上野駅は、東北地方との発着ターミナル、玄関口なのである。
ことに昭和30~40年代は、東北出身の若者が、高度成長に湧く東京へと集団就職してきたのである。
学生服を着た高校、中学生が親元を離れ、就職をしに上京してきたのである。
そうだ、昭和35年には池田内閣の所得倍増計画が発表され、昭和39年には東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通したのだ。
JR上野駅の建物の傍らに、井沢八郎の「あゝ上野駅」のモニュメントが作られてある。


時代は下り、当時東京で働き始めた人たちも、今では殆どがリタイアされていることと思う。
関東で引き続き住んでいるのか、または、帰郷されているものかどうか。
東北の震災に影響を蒙った人もあることだろう。どんな境遇なのだろうか。
そういう方々皆さん、今、この歌の碑を見るとすると、どんなことを思い出されるのだろうか。