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じゃがブログ ~さいとう小児科~

じゃが院長のつれづれ日誌をメインに、趣味(合唱・囲碁・絵)や道楽(温泉・ラーメン・酒)にまつわるエッセーを掲載。

指にからし、ケツにキャラメル、頚にネギ

2007年09月21日 | ◎じゃが日誌
少し前の話で恐縮ですが、8月30日の毎日新聞に、甲府市内の保育園で、指しゃぶりをやめさせようとした女性保育士(50代)が、0歳の男児の指にからしを塗り、県が「不適切」として行政指導をした、という記事が載っていました。

もちろん、イジメや虐待ではなく、保育士にしてみれば「良かれ」と思ってしたことだと思います。行為の是非を問われれば頚を傾げるしかありませんが、これに近いことは一般家庭の中で結構行われているような気がします。

核家族化が進み、さらには少子化で子どもの育て方を耳学問で知る機会がだんだん減ってきている昨今、「おばあちゃんの智慧(知恵でもいいのかな?)」なるものが子や孫の世代へ伝わらなくなってきていることは事実です。

「昔はこうだった」という伝承が大事なことは否定しませんが、中にはちょっと怪しい伝承もあるため注意が必要です。おそらく、先の保育士の「指にからし」も、こういった伝承の中のひとつだったのでしょう。これは全国津々浦々に広まっているのか、以前当地でも聞いたことがありますが、実際に「やった」という人は知りません。

似たような「智慧」に、「便秘の子(赤ちゃん)のお尻からキャラメルを入れる」という、なんだかキュビズムの絵を見せられるような理解しがたいものもあります。まさか、皮をむいたキャラメルを四角いまま肛門へ挿すんじゃないとは思いますが、口でクチャクチャ柔らかくして魚雷のように延ばしたものをグニュと尻に押し入れる姿を想像すると、オエっとなってしまいます。

してみると、喉が痛いと頚にネギを巻いて来る子がいた(最近は見なくなりましたが)のも、似たような伝承のなせる仕業だったんでしょうね。。。

・指にからし → しゃぶると辛い(子どもは辛いのが苦手)から、しゃぶらなくなる。
・尻にキャラメル → キャラメルの糖分が、肛門内側にたまった糞塊を柔らかくする。
・頚にネギ → ネギの成分(抗ウイルス作用?)が頚から経皮的に吸収されて効果を発揮する。

こう書き並べると、いかにも「もっともらしい」ですが、本当のところはどうなんでしょう。でもまあ、「指にからし」は懲罰的なだけ、直感的に最も分かりやすい気がします。「頚にネギ」は、私も体が疲れ気味のときなど、ネギのたっぷりと入ったラーメンを無性に食べたくなるので、ネギの持つ効用に一票入れたくなります。「尻キャラメル」となると、もう余りのシュールさに、どのようにリアクションして良いのか分からなくなります。

指に塗るのは、必ずしも「からし」である必然性はなく、「わさび」でも「しょうが」でもいいはずですが、伝承というものはそのあたりが頑固なようで、他の薬味に代わることはないのが不思議ですね。私なんぞは、「カブ(蕪)」の切れっ端でも巻かれれば、その指は絶対にしゃぶりませんけどね。

話が逸れましたが、この保育士さん、さぞかししょげたことでしょう。良かれと思ったことが行政指導されるほど話が大きくなり、それが全国紙にまで採り上げられてしまったんですからね。虐待の意志なんてこれっぽっちもなかったはず。お気の毒に。でも、やはり行為としてはやり過ぎだったとは思いますが。

電車の中で拳銃の形をしたライターで乗客を撃つ真似をして、非番の警察官から注意され頬をぶたれた高校生がいました。もちろん暴力は否定されなければなりませんし、その場の状況を知らない者があれこれ想像でものを言ってはいけないのですが、それこそ「昔だったら」、近所の悪ガキの程度を超えたいたずらにゲンコツをくれるオヤジはたくさんいたはず。しかし、痛みで屈服させようという殴り方をするわけがなく、頭の上からコツンと叩く程度のもの。悪ガキの親も、「お前が悪い」と言ってガキのほうを叱ったものでした。もし、非番の警察官が、この「コツン」程度の叱り方をしたのなら、私は許容範囲かと思います(本当はそれでもダメなんでしょうけど・・)。「叱る」うちはまだ冷静なわけで、「怒る」ともう自分の感情のはけ口でしかなくなりますから、客観的にみても「制裁」と映るでしょう。。。さて、真相やいかに。

なぜ採り上げたかといいますと、あまりに些細なことまで「法的判断」を下し過ぎるんじゃないか、と思ったからです。つきつめれば確かに「良いこと」か「悪いこと」か、白黒はつくかも知れません。しかし、その結果、本来「火のない所に煙は立たぬ」はずの、「火」のほうが被害者になり、「煙」のほうが加害者になる。「火」は自分が悪いことを反省せず、「煙」の悪行ばかりが責められる。どうして、もっと近所のオヤジの「お目玉」が大目に見られないのでしょう。

法律以前に、ご近所のルール、世間のルールがあっても良さそうな気がします。叱る側だって決して気分の良いものではありませんし、それで溜飲を下げるなど考えられません。後味が悪いはずです。分かっていてなおかつ「ここはやらねばならぬ」と叱る、それにはオヤジなりの勇気が必要です。圧倒的な体力差にものを言わせるような「制裁」はいけませんが、そうした体力差で無言の圧力をかけることは許されそうな気がします。これは、国家間の外交交渉を考えてみても、現実的なことではないでしょうか。

 真夏のような暑さが続いています。これだけ暑いのに、セミの声が聞こえない。木の葉も色づき始めている。なんとも不思議な光景です。
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