大分県からドミノ式に拡大している教育問題。
ワイロで教職員になれるといった事件で、誰もが考えてしまうのは、「誰がどのような教育を生徒に対して行い、誰に対して教育を行わないといけないのか?。」と社会の人々は考えざるをえないのです。 実際に、この事件をきっかけに、教員の道から退いた人もおられるようです。 まだ、しばらくは、この混乱が継続するようです。
大阪府高石市でも大型地震が発生したら、校舎が倒壊する見込みがあると言われています。
笑い話しではなくて、スクールバスで大量に生徒を移動させ校舎が頑丈でも廃校になった建物等で勉強させても悪く無いかもしれません。 生徒が大量に死去する迄、このような状況が継続するのでしょうか? もしくは、そうなっても似たような状況かもしれません。 なぜならば、不誠実だからです。
又、大阪府内の教職員が、行政上の問題からストライキも発生した模様です。
どのような環境で生徒を教育していかないといけないのか?
東京都八王子市でも、将来が約束された書店員のバイトをしていた学生が、錯乱した殺人犯の被害にあいました。 生徒(学生も生徒ですよね?)も未成年であるか、無いかで全く状況が変わって来ますね。
神奈川県でも、大変無礼な行動が発端となり、教員を辞職する決断をせざるを得なかった人もおられます。
ある兵庫府民(*1)の教職員は、己自身の悪質な行動の後の、責任追求の結果、過剰なストレスから、脳内出血を引き起こしました。 言語障害を乗り越えて言語の世界で生計をたてられるのでしょうか?
*1
特殊な表現です。 兵庫にお住いの方々は、確かに県民です。だが、兵庫県内で在住ないしは勤務しながら大阪府や京都府を行き来して在住ないしは勤務されておられる方々に当てはまる、近畿では使用されている特殊な表現だと御考え下さい。 阪急電車等だったら、行き来しやすいですからね。
やはり教育問題というものは、単純に以下の二点に対して、考えていかないといけません。
A.どのような教育を生徒に対して教職員が行うか?
B.どのような環境で生徒に対して教育を施せるか?
Aばかりこだわっていたのでは、地震が発生した時に生徒が瓦礫の山に埋まり犠牲者になってしまいます。 無論、Bばかりにこだわっていたのでは、生徒の成長につながりません。
何を教えるかといった考えと、耐震性や防犯面等を始めとする安全面での考慮は常時、必要です。
少なくとも、喫煙しながら廊下を歩行する教職員の存在については、なんとかしないといけないのではないでしょうか?
他にも、実際に殺人犯がなぜか、小学二年生ばかりを(深い意味がございますので以下略)
体験しなくてはいけない辛い試練と体験してはいけない悪事は似て非なる事柄ですが、混同している無分別な人々が多いのが、現実です。
自○症だから、教職員の道を諦めてしまった人々も多いですしね。
とりあえず、これ以上は、今日は控えておきます。