でも、それ以外、ことにコンピューターが一般個人レベルにまで浸透する以前では、そんなに気安く使われる言葉ではなかったようなのだ。
私も、ブログ作りに親しむようになって、いろんな情報、知識、原因、由来などというものを、検索エンジンのお世話になって、とても重宝して使っているのです。
多面的な情報の山をかき回し、そんな中から、気に入ったものをい引っ張り出す。
大学生のころ、わからぬことを学内の図書館にいって、書物のカードの中からあれこれ見つけ出す。
そんな、雰囲気もあるのが、検索という言葉。
でも、待てよ。
知識を情報の山のなかから掻き出しても、本当はその情報知識は他の誰かが作り出したもので、そのことが分かったというだけのことなのだ。
検索しているそれだけでは、オリジナルでも何でもなく、只それだけよ。
だから、検索は検索で、それでいい。
私、今思ったのは、創造的な頭の運動。人としての才覚。自分なりのアイデア。新たなシナリオ。クリエーティブな角度。
そういうのがあってこそ、人間としての進歩があると思えるのじゃないかな。
検索という文字を見て、ふとそんなことを感じたのでした。
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