カメブログ

聖蹟桜ヶ丘に住むおじさん(通称カメちゃん)のブログ

佐藤優著『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』

2005年05月28日 | 身辺雑記
5月連休中かそのあとの週の週刊文春の米原万里さんの書評のページを読んで、これは読まねばならぬ本と思い、購入。

検索してみるとすでに多数の有名人の方々が読後感を公開されている。そのどれもが驚嘆に満ちているところがすごい。

たしかに期待通り、抜群に面白い。
外務省官僚、それもインテリジェンス=諜報活動に関わる官僚が綴る世界の話は全く未知の分野だから新鮮で興味深いに決まっている。

佐藤氏の記述は懇切丁寧で具体的であり、その緻密さから彼のペンは嘘をついていないと思わせる。
彼のペンは、あれほど報道で悪人扱いされた鈴木宗男氏が信念と構想力と行動力を兼ね備えた立派な政治家であることを描き出す。

たしかに松本サリン事件の冤罪・虚報問題や、JR福知山線脱線事件にまつわる、JR西日本への思考を停止したヒステリックなバッシング報道を思い起こすと、マスコミやそれに煽動される大衆は中庸を忘れて過激に走りすぎて、本質を見失う行動様式を持っていることがよくわかる。

鈴木宗男氏へのバッシング報道にもそうしたアンフェアな面が大いにあったのだと思う。

『拉致問題で日本ナショナリズムという『パンドラの箱』が開いた。ナショナリズムの世界では、より過激な見解がより正しいことになる。ナショナリズムは、経済が停滞した状況では昂揚しやすい』

バッシング報道においても、より過激なバッシングが好まれる性質があるのだろう。
株式投資においてもしかり。人は平衡を失ったときに一時的にせよ常に過激に走る。

ならば佐藤氏の主張がすべて信用に足るのかと自分に問うてみると、現在進行形の刑事事件の被告の手記であるだけに慎重にならざるを得ない。

こんな記事がある。

『ちょうどそのころ。ある外務省関係者は、佐藤が鈴木に向かって「その件は東郷にやらせましょう。私から言っておきますか?」と持ちかける場面を何度か目撃した。』

佐藤氏の尊大な姿が透けて見えるのである。

ともあれ、前半は国の外交の知られざる一面があかされており、後半は西村尚芳検事との法廷小説さながらの緊迫した取引が繰り広げられ、抜群に面白いドキュメントであることは間違いない。

それにしても本書で改めて紹介されている田中真紀子氏の奇行には驚かされた。類まれな「トリックスター」だけに、常識的な振る舞いさえしてくれたなら、角栄氏に劣らない業績(負の方向でなく)を積むことができたのではないかと残念でならない。