史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

記紀神話:『日本書紀』に見る黄泉めぐり

2019-11-13 | 記紀神話
一書に曰く(第六)
その後に伊弉諾尊は、伊弉冉尊を追って黄泉に入り、共に語った。伊弉冉尊が言うには、我が夫よ、何とも来るのが遅すぎた、私は既に黄泉の食物を口にしてしまった、今から眠るので、決して寝姿を見ないで欲しいと。伊弉諾尊はこれを聞き入れず、密かに火を灯して妻の姿を見てみると、そこには膿が沸き蛆が集っていた。伊弉諾尊は大いに驚いて、吾は思いがけず酷く穢れた所へ来てしまったと言い、速やかに逃げ帰ろうとした。伊弉冉尊はこれを恨んで、なぜ頼み言を聞かずに私に恥辱を与えるのかと言い、泉津醜女(よもつしこめ)八人を遣わして追い付かせた。伊弉諾尊は剣を後ろに振りながら逃げ、鬘を投げるとこれが葡萄になった。醜女はこれを拾って食べたが、食べ終るとまた追ってきた。そこで伊弉諾尊が櫛を投げるとこれが筍になった。醜女はこれを抜いて食べたが、食べ終るとまた追ってきた。最後に伊弉冉尊自らが追ってきたが、その時に伊弉諾尊は已に泉津平坂(よもつひらさか)に着いていた。或いは、伊弉諾尊が大樹に向って放尿するとこれが大河となり、泉津日狭女がそれを渡ろうとする間に泉津平坂に着いたとも言う。
そして伊弉諾尊は千人所引の磐石で坂路を塞ぎ、伊弉冉尊と相向き合って絶縁の言葉を唱えた。それを聞いた伊弉冉尊が、愛しい我が夫よ、貴方がそう言うなら、私は貴方が治める国の民を一日に千頭縊り殺そうと言うと、伊弉諾尊はそれに答えて、愛しい妻よ、汝がそう言うなら、吾はまさに千五百頭を産ませようと言い、ここを過ぎてはならないと言って杖を投げた。これを岐神(ふなとのかみ)と言う。またその帯を投げた。これを長道磐神(ながちはのかみ)と言う。またその衣を投げた。これを煩神(わづらひのかみ)と言う。またその褌を投げた。これを開囓神(あきくひのかみ)と言う。またその履を投げた。これを道敷神(ちしきのかみ)と言う。或いはこう言っている。泉津平坂というのは復た別にあるのではない。ただ死に臨んで息絶える際をこう言うのであると。塞ぐところの磐石というのは、泉門を塞ぐ大神を言う。亦の名を道返大神(ちがへしのおほみかみ)と言う。
伊弉諾尊は還ってくると、吾は前に酷く穢れた処に行ってきたので、吾が身の濁穢を滌(あら)い去ろうと言って、筑紫の日向の小戸の橘の檍原(あはきはら)で禊ぎ祓った。その身の汚いものをを尽く滌おうとし、言葉を発して「上瀬は是太だ疾し、下瀬は是太だ弱し」と言い、中瀬に入って濯いだ。そして生まれた神は、名を八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と言う。次にその枉(まが)を矯そうとして生まれた神は神直日神、次に大直日神。また海の底に沈んで濯ぐと、そこに生まれた神は底津小童命(わたつみのみこと)、次に底筒男命。また潮の中に潜って濯ぐと、そこに生まれた神は中津小童命、次に中筒男命。また潮の上に浮いて濯ぐと、そこに生まれた神は表(うは)津小童命、次に表筒男命。凡て九の神である。底筒男命、中筒男命、表筒男命は住吉大神である。底津小童命、中津小童命、表津小童命は阿曇連等が祭る神である。
その後に左目を洗い、そこに生まれた神を天照大神と言う。また右目を洗い、そこに生まれた神を月読尊と言う。また鼻を洗い、そこに生まれた神を素戔嗚尊と言う。凡て三柱の神である。そして伊弉諾尊は三子に勅して「天照大神は以て高天原を治すべし、月読尊は滄海原の潮の八百重を治すべし、素戔嗚尊は以て天下を治すべし」と言った。この時に素戔嗚尊は已に長じて、長い髭を垂らしていたが、天下を治めもせずに常に叫び泣いて腹を立てていた。そこで伊弉諾尊が素戔嗚尊に、汝はなぜ恒にかく啼くのかと問うと、吾は母の根国に行かんと欲してただ泣くのみと答えたので、伊弉諾尊はこれを憎み「情に任せて行ね」と言って素戔嗚尊を放逐した。


一書に曰く(第九)
伊弉諾尊は妻を見たいと思い、殯斂(もがり)の処へ行った。この時に伊弉冉尊はまだ生きているかのように出迎えて共に語った。しばらくして伊弉冉尊が言うには、我が夫よ、私を視ないで欲しいと言うと、忽ち姿が見えなくなった。時すでに暗かったので、伊弉諾尊は一片の火を灯して視ると、伊弉冉尊の体は膨れ上がり、上に八色の雷があった。伊弉諾尊が驚いて逃げ還ろうとすると、雷等が皆起きて追ってきた。時に道の辺に大きな桃の樹があったので、伊弉諾尊はその樹の下に隠れて、その実を取って雷に投げたところ、雷等は皆退走した。これが桃を以て鬼を避ける始まりである。
時に伊弉諾尊はその杖を投げて、ここからこちらへは来られないと言った。これを岐神と言う。本の名は来名戸(くなと)の祖神と言う。八雷というのは、首にあるは大雷と言い、胸にあるは火雷と言い、腹にあるは土雷と言い、背にあるは稚雷と言い、尻にあるは黒雷と言い、手にあるは山雷と言い、足の上にあるは野雷と言い、陰の上にあるは裂雷と言う。


一書に曰く(第十)
伊弉諾尊が伊弉冉尊のいるところへ行って、汝が愛おしくてやってきたと言うと、伊弉冉尊はそれに答えて、私を看ないようにと言った。しかし伊弉諾尊が従わずに猶看ると、伊弉冉尊が恥じ恨んで、貴方は私の真の姿を見てしまった、私もまた貴方の真の姿を見ようと言ったので、伊弉諾尊は恥じ入りそこを出て返ろうとした。その時にただ黙って帰らずに誓って絶縁を告げた。また汝には負けないと言って、吐いた唾から生まれた神を速玉之男と言い、次に掃いて生まれた神を泉津事解之男と言う。凡て二柱の神である。
その妻と泉平坂で相争うに及び、伊弉冉尊が言うには、始め汝を悲しみ慕ったのは吾が弱さだったと。時に泉守道者が申し上げて言うには、伊弉冉尊の言葉があり、私は已に貴方と国を生んだ、どうして更に生きることを求めようか、吾はこの国に留まって、共に行くべきではないと。また菊理媛神がまた申し上げることがあり、伊弉諾尊はこれを聞いて褒めた。
但し自ら泉国を見たことは既に不肖であった。そこでその穢れ悪しきものを濯ぎ除こうとして、粟門と速吸名門を見たが、この二つの門は潮が甚だ速かった。そこで橘小門に還って払い濯いだ。その時に水に入って磐土命を吹き出し、水から出て大直日神を吹き出した。また入って底土命を吹き出し、出て大綾津日神を吹き出した。また入って赤土命を吹き出し、出て大地海原の諸々の神を吹き出した。


『日本書紀』に描かれた黄泉巡り
以上は伊弉諾尊の黄泉巡りについて記した『日本書紀』一書(第六・第九・第十)の箇所ですが、こうして見てみると神代第五段に関しては、一書(第六)の記事が最も『古事記』に近く、『古事記』は『日本書紀』一書(第六・第九)を加減した内容になっていることが分かります。
ただ面白いのは、一書(第六)では『古事記』と同じく伊弉諾尊が伊弉冉尊に会いに行ったのは黄泉とするのに対して、一書(第九)ではそれを殯斂の場所としていることで、「もがり」とは人が薨じてから埋葬するまでの間、棺に納めて仮に安置することですから、話としては黄泉よりも遥かに現実的なのですが、これでは神話と言うより人話です。
また一書(第六)では、「或所謂」と前置きしつつも、泉津平坂というのは別にあるものではなく、死に臨んで息絶える際のことを言うのかとして、黄泉国そのものさえ否定するような話を併載しています。

黄泉国との境界を千引磐で塞いだというのは、古墳の入口を大岩で塞いで二度と中へ入れなくしてしまうのと同じ行為で、世界中の墳墓で同様の処置が見えます。
もともと入口を大岩で塞ぐような墳墓に埋葬されるのは、生前それなりに高貴な身分にあった人なので、副葬品の盗掘を防ぐという理由もありますが、本来の目的はその逆で、死者が再び現世に戻ることのないようにするためです。
従って一書(第六・第九)にもあるように、その岩の前で生前の縁を絶ち、その場で別れの神事を行った後、生き残った者だけが現世に戻り、お祓いをして身を清めるというのが、今の世にも変らぬ一連の儀式となります。
そして神話の中では、千引磐の前で行われた神事と、その後に海で行われた禊によって、そこから諸々の神が生まれたとしている訳です。

伊弉冉尊と鬼子母神
また伊弉諾尊と共に国や自然界の神々を生み、創世の女神とも言える伊弉冉尊が、死後は一転して黄泉大神と呼ばれ、一日に千人の人間を縊り殺すことを宣するなど、文字通り死を司る神となってしまったのは、一読すると何とも悲しくなるような話ではあります。
起結はこれと逆になりますが、よく似た話に安産の神としても知られる鬼子母神(訶梨帝母)の説話があります。
仏教に於ける鬼子母神は、毘沙門天に仕える武神の妻で、自らも五百人の子沢山でしたが、初めは我が子を愛する余り人間の子を捕えて食べる夜叉だったといいます。
やがて釈迦を頼って三宝に帰依して以降は、夫と共に仏法を守護する善神となり、子宝や母性の神仏として祀られるようになりました。
どちらも女神であることや、出産と殺戮が表裏になっている点は同じであり、現代の長寿と出生率の関係にも見られる通り、死ぬ者が減れば生まれる者もまた少なくなるように、死を司る者とは即ち新たな命を育む者に他なりませんから、恐らくそこには何らかの深い真理があるのでしょう。

月読尊と海原
また一書(第六)には、伊弉諾尊が天照大神・月読尊・素戔嗚尊の三神に、それぞれ治めるべき空間を指示した話が載せられています。
それによると天照大神が高天原というのは全書一致の既成事実としても、ここでは月読尊が海原、素戔嗚尊が地上を託されており、他書とは一線を画す配置となっています。
確かにこの地球上に海が誕生した時から、生命の営みを支えているのは海であり、それを可能としているのは潮汐によって常に水が動いているからで、その満干を支配しているのは月ですから、月の化身である月読尊が海原を治めるというのは理に適っています。
そして天照大神には後嗣がなかったため、素戔嗚尊の子が高天原の継嗣となり、その子が天孫として地上に降臨したとされているので、系譜上では地上の統治者である大和朝廷は素戔嗚尊の子孫です。
因みに素戔嗚尊が高天原を追放されて出雲へ下った後、その娘が出雲の国主である大国主命に嫁いでいるので、一方の雄である出雲もまた素戔嗚尊の系譜ということになっています。


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