昔々、田舎のお家にしっかりもののお母さん猫がおりました。思い出深い三毛猫です。
この手紙は、以前主人がミーちゃん宛に書いた手紙です。会ったこともないミーちゃんですが、素敵な手紙だったのでblogに載せてみました
拝啓 天国にいるミーちゃんへ
ミーちゃんは頭と背中が茶色、お腹と手足が白、それに焦茶の斑(ぶち)が首と背中についた三毛猫のお母さんでしたね。
子供を数えきれないくらい産み、十八年生きて二月の寒い晩天国に旅立ちましたね。今、その天国で子供たちと仲良く暮らしていることでしょう。
ミーちゃんはネズミを捕るのが苦手でしたが、その代りこの世に子供を沢山産みに来たのでしたね。お腹のお乳に子猫をぶら下げて伸び伸び横たわっていた姿が思い出されます。
子猫を物置のダンボールの中から、より安全な縁側の端の押入へ大移動させた光景も忘れられません。
ミーちゃんは子猫を一匹ずつ口にくわえ、物置脇の木蓮の木をよじ上り、物置の屋根へ跳び移り、そこから、母屋の縁側の戸袋の上へ下り、開いた天窓から縁側のガラス戸を、両腕をハの字の格好に開いてブレーキをかけつつ滑りおり、無事縁側に着地したのでしたね。
しかも、それを子猫の数だけ繰り返したのです。あまりに巧みな技に、真似する猫も出たくらいです。
どうやって、その侵入路を考えついたのでしょう。子を守ろうとする気持ちが、瞬時に思いつかせてしまったのでしょうか。
ミーちゃんの子育ては、獲物の仕留め方やケンカのやり方までの一通りの仕種を教え、お乳がでなくなると終了しましたね。
そうなると、ミーちゃんは子供に対して急に余所余所しくなり、自然と子供たちは独り立ちしていきました。それでも、ミーちゃんの子供への愛が枯れ果てたわけではありませんでしたね。
子供たちが病気になるや、それこそ排泄物に至るまで嘗め尽くし、周囲から汚物を消し去ってしまいましたし、ケンカに敗れ気落ちした子供には、暖かい懐で迎え入れてあげていましたね。
子供や孫への愛は終生変わることがありませんでした。また、自分を産んでくれた母親猫に対しても愛情は向けられていました。
冬の寒い晩、石油ストーブの前で毛皮の薄くなった母親猫と頭と脚を交互に組み合い円く横になっていた光景が思い出されます。この世に子孫を残すために生れた母親同志。
たとえ、ミーちゃんの直系が絶えてしまったとしても、母親猫の愛情は世代を超えて猫たちに引き継がれていくことでしょう。
ミーちゃんの得意技は、子育てと木登り、それと三番目にヘビ捕り(傍点)が上げられますね。
ある日ミーちゃんは、顔を不様に腫れ上がらせて藁の上にいました。どうやら、山でマムシに咬まれたらしいのです。
しかし、ご安心を、猫にはマムシの毒に免疫があるのです。程なく腫れが引くや、今度は、ミーちゃんのマムシへの逆襲が始まりました。ミーちゃんは同じ失敗を繰り返しませんでした。
おそらく、ヘビよりも先に跳びかかり、過たず鋭い爪でヘビの急所を突いたのでしょう。ミーちゃんは死んだヘビを山から引きずり下ろし、家の庭に見よがしに置きました。私を咬んだのはこいつだと言わんばかりに。
思えば、私の祖先もマムシ捕りの名人で、マムシを刺した一升瓶が何本も庭に並んだものでした。私共は、新たな名人の出現に畏れ入ったものです。あの時は、ミーちゃんにとって最も誇らしい瞬間だったにちがいありませんね。
年に三回も四回も子供を産む壮年期を過ぎ、ついにミーちゃんに子供が宿らなくなる日が来ました。その時、ミーちゃんの猫としての使命は終わったと言えるかもしれませんね。
でも、最後の数年間はミーちゃんとの親密感がいや増した日々でした。子供に全ての栄養を与え続けた結果、老年のミーちゃんは、歯が全て抜け落ち、背中の毛も皮膚が透ける程に抜けてしまいました。
そのことを話題にしていると、耳を後ろに向けていたミーちゃんは素早く毛繕いし、禿を目立たなくしてしまいましたね。
頭が大きく、利発なミーちゃんはこのように晩年よく日本語を理解していました。ご飯、炬燵といった言葉に敏感に反応し、褒め言葉にこれまで以上に尻尾を振るようにさえなりましたね。
人間との親しみが深まったその矢先に、ミーちゃんの死は突然訪れました。直接の死因はわかりませんが、張った乳が元の状態に戻らなかったことから、乳癌を患ったようです。
生憎私は、ミーちゃんの死目にあえませんでした。駆けつけた時、ミーちゃんは既にお墓の中でした。
一体、死が間近に迫ると、もっと生かしたいという気持ちと裏腹に、それとわかってしまうものです。
あの時、ミーちゃんの死は何時来てもおかしくない状態にあったのでしょうね。最後にミーちゃんを見たのは、死の数日前の朝でした。
何時になく落ち着きのないミーちゃんは、炬燵から出て私の枕元に腰を落としました。すぐに寒くなって炬燵に戻るだろうと、私はまた寝入りましたが、気づくと、まだミーちゃんは枕元にいます。
「どうした」 と声をかけても目を細めて黙っています。顎の下を撫でると気持ちよさそうに首を伸ばしてきます。骨と皮の擦れるゴリゴリした音がします。暫くその姿勢でいたミーちゃんはやがて炬燵に戻りました。
それが私がミーちゃんに触れた最後になりました。ミーちゃんは静かに別れの挨拶を交わしたのでしたね。
臨終の場に居合わせなかったせいか、私にはミーちゃんがまだどこかで生きているような気がしてなりません。
目を閉じると、「おいしい、おいしい」とネコ語でモゴモゴ言いながら摂っていた食事姿、お腹が一杯になり暖かな部屋で寛いでいる時の満ち足りた笑顔、食卓に並んだ食事(玉子焼きやちくわが好物)や居並ぶ家族の面々をこっそり窺うため薄く目を開けた面ざしなどが次々と浮かんできます。
それらはミーちゃんを語る上で、欠かせない一コマとなりましたね。
思い出を宿しているのは私たち家族だけではありません。木登りしたあの木蓮の木、あの柿の木を覚えていますか。
あの木々はミーちゃんの爪痕を今にしっかり残しています。ひょっとしたら、あの木々は私たちよりも長生きして、ミーちゃんの思い出を後世に運んでいくかもしれません。
ですから、ミーちゃん、ミーちゃんのことを覚えているのは、家族ばかりでないことを忘れないでくださいね。
そもそも、ペットの猫と人間の差はどこにあるのでしょうか。
特にお金をもたらすわけでなく、食住を人間から無条件で与えられるのがペットだとしたら、それこそ当時学生でお金を稼ぐわけでもなく、衣食住を親から与えられていた私なぞは、一体ペットと如何程の差があったのでしょうか。
私はペットの猫と身分的にそれ程離れていなかったのではないでしょうか。私は親という別の人間のペットだったのではなかったでしょうか。
ですから、ミーちゃんと私は結局同じ存在だったのですね。
これは当時のペットからペットのミーちゃんへの追悼のお便りです。
どうぞ天国でゆっくりお休みください。
今度のお彼岸にはまた煮干しを持ってお墓参りに行きます。夢の中でミーちゃんと会えたらいいですね。
敬具