素晴らしいダンサーには、人を大切にする優しさがある (GLOBE引用)
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バレエダンサー 岩田守弘氏について、朝日新聞GLOBE 記事が素晴らしかったので以下のとおり、まとめました。
1970年生まれの45歳、 日本バレエ協会発足当時の理事である父、岩田高一氏のバレエスクールで習い始めた。岩田氏は父親から受け継がれた才能、天性のジャンプ力で頭角をあらわすも、高校2年で出場したコンクールで、ライバルであり後輩の久保紘一氏の技術にはとおくおよばず。練習に打ち込み、後輩に教えを請う岩田氏。
負けたくない以上に、彼(岩田)のために何かしてあげたい人柄。(久保氏談)。久保氏と参加した1989年のモスクワ国際バレエコンクールでは、久保氏はトップを勝ち取り、岩田氏は予選落ち。
それでもバレエへの思いは揺らがなかった。
転機はボリショイ・バレエ学校への留学。そして、生涯の師 アレクサンドル・ボンダレンコとの出会い。
岩田氏がレッスン後、夜遅くまで稽古場で練習を続けるとき、ボンダレンコは時間のある限り付き合った。
岩田氏の 「バレエとは何か」 の問いに、ボンダレンコは 「道徳だ」 と答えた。岩田氏は思った。
型を守り、心を表現するから人を感動させる芸術になる…と。
そして、自身の小柄な身体を生かした、ダイナミックな表現豊かな踊りが生まれた。
以下は岩田氏の突破する力を表すエピソードの数々である。
○国立ロシアバレエ団では、「白鳥の湖」の道化などの個性的な役があたり役となり、ロシアの名だたるコンクールで最優秀賞を受賞。
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○しかし、小柄な岩田氏には、王子などの主役を踊るチャンスは来なかった。
○どうせ道化をやるなら、憧れのボリショイで踊りたい。と、ロシアバレエ団から、ボリショイへ転籍。
○ボリショイでは役に恵まれず、与えられたのが猿の役。着ぐるみで1分余り踊る学生にあてがわれるような役だ。
○どんな役でも精いっぱい踊るだけだ。と、サルの動きを徹底的に研究した。
○作中には本物の馬も登場し、後に「サルと本物の馬だけが良かった。」と評価された。
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○今では、「モリよりいい道化はいない。」と言われる存在。往年の大スター、ミハイル・ラブロフスキーは「最近はボリショイも表現力が落ちてきた。その中でもモリは、60年代ダンサーの伝統を守っている。」と認める。
新天地は3年前にロシア・東シベリアにあるブリヤート共和国、ブリヤート国立劇場のバレエ団・芸術監督。
ここで世界一のバレエを作る。
岩田氏は「鬼と化す」を念頭に、厳しく指導し、「感情の変化を大切にするようになった。」と団員の表現力にも磨きがかかっているようだ。
次なる岩田氏の夢は、
自らの手で長く踊り継がれる作品を作ること。クラシックの本来の意味は古典ではなく永遠。昔の人にできて、僕にできないはずはない。
岩田氏の人柄、心のありよう、生き方、バレエへの飽くなき情熱が、国境を越えて人の心を動かし、細やかな感情表現が人々に感動を与える。
この先も岩田氏の夢を見守って、遠い日本から応援していきたいですね。