用しそうな者に内応を演じさせ、容易く一 . . . 本文を読む

漢の躍進

2019-02-25 | 有史以前の倭国
高祖は白登山の戦いから五年後の高祖十二年(前一九五年)に世を去り、弱冠十六歳(諸説あり)の皇太子が二代皇帝として即位しました。これが恵帝です。しかし生来柔弱だった恵帝は、実母である呂太后の暴虐や呂一族の専横に気を病んで政務を放棄し、日々酒色に耽って在位八年で崩じました。その後はしばらく呂氏が朝権を握っていましたが、呂后の死と共に呂一族は粛清され、高祖の子で代王に封ぜられていた劉桓が、宗族や重臣の合 . . . 本文を読む

その後の長城

2019-02-24 | 有史以前の倭国
ここでその後に長城の辿った運命について軽く触れておくと、もともと始皇帝が長城の建設に着手したのは紀元前二一六年頃のことで、その十年後に秦は崩壊し、長城はそのまま漢に引き継がれた訳ですが、秦滅亡後の混乱期に一部侵食されていたのに加えて、漢が白登山の戦いで匈奴に敗れたことにより、長城の存在意義が著しく低下したことは既述しました。漢としても長城の維持を放棄してはいなかったのですが、その長大な総延長の中に . . . 本文を読む