惠子が、倒れたァ!! くやしい! くそっ!

果たして、この先どうなるのか。そのドキュメント。

30日の朝、連れに行くと確約する。果たして…。

2014-01-29 10:33:51 | ケイ子、倒れる。

1月28日・火曜日

昨夕は、T・Bと高校の同級生のA・Kを事務所に呼んだ。
一人では不安に襲われる。
打ち合わせがしたいとテーマを無理矢理でっち上げて来てもらった。

惠子が倒れたとはじめて打ち明けた。
二人とも「えっ!」と声を発する。


土曜日には退院するよ。日々よくなっている。努めて明るく言う。
T・Bは見舞いに行くよ。来られては困る。今は会わせられない。


ワインを一本開けた。つまみらしい、つまみなし。

明日の13時半からの介護認定とケアーマネージャーの件で病院相談員から電話。
奥様は30日木曜語に出ると言ってます。準備は整っているのですか。
なにも。まだケアーマネージャーとは会ってもない。

確認しようとしていたら惠子から携帯。
30日木曜日にはここを出る。介護ベッドも車イスがなくてもいい。
帰りたい。朝来るように陵太郎に行ってくれ。

まるで幽界から伝わってくるような、せつない声を絞り出す。
医者にも伝えたとのこと。


よし、30日の朝、
陵太郎と連れに行くと確約する。


家のガス・水道・電気代、2万5千円ほどをコンビニで支払う。


楽観論者の惠子。人一倍心配性の私。

2014-01-28 12:41:33 | ケイ子、倒れる。

1月27日・月曜日

「限度額適用認定書」を取得して、お昼に、病院へ行く。

惠子がiPADで検索し、何かを真剣に見ている。
あの家がまだあるか、聞いておいて。
以前、房総に見に行った別荘の事である。唖然とする。

これからは房総の田舎に住んで。
野菜を作って暮らす。
そうする。

ゆっくりと、しっかりした口調で宣言する。
知らない人が聞いたら、まぁ、お金持ちなんだ。とうらやましがるだろう。


ここの入院費、これからの治療費・介護費。それさえ心許ないのに。


いや、絶対うまくいく。いいことがある。心配するな。手首を振りながら言う。

楽観論者の惠子。人一倍心配性の私。


確かにこれまで何度か、惠子の信じる奇跡が起きた。
そして、何の心配もない、幸せな時があった。

でも、それもつかの間。いつも信じられないような不運がやってきた。

秤に掛けるなら、不幸な時間の方が倍ほど長いような気がする。
私の人生。

今日のリハビリで、よくなっていると褒められたと喜ぶ。

惠子、ガンバレ。


こんな私でも、愛してる? 夫婦って、何だ。

2014-01-28 09:29:33 | ケイ子、倒れる。

1月26日・日曜日

実は、救急車で運ばれそのまま入院した惠子と私は、夫婦ではない。
私と惠子は、一昨年暮れに離婚している。

運が悪いことが続く。姓を変えたと言い出し、
旧姓に戻るために、彼女が離婚届を出した。だから法律的には他人。


病院ベッドの横にいても、これから私が介護するのだろうなぁ。

ボーッと、まるで人ごとのようにしか思えない。

こんな私でも、愛してる?

寝返りを打てない体。首を傾け、絞り出すような声で聞いてくる。
一瞬、ギクっとする。


逃げるのなら、逃げられる。法的には何のとがめもないはずだ。

一体、夫婦って、なんなのだ。


正直、この信じたくない悪夢のような状況から逃げ出したい。不安、絶望。


すべての始まりは、あの救急車のサイレン。
アタマの中でワゥ~ン、ワゥ~ン、こだました。


この先どういう展開が待っているのだろうか。



何も直せない。病院にいてはだめ。と言い募る。

2014-01-27 18:34:07 | ケイ子、倒れる。

1月24日・金曜日


夕刻、5時頃に病院に行く。


血糖値も、血圧も、良くならない。脳梗塞も進行しているようだ。
リハビリもおざなり。何も直せない。病院にいてはだめ。家の方が良い。

iPADで調べ、車いすと介護ベッドををレンタルしておいて。そう言う。


しかしトイレにも行けないのに一人、家において良いのか。
転倒したらどうする。けがをするし、立ち上がれない。
家は病院ほど暖かくない。

しばらくは、私が介護するしかない。

とにかく明日、主治医と話すので、
どうするかは、それからにしようとなだめる。


限度額適用認定書と要介護認定。この世はそれほど悪くはない。

2014-01-27 18:23:31 | ケイ子、倒れる。

1月25日・土曜日


11時に私と陵太郎、惠子も入って3人で主治医の話を聞く。
脳梗塞の進行を止めきれなかった。若干進行してしまったとのこと。

すぐさま医者に連れて来るべきだったと悔やむ。
本人も私らも強く望んだので、様子を見てではあるが、来週の土・日には退院のとなった。


ソーシャールワーカーが医療費、介護に関して新設にアドバイスしてくれた。


「限度額適用認定書」を取りなさい。

健康保険は治療費の3割が自己負担、でも入院費となるとビックリするような高額になる。

「限度額適用認定書」があると8万円に総医療費から26万円引いた金額のわずか1%で済むとのこと
ラッキーである。感謝感激である。※詳しくは病院の窓口かソーシャールワーカーに聞いて下さい。

もう一つ。役所に介護が必要であるとの認定を受ける必要がある。これを要介護認定という。
介護の必要度によって、
要支援1から要支援5まである。それによって、在宅サービスの支給額が決まる。
要介護認定は一月ほど掛かるから、早めに役所に申し込みなさいというので、早速近くの「高齢者相談センター」に手続きに行った。

税金だ、保険金だとか、何でこんなに払わなければいけないんだ。普段はボヤいている。

手のひらを返したようで申し訳ないが、公金のありがたみが身にしみた。

反省。


退院したところから、始まる。

2014-01-27 09:04:40 | ケイ子、倒れる。

1月24日・金曜日


夕刻、5時頃に病院に行く。


ケイ子は言いつのる。
血糖値も、血圧も、良くならない。脳梗塞も進行しているようだ。
リハビリもおざなり。何も直せない。病院にいてはだめ。家の方が良い。


iPADで調べ、車いすと介護ベッドををレンタルしておいて。そう言う。


しかしトイレにも行けないのに一人、家において良いのか。
転倒したらどうする。けがをするし、立ち上がれない。
家は病院ほど暖かくない。

しばらくは、私が介護するしかない。

とにかく明日、主治医と話すので、
どうするかは、それからにしようとなだめる。


何のために生きるのか。明るく行こう。

2014-01-26 09:32:34 | ケイ子、倒れる。

1月23日・木曜日

伝えておいたので、
今日はケイ子の所には行かなかった。

早く出たいと携帯に抗議が来た。
ほとんど聞き取れない。意味不明。
適当に合図地を打つ。


お金がない。仕事が来ない。先がない。希望がない。
気づくと、ため息ばかり。

一体何のために生きているのか。生きて行かねばならぬのか。
すべてを捨てて、楽になりたい。そう言う思いにとらわれ。
これは危険な兆候だ。

一人でいたら、話すことがない。
ろくな事しか思いつかぬ。考えない。

孤独死。よくわかる。

ハァ~イ。明るく行こう!!!
明るく!!!  いい天気だ。







ケイ子さんは元気? 聞くな! バカヤロー!!!

2014-01-26 07:54:35 | ケイ子、倒れる。

1月21日・火曜日

今夜は、友人との新年会。私が言い出しっぺ。
ケイ子がこうなるのであれば言わなきゃ良かった。後悔。

ケイ子さんは元気?
3,4人に、やはり聞かれた。

ああ、元気、元気。
笑って、ごまかす。

聞くな!  バカヤロー!!!

倒れた。深刻な事態だとは言えない。
惨めになる。

事務所に来た人や電話には、

ちょっと体調が悪く寝ている。
そう話している。でも、いつまで?

一人でいると宇宙空間に投げ出されたよう。
この先どうなるのか。

検査、リハビリで忙しいのか気落ちしているのか、
約束の携帯、鳴らぬ。

新年会の前、4時頃に病院へ。
部屋を変わっていた。一歩前進か。

上の空の新年会は苦痛だった。


親子の断絶。つらく、悲しい。

2014-01-25 23:55:25 | ケイ子、倒れる。

1月20日・月曜日

ケイ子と救急車に乗って、5日目。
いい話があった

入院費をどうやって払おうかと悩んでいたところに
B氏が未払いのお金、35万円を払うとのこと。
なんでも、遺産が入るからという。

入院費ができた。すぐにケイ子に伝えるべく携帯するが出ない。
何度目かに通じた。ゆっくり入院していたらいい。キッと仕事もうまく行く。
入っても右から左。とても足りないお金だが、努めて明るく振る舞う。

次女の「さやか」はどうした。母親が大変だとメールしても、
携帯しても連絡が取れない。全くの無視。
どうして。そんな子になったのか、さっぱり分からない。
親を徹底的に毛嫌いしている。
父親と気が合わないのは、ままあることかもしれないが、
しかし、まるで仇かゴキブリかのようにケイ子まで無視するのは許せない。
もう5、6年、姿を見せない。
住所さえ教えない娘「さやか」。

負けず嫌いのケイ子は、放っておけばいいと言う。
30過ぎの反抗期なんて聞かないぞ。
どこでどう間違えたのか。訳がわからない。
とくにケイ子は仕事を抱えながら一生懸命育ててきた。
この断絶は、つらく、悲しい。


夜陵太郎の車で病院に行く。
うまくしゃべれない。ちっとも良くならない。
自分に怒りをぶつける。確かに他の人に合わすことは出来ない。
よし、美智子さんで行こう。
皇后様のようにゆっくりゆっくり威厳を持って話せば良い。と私。



脳内出血の夫に、脳梗塞の女房。

2014-01-25 22:53:25 | ケイ子、倒れる。

1月19日・日曜日

午後、陵太郎と病院へ。
今日も午前中に3分間の歩く練習をしたとのこと。


昨日は薬を飲むための水を飲む練習をしていた。
すぐむせる。口調は廃人。

たった、3日ほどでケイ子が壊れた。

果たして回復するのだろうか。
絶対直すという。しかしその目に涙がにじんでいる。
次の仕事の手がかりをつかんだかのように見える矢先だった。
それなのに残酷だ。

脳内出血の夫に、脳梗塞の女房。
まったく、ひどい組み合わせだ。

朝、昼、夜と日に三度は携帯くれるように言って帰ってきた。


涙浮かべ、私をなじるケイ子。

2014-01-25 09:09:18 | ケイ子、倒れる。

1月18日・土曜日

朝5時過ぎ。ベッド脇のテレビを付けてうつらうつら。
起きる気がしない。でも陵太郎が部屋に来るかもしれない。
気を取り直してテーブル周りを片付ける。

食欲なし。コーヒーのみ。

午後、陵太郎と病院へ。
ベットの脇に車いすがたたんであった。
午前中に3分間の歩く練習をしたとのこと。たった3分!!
これでリハビリと言えるのだろうか。私の場合は30分はした。
リハビリ室までその車いすで行ったらしいから、それが限界なのかも知れない。

昨日、夕刻に薬を飲むための水を飲む練習をしていた。
すぐむせる。口調は廃人同然。。果たして回復するのだろうか。
絶対直すという。しかしその目に涙がにじんでいる。
次の仕事を模索し、やっと手がかりをつかんだかのように見えた時だったのに。
それなのに残酷だ。

ケイコは私をなじる。何でも私に頼ってきた。
これからは一人でやれと、目をぬぐう。


明日の退院の件、主治医に話せと迫る。土・日はいないと看護婦。ホッとする。
火曜日に話して水曜日に退院させようと思う。

陵太郎と車いすを押して談話室で20分雑談。このときも点滴も一緒に移動。
退院したらおいしいパンを食べたい。お寿司を食べたい。
私は食欲なし。


ろれつが回らない。歩けない。脳梗塞---ケイコが壊れた。

2014-01-24 22:42:00 | ケイ子、倒れる。

1月17日金曜日

誕生日の昨夜は深夜に2割引の寿司パックを買ってきた。半額でないのが不満。
一緒に翌日の昼飯用に半額のおにぎりを三個と500mの缶ビールをワンカートン買った。
これが私の66回目のバースディケーキである。

昨夜は風呂を沸かす気もない。着の身着のままで布団に入る。
いつものようにが朝4時半に目が覚め、テレビをつけてうつらうつら。

風呂に入らずシャワーも使わず、いつも通り7時24分のバスに一人乗る。
7時45分に事務所に着く。ドア開けても誰もいない。

日差しが元気よく燦々と入っている。残酷な風景。一人では全く口を開かない。
どうするんだ。この先。暗澹たる気持ちのみが120%。真っ黒に私を覆う。
脳梗塞との診断。呂律が回らない。ふらついてまったく歩けない。

ケイ子が壊れた!!!

本人が一番イライラしている。ケイ子は19日の日曜日には退院。家に帰る。
陵太郎を呼べ。と再三、声を荒げる。


誕生日に併せ15日の深夜から後生掛温泉に行き、
4日間楽しく過ごし20日の早朝に帰ってくる予定が吹っ飛んだ。
そして人生最大の危機が襲ってきた。

後生掛温泉


12日午後、知人夫婦が事務所に来た。ワインを飲む。恵子が酔った。
飲み過ぎかと思った。足下がおぼつかない。私に捕まりながら歩く。口調も気になる。
まあ、酔いが覚めればと思う。翌13日、祭日の月曜日は私が一人が事務所へ。
ジャスコで待ち合わせしてマヨネーズなどを買ってもどる。

夜とんかつ。14日火曜日、後生掛温泉に持って行く大型バックを持って朝9時頃二人で事務所へ。
12時頃体調悪いから帰って寝るとケイコ、退社。川村氏来社。

翌15日、朝7時20分のバスで一人オフィスへ。。だんだん悪くなるとの電話で家に飛んで帰る。
10時頃に救急車呼ぶ。

後生掛温泉のオンドルの上で寝そべっているはずが、病院のベッドに拷問のように縛り付けられている。
トイレに行くな。ベッドでやれ。点滴のチューブが二本。なんたることか。
いつも活発溌剌。アグレッシブ。美人で負けず嫌い。プライドの高いケイコ。可哀想。残酷。


今後は私に甘えるな。頼るな。
あなたがすべてやれ、と私に命令する。



16日は私の誕生日。昨日、ケイ子が入院した。

2014-01-24 21:29:29 | ケイ子、倒れる。



1月16日は私の66回目の誕生日。
祝ってくれるはずのケイ子がいない。

昨日、救急車で入院した。

二三日前から体調の悪いケイ子を寝かしたまま、朝、一人事務所にいた。そこに携帯電話。

「だんだん悪くなる」。ろれつの回らないその声を聞いて、ぞーっとした。背筋か寒くなった。

頭が真っ白になった。そしておろおろした。どうしょうか。こまったなあ。医者に行くか。

ちょっと待て陵太郎に相談する。などと口走る。

この状況から逃げ出したかった。
救急車を呼んだらと仕事中の陵太郎。そうか。そうだ。


すぐ帰るとケイ子に電話。コートを着て飛びだす。


ベッドに抜けがらのようにぼんやり腰掛けていた。

病院嫌い医者の嫌いの恵子を説得口論しながら119を押したが通じない。

ふと、足をすりむいただけで救急車を呼ぶ。タクシー変わりに呼ぶ。
そんなTVの番組を思い出す。
この場合はどうか。ネットで調べる。そして電話相談。
即座に119番に電話しなさい。
携帯で掛けたが繋がらなかった。
携帯からはだめなのでは?
繋がりますよ。再度挑戦。送信ボタンを押してなかったのか。と気づく。



隊員3人は手慣れていた。タンカーに乗せられて救急車に。
着いた先が済生会病院。CTスキャン、MRIと検査がつづく。

「今日は何の日か知っているか」「えっ?」「16日 、誕生日」。

ベットに力なくグッタリ横になっている恵子が手を伸ばしてきた。

その手を握ると「おめでとう」ニコッと笑顔をくれた。

これが66回目の誕生プレゼントである。

暗澹たる気持ち。
ビール一本飲んでクィーンサイズのヘッドへ。一人寝る。



後生掛温泉

2014-01-19 11:47:23 | Weblog

後生掛温泉に行ってきた。「ごしょうがけ」と読む。22時半に夜行パスで東京を発つ。

翌朝6時半に鹿角花輪駅に着く。「かずのはなわ」と読む。秋田県である。

従業員が乗るマイクロバスに乗せてもらい50分ほど。

目指す後生掛温泉に到着。

食事はすべて自炊。(三食付きの旅館の部もある。)自慢は床が地熱を利用したオンドル。実に暖かい。

真冬、外には大量の雪。なのに建物中ではTシャツ、短パンが常識。重装備していった私と妻は、びっくりして苦笑。

実に快適。難を言うと床が少々暑すぎること。靴下をはき、レンタルの布団の上で横になる。

直接触れては低温やけどしそう。オンドルの暑さ対策である。

ここでは「寒い」という言葉を一度も口にしたことなし。すばらし。6種類の浴槽がありこれも文句なし。

さらに、ネットも携帯もつながらないテレビもない生活を3日間体験できるのも最高。静かである。

今のネットに囲まれた生活は果たしてなんなのか。

まるでネットにコミュニケーションに脅迫(強迫)されている。24時間365日。

やることと言えばひたすら温泉に入るだけ。のどが渇くのでビールがうまい。

持って行ったワインを窓の外で冷やして飲む。

グラスを借りるのも面倒で一番してはいけない紙コップで飲んだ。


また湯治に行きたし。後生掛温泉へ。