2004年10月23日撮影。台風が通過した翌朝ではなかっただろうか。
1988年春から1990年春まで私は府中四谷橋のちかくに住んでいた。
といっても当時は橋の建設のことは全く知らず、2000年に対岸の聖蹟桜ヶ丘に転居し、初めて府中四谷橋を見て変貌振りに驚いた。
1990年ころの聖蹟桜ヶ丘は光り輝いていた。物理的というより心理的に。バブル真っ最中のころだったし、スクエアがTBSのドラマの舞台になったり、億ションだったという。
関戸橋は大渋滞の名所だった。
当時と変わらないのは多摩川の風景。
夕方、ちゃりんこを停めて土手に腰を下ろすと青空の遥か高いところにジェット機がいつも輝いて動いていて、ひっそりかんとした公園のベンチに所在なげな男がぽつんと佇んでいる。清掃工場の煙突が虚構のような風景に句読点を打っていてうら寂しい。ふと遠くから轟音を響かせて多摩川の鉄橋を京王線の電車が渡っていく。子どもの姿はなく歓声の響かない芝生の広がる多摩川の公園。やがて奥多摩の山々の空を赤く燃やして静かに多摩川の広大な空間は闇に包まれる。
1988年春から1990年春まで私は府中四谷橋のちかくに住んでいた。
といっても当時は橋の建設のことは全く知らず、2000年に対岸の聖蹟桜ヶ丘に転居し、初めて府中四谷橋を見て変貌振りに驚いた。
1990年ころの聖蹟桜ヶ丘は光り輝いていた。物理的というより心理的に。バブル真っ最中のころだったし、スクエアがTBSのドラマの舞台になったり、億ションだったという。
関戸橋は大渋滞の名所だった。
当時と変わらないのは多摩川の風景。
夕方、ちゃりんこを停めて土手に腰を下ろすと青空の遥か高いところにジェット機がいつも輝いて動いていて、ひっそりかんとした公園のベンチに所在なげな男がぽつんと佇んでいる。清掃工場の煙突が虚構のような風景に句読点を打っていてうら寂しい。ふと遠くから轟音を響かせて多摩川の鉄橋を京王線の電車が渡っていく。子どもの姿はなく歓声の響かない芝生の広がる多摩川の公園。やがて奥多摩の山々の空を赤く燃やして静かに多摩川の広大な空間は闇に包まれる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます