続く天日槍を見てみると、日槍の出自は第四代新羅王脱解尼師今の子とされ、この脱解王は新羅人ではなく渡来人であり、日本出身とする見方が有力です。朝鮮の正史である『三国史紀』によると、脱解の故国は倭国の東北一千里にある多婆那国で、賢者として知られたことから二代新羅王南解次次雄の目に留まり、その娘を娶って遂には太輔の地位を任されるまでになったといいます。つまり天日槍は、父親が多婆那人、母親が新羅の王女とい . . . 本文を読む
『日本書紀』垂仁紀の冒頭に語られる任那と新羅に関する伝承は、任那が蘇那曷叱智を遣わして朝貢して来たという崇神紀の末尾に付せられた挿話から続くもので、本文の他にもいくつかの異伝を併載します。まず本文に言うところでは、垂仁帝が即位して間もない頃、蘇那曷叱智が国へ帰りたいと申し出ました。先皇の世に来朝して未だ還らなかったのでしょうか。そこで垂仁帝は彼に敦く賞し、赤絹百匹を齎して任那王へ贈らせました。然る . . . 本文を読む