縄文人の反乱 日本を大事に

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●神道の事   ●法事の事   ●神事の事

2013年10月09日 22時13分01秒 | 色んな情報

●神道の事   ●法事の事   ●神事の事
●神道のことのまとめ  http://p.tl/Ig3L
 
●神道  http://p.tl/b8l3
 
●神道集 - Wikipedia http://p.tl/v9As

日本の中世の説話集・神道書。

安居院唱導教団の著作とされ、南北朝時代中期に成立したとされている。全10巻で50話を収録。

関東など東国の神社の縁起を中心としつつ、本地垂迹説に基づいた神仏に関する説話が載っている。

「諏訪縁起事」は甲賀三郎 (伝説)を伝えるものとして知られる。
 
●神道 - Wikipedia   http://p.tl/sXAv

神道(しんとう・かんながらのみち)は、日本の宗教。山や川などの自然や自然現象を敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。

神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。

宗教名の多くは何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。

伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した
 
●言挙げ(ことあげ) http://p.tl/0SZe
日本の神道において宗教的教義・解釈を「ことば」によって明確にすることを言う。

    自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされる(「言霊」の項より引用)

と解釈されている。ただし、「ことば」は広義には「身振り」など音声以外の要素も含むものであり、「身振り」(所作)を重んじるとする現在の多くの神道諸派も、広義には「ことば」を重視するものとされている(「言語」参照)。

ただし、神道家自身は「神道は言挙げせず」(後述参照)と言明し、現在では神道の理論闘争を避けることが多い。
 
●言霊(ことだま) http://p.tl/7PNW
日本において言葉に宿るとされた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、五十音のコトタマの法則を指し、その法則によって森羅万象が成り立つとされ、言霊を研究する学問を言霊学という。 
 
●言語(げんご 英: Language) http://p.tl/vZqR
コミュニケーションのための記号の体系である。

狭義には人間の音声による音声言語を指すが、広義には身振りなど音声以外の要素も含む。また、動物間のコミュニケーションや、コンピュータに指示するための記号体系を指す場合もある。

英語や日本語や中国語のように自然発生的に生まれた言語を自然言語と呼び、これに対して人為的に創作された言語を人工言語と呼ぶ。後者には、もっぱら人間同士によるやりとりを目的としたエスペラント、コンピュータの操作を目的としたプログラミング言語、それから人間にもコンピュータにも適したロジバンといったものがある。自然言語は、母語とする人々の存在を失うと使用されなくなり死語(廃語)と呼ばれる。
 
●死語 (言語学) http://p.tl/G9Az
言語学における死語(しご)とは一般に自然言語のなかで日常話者が存在しなくなったため実際には使用されていない言語を意味する。学校教育による支配階級の言語の強要、英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などの旧植民地支配勢力の言語が強まり、少数民族の固有言語は世界各地で絶滅(消滅)の危機にさらされている。
 
●廃語(はいご)http://p.tl/WNuq
昔はよく使われたが、現在はまったく使用されなくなった語彙である。
死語(しご)、とも言うが、言語学で死語といえば、その言語自体が母語として全く使用されなくなったことを意味する。
また、単に「○○は今は存在しない」という意味で(語彙としては現役でも)「○○は死語である」と言うこともある。
 
●語彙(ごい)http://p.tl/qsfy
ある特定の範囲(例えば、一つの文学作品や、一個人の発言記録など)において使われる単語の総体(「彙」は「集まり」の意味)。したがって、通例「語彙」を個々の語を示す表現として用いることはできない。たとえば、「あの人は語彙が豊富だ。」という文は容認できるが、「『もったいない』という語彙」と述べることには不自然さが伴う。語彙を体系的に記述研究する言語学の分野を語彙論という。
 
●●●●●●●●●●●
 神事   法事
 
●かみわざ 0 【神業/神▽事】三省堂 大辞林
(1)神にしかできないような素晴らしい技。神技。
「まさに―だ」
(2)神に関する行事。神事。かんわざ。
「十一月(しもつき)になりぬ。―などしげく/源氏(真木柱)」
--------------------------------------------------------------------------------
・かむわざ 【▽神▽事】
「かみわざ(神事)(2)」に同じ。
「儀式など常の―なれどいかめしうののしる/源氏(葵)」
--------------------------------------------------------------------------------
・かんわざ 【神▽事】
⇒かむわざ(神事)
--------------------------------------------------------------------------------
・しんじ 1 【神事】
神をまつる儀式。まつり。かみごと。
「―を執り行う」
 
●かみごと 【神事】世界宗教用語大事典
(古くはカムコト)日本で神を祭る行事。祭事。神事。神の仕業をもいう。物忌みの日をこう呼んで仕事を休む地方もある。(神言・神語と書けば神のお告げをいう)
--------------------------------------------------------------------------------
・しんじ 【神事】
(古くはジンジ)日本で神を祭る儀礼・行事。まつり。かみごと。神事興行として行う笠懸(笠の的を矢で射る)を神事笠懸という。能は神事能。神事舞もある。
 
●神事『ウィキペディア』http://p.tl/w23U
神事(しんじ、かみごと)とは、神に関するまつりごと、儀式。神前での祈りや神に伺いを立てることなどで、特定の宗教の神と結びついたものが多い。「じんじ」とも言った。
 
 
宗教に従事する専業者が行うものと、一般民衆の行事になっているものがある。一般民衆の行事となるものには、生活に結びついた行事であり、農業、商売などそれぞれの生業に基づく現世利益、生活の安定を求めるものが多い。またこの場合、様々な宗教や土着の信仰などが合わさった行事が並列的、複合的に行われることも多い。
 
・神道
神道における神事は「信仰そのもの」であり、行為のすべてが神事であるといっても過言ではない。古神道における自然物の神体や祠・塚や道祖神・地蔵などに手を合わせたり、感謝したり、お供え物を奉げれば、それら全てが「かんなぎ・神なぎ」であり、そのほかの古神道などが由来の庶民的な行事である祭や禊(みそぎ)・祓い(はらい)なども神事である。また、「詣で」の行い全てが神事であり、禊や祓いであるとされ、その身支度や往来や宿泊もそういった意味では神事になるともいえる。
 
神社神道の生業としての神社の神職である神主や巫女によって行われるものは、日々の勤しみとしての祝詞や神楽がありこれらは祈りとしての祀りであり巫(かんなぎ)でもある、個人の祈願記念として祓いや地鎮祭などは、神社に依頼しされ神職によって行われる。神仏習合のや他の宗教との習合や影響で、神道の神事には密教・仏教を初めとし時には儒教など、特に道教の陰陽五行思想などを由来とするものもある。
 
固有の生業(職業)に伝わる神事としては、一次産業とされる農林水産業に雨乞いや農耕(稲作信仰や米作りは神事)や漁り(いさり)や土地や海の豊饒(ほうじょう・肥える・栄養豊かな海)や収穫の豊穣(ほうじょう・実り豊か)や狩りとしてのマタギなどの神事として始まり、時代とともに「勤しみ(いそしみ)」や営み(いとなみ)が神聖視され、二次産業とされる加工業として鍛冶・たたらや酒造・醸造や建築・土木などの職業にも神事が行われるようになった。現在も作業の行程の節目で神棚などに、独自の儀式で神事を行う職業が多くある。
 
普段、意識しないが、大相撲は皇室神道として天皇に奉げられる神事であり、相撲は神社神道として、その地域の五穀豊穣・無病息災などを祈願祈念したの神事である。
 
・祭礼での神事
神を供応する形式の祭では、依り代を立てて神を迎える行為や送る行為、神幸に関する行為、神饌を献ずる行為や直会などを神事とすることが多く、最も重要な神事は神職や巫女、稚児などが神意を伺う行為であることが多い。
 
神意を伺う行為には間接的なものもあり、神前での相撲などの結果如何で吉凶を占う神事もある。このような行為の宗教的な意味合いは強く意識されていないが、同じようなものが多くあり、流鏑馬、競馬(くらべうま)などの競技や、物や動物を使ったものがある。
 
演舞も神事であることが多く、神楽が神事舞の代表的なもので、巫女の舞、獅子舞などがある。このほか能楽などの伝統芸能にも神事の要素がある物が多い。
 
 
● 祭  祭(まつり)とは、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)である。祭祀(さいし)、祭礼(さいれい)。また、まつりの漢字の表記(祀り・祭り・奉り・政りなど)によって、用途や意味合いが少し異なってくる  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7 %A5%AD
●禊  禊(みそぎ)とは、神道用語で2つの意味がある。
禊のひとつ滝行を行う男性   http://p.tl/872G
1.禊場である打たせ滝(伊屋ヶ谷・龍樹院)1.神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。類似した水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。
用例は万葉集より「君により言の繁きを 故郷の明日香の河に禊しにゆく」 (巻4-626)
2.禊祓(みそぎはらえ)の略。俳句や短歌などでは、夏の季語に用いられる。
●神社 神社(じんじゃ・かむやしろ)http://p.tl/2DiS
日本の宗教の神道の祭祀施設、及びその施設を中心とした祭祀儀礼・信仰を行う組織。
鳥居の内の区域一帯を、「神霊が鎮まる神域」とみなす。
 
古くは社殿がなくとも「神社」とした。神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」(=信仰対象、神)が宿るとして敬い、俗(生活に活かす)の山、滝、岩、森、巨木と区別したのである。現在の社殿を伴う「神社」は、これらの神々が祀られた祭殿が常設化したものとされる。
 
現在では参拝用の施設の他に、結婚式の設備[3]などが併設されることも多い。戦前はいわゆる「国家神道」も「神社」と称した
●- 神具  神具(しんぐ)http://p.tl/xOfz 神道の祭祀に用いられる道具、または器具をいう。
●仏事(仏事から転送)法要
・法要(ほうよう)とは、
1.本来の意味は、仏教において釈迦の教え(仏法)を知るということ。つまり仏法の要点・肝要を知ること。
2.その後、上記の用語が転用され、法事・仏事・法会などの儀式祭礼などの仏教行事一般のことをいうようになった。
日本では、しだいに供養(追善供養)のことを指すようになり、その後一般的に死者を弔う儀式をさすようになった。法事(ほうじ)、仏事ともいう。
 
また死者を弔う儀式以外に、寺の創立記念や落慶(新しい堂宇の完成記念)や仏像の開眼などの慶事も含む。
 
 
●落慶(らっけい)http://p.tl/y7qH 寺社などの新築、また修理の完成を祝うことである。
 
「落」とは「落成」のことで、中国で宮廷ができた時の祭りのことであった。これが転じて寺院などを建築し新しく完成したときに転用されて言われるようになった。またその時に執行される式典を落慶法要(らっけいほうよう)、落成慶讃会(らくせいけいさんえ)、落成式(らくせいしき)などという。
 
落慶法要では、本尊である仏像(または曼荼羅など)を安置し、本尊に魂を入れる儀式として開眼法要を行い、その工事の完成を祝い仏や宗祖、またはその寺院に機縁する祖先などに表白(ひょうびゃく)し、慶賀讃嘆するのが常となっている。
 
また、このような慶事には、大空に「彩雲」や「日暈」、また「虹」といった吉祥(吉兆)の相がよく現れるといわれる。
 
 
 
●開眼(かいげん)http://p.tl/l2ga 新たに作られた仏像や仏画などを寺院伽藍また堂に安置し、魂を請じ入れることである。入仏開眼(にゅうぶつかいげん)、また開明(かいみょう)、開光明(かいこうみょう)などともいう。
 
これらの儀式を開眼法要(供養)(かいげんほうよう・くよう)などという。
 
また智慧の眼を開いて仏法の真理に目覚める、つまり悟ることも「開眼」という場合がある。
 
有名な例では、752年に奈良の東大寺にて大仏の開眼を行ったことが挙げられる。開眼には香や華、燈明、護摩などの供養をもって行う。
 
 
 
●開眼法要(かいげんほうよう) http://p.tl/9c8l
仏像、仏画、仏壇、墓などの完成の際に営まれる法要のこと。 「開眼供養」、「入魂式」、「魂入れ」とも言う。
 
例外として浄土真宗では、「開眼法要」・「入魂式」は営まない。詳細は、後述する。(本ページ、「御移徙」を参照のこと。)


●神道の事   ●法事の事   ●神事の事

2013年10月09日 22時13分01秒 | 色んな情報

●神道の事   ●法事の事   ●神事の事
●神道のことのまとめ  http://p.tl/Ig3L
 
●神道  http://p.tl/b8l3
 
●神道集 - Wikipedia http://p.tl/v9As

日本の中世の説話集・神道書。

安居院唱導教団の著作とされ、南北朝時代中期に成立したとされている。全10巻で50話を収録。

関東など東国の神社の縁起を中心としつつ、本地垂迹説に基づいた神仏に関する説話が載っている。

「諏訪縁起事」は甲賀三郎 (伝説)を伝えるものとして知られる。
 
●神道 - Wikipedia   http://p.tl/sXAv

神道(しんとう・かんながらのみち)は、日本の宗教。山や川などの自然や自然現象を敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。

神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。

宗教名の多くは何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。

伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した
 
●言挙げ(ことあげ) http://p.tl/0SZe
日本の神道において宗教的教義・解釈を「ことば」によって明確にすることを言う。

    自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされる(「言霊」の項より引用)

と解釈されている。ただし、「ことば」は広義には「身振り」など音声以外の要素も含むものであり、「身振り」(所作)を重んじるとする現在の多くの神道諸派も、広義には「ことば」を重視するものとされている(「言語」参照)。

ただし、神道家自身は「神道は言挙げせず」(後述参照)と言明し、現在では神道の理論闘争を避けることが多い。
 
●言霊(ことだま) http://p.tl/7PNW
日本において言葉に宿るとされた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、五十音のコトタマの法則を指し、その法則によって森羅万象が成り立つとされ、言霊を研究する学問を言霊学という。 
 
●言語(げんご 英: Language) http://p.tl/vZqR
コミュニケーションのための記号の体系である。

狭義には人間の音声による音声言語を指すが、広義には身振りなど音声以外の要素も含む。また、動物間のコミュニケーションや、コンピュータに指示するための記号体系を指す場合もある。

英語や日本語や中国語のように自然発生的に生まれた言語を自然言語と呼び、これに対して人為的に創作された言語を人工言語と呼ぶ。後者には、もっぱら人間同士によるやりとりを目的としたエスペラント、コンピュータの操作を目的としたプログラミング言語、それから人間にもコンピュータにも適したロジバンといったものがある。自然言語は、母語とする人々の存在を失うと使用されなくなり死語(廃語)と呼ばれる。
 
●死語 (言語学) http://p.tl/G9Az
言語学における死語(しご)とは一般に自然言語のなかで日常話者が存在しなくなったため実際には使用されていない言語を意味する。学校教育による支配階級の言語の強要、英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などの旧植民地支配勢力の言語が強まり、少数民族の固有言語は世界各地で絶滅(消滅)の危機にさらされている。
 
●廃語(はいご)http://p.tl/WNuq
昔はよく使われたが、現在はまったく使用されなくなった語彙である。
死語(しご)、とも言うが、言語学で死語といえば、その言語自体が母語として全く使用されなくなったことを意味する。
また、単に「○○は今は存在しない」という意味で(語彙としては現役でも)「○○は死語である」と言うこともある。
 
●語彙(ごい)http://p.tl/qsfy
ある特定の範囲(例えば、一つの文学作品や、一個人の発言記録など)において使われる単語の総体(「彙」は「集まり」の意味)。したがって、通例「語彙」を個々の語を示す表現として用いることはできない。たとえば、「あの人は語彙が豊富だ。」という文は容認できるが、「『もったいない』という語彙」と述べることには不自然さが伴う。語彙を体系的に記述研究する言語学の分野を語彙論という。
 
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 神事   法事
 
●かみわざ 0 【神業/神▽事】三省堂 大辞林
(1)神にしかできないような素晴らしい技。神技。
「まさに―だ」
(2)神に関する行事。神事。かんわざ。
「十一月(しもつき)になりぬ。―などしげく/源氏(真木柱)」
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・かむわざ 【▽神▽事】
「かみわざ(神事)(2)」に同じ。
「儀式など常の―なれどいかめしうののしる/源氏(葵)」
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・かんわざ 【神▽事】
⇒かむわざ(神事)
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・しんじ 1 【神事】
神をまつる儀式。まつり。かみごと。
「―を執り行う」
 
●かみごと 【神事】世界宗教用語大事典
(古くはカムコト)日本で神を祭る行事。祭事。神事。神の仕業をもいう。物忌みの日をこう呼んで仕事を休む地方もある。(神言・神語と書けば神のお告げをいう)
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・しんじ 【神事】
(古くはジンジ)日本で神を祭る儀礼・行事。まつり。かみごと。神事興行として行う笠懸(笠の的を矢で射る)を神事笠懸という。能は神事能。神事舞もある。
 
●神事『ウィキペディア』http://p.tl/w23U
神事(しんじ、かみごと)とは、神に関するまつりごと、儀式。神前での祈りや神に伺いを立てることなどで、特定の宗教の神と結びついたものが多い。「じんじ」とも言った。
 
 
宗教に従事する専業者が行うものと、一般民衆の行事になっているものがある。一般民衆の行事となるものには、生活に結びついた行事であり、農業、商売などそれぞれの生業に基づく現世利益、生活の安定を求めるものが多い。またこの場合、様々な宗教や土着の信仰などが合わさった行事が並列的、複合的に行われることも多い。
 
・神道
神道における神事は「信仰そのもの」であり、行為のすべてが神事であるといっても過言ではない。古神道における自然物の神体や祠・塚や道祖神・地蔵などに手を合わせたり、感謝したり、お供え物を奉げれば、それら全てが「かんなぎ・神なぎ」であり、そのほかの古神道などが由来の庶民的な行事である祭や禊(みそぎ)・祓い(はらい)なども神事である。また、「詣で」の行い全てが神事であり、禊や祓いであるとされ、その身支度や往来や宿泊もそういった意味では神事になるともいえる。
 
神社神道の生業としての神社の神職である神主や巫女によって行われるものは、日々の勤しみとしての祝詞や神楽がありこれらは祈りとしての祀りであり巫(かんなぎ)でもある、個人の祈願記念として祓いや地鎮祭などは、神社に依頼しされ神職によって行われる。神仏習合のや他の宗教との習合や影響で、神道の神事には密教・仏教を初めとし時には儒教など、特に道教の陰陽五行思想などを由来とするものもある。
 
固有の生業(職業)に伝わる神事としては、一次産業とされる農林水産業に雨乞いや農耕(稲作信仰や米作りは神事)や漁り(いさり)や土地や海の豊饒(ほうじょう・肥える・栄養豊かな海)や収穫の豊穣(ほうじょう・実り豊か)や狩りとしてのマタギなどの神事として始まり、時代とともに「勤しみ(いそしみ)」や営み(いとなみ)が神聖視され、二次産業とされる加工業として鍛冶・たたらや酒造・醸造や建築・土木などの職業にも神事が行われるようになった。現在も作業の行程の節目で神棚などに、独自の儀式で神事を行う職業が多くある。
 
普段、意識しないが、大相撲は皇室神道として天皇に奉げられる神事であり、相撲は神社神道として、その地域の五穀豊穣・無病息災などを祈願祈念したの神事である。
 
・祭礼での神事
神を供応する形式の祭では、依り代を立てて神を迎える行為や送る行為、神幸に関する行為、神饌を献ずる行為や直会などを神事とすることが多く、最も重要な神事は神職や巫女、稚児などが神意を伺う行為であることが多い。
 
神意を伺う行為には間接的なものもあり、神前での相撲などの結果如何で吉凶を占う神事もある。このような行為の宗教的な意味合いは強く意識されていないが、同じようなものが多くあり、流鏑馬、競馬(くらべうま)などの競技や、物や動物を使ったものがある。
 
演舞も神事であることが多く、神楽が神事舞の代表的なもので、巫女の舞、獅子舞などがある。このほか能楽などの伝統芸能にも神事の要素がある物が多い。
 
 
● 祭  祭(まつり)とは、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)である。祭祀(さいし)、祭礼(さいれい)。また、まつりの漢字の表記(祀り・祭り・奉り・政りなど)によって、用途や意味合いが少し異なってくる  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7 %A5%AD
●禊  禊(みそぎ)とは、神道用語で2つの意味がある。
禊のひとつ滝行を行う男性   http://p.tl/872G
1.禊場である打たせ滝(伊屋ヶ谷・龍樹院)1.神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。類似した水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。
用例は万葉集より「君により言の繁きを 故郷の明日香の河に禊しにゆく」 (巻4-626)
2.禊祓(みそぎはらえ)の略。俳句や短歌などでは、夏の季語に用いられる。
●神社 神社(じんじゃ・かむやしろ)http://p.tl/2DiS
日本の宗教の神道の祭祀施設、及びその施設を中心とした祭祀儀礼・信仰を行う組織。
鳥居の内の区域一帯を、「神霊が鎮まる神域」とみなす。
 
古くは社殿がなくとも「神社」とした。神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」(=信仰対象、神)が宿るとして敬い、俗(生活に活かす)の山、滝、岩、森、巨木と区別したのである。現在の社殿を伴う「神社」は、これらの神々が祀られた祭殿が常設化したものとされる。
 
現在では参拝用の施設の他に、結婚式の設備[3]などが併設されることも多い。戦前はいわゆる「国家神道」も「神社」と称した
●- 神具  神具(しんぐ)http://p.tl/xOfz 神道の祭祀に用いられる道具、または器具をいう。
●仏事(仏事から転送)法要
・法要(ほうよう)とは、
1.本来の意味は、仏教において釈迦の教え(仏法)を知るということ。つまり仏法の要点・肝要を知ること。
2.その後、上記の用語が転用され、法事・仏事・法会などの儀式祭礼などの仏教行事一般のことをいうようになった。
日本では、しだいに供養(追善供養)のことを指すようになり、その後一般的に死者を弔う儀式をさすようになった。法事(ほうじ)、仏事ともいう。
 
また死者を弔う儀式以外に、寺の創立記念や落慶(新しい堂宇の完成記念)や仏像の開眼などの慶事も含む。
 
 
●落慶(らっけい)http://p.tl/y7qH 寺社などの新築、また修理の完成を祝うことである。
 
「落」とは「落成」のことで、中国で宮廷ができた時の祭りのことであった。これが転じて寺院などを建築し新しく完成したときに転用されて言われるようになった。またその時に執行される式典を落慶法要(らっけいほうよう)、落成慶讃会(らくせいけいさんえ)、落成式(らくせいしき)などという。
 
落慶法要では、本尊である仏像(または曼荼羅など)を安置し、本尊に魂を入れる儀式として開眼法要を行い、その工事の完成を祝い仏や宗祖、またはその寺院に機縁する祖先などに表白(ひょうびゃく)し、慶賀讃嘆するのが常となっている。
 
また、このような慶事には、大空に「彩雲」や「日暈」、また「虹」といった吉祥(吉兆)の相がよく現れるといわれる。
 
 
 
●開眼(かいげん)http://p.tl/l2ga 新たに作られた仏像や仏画などを寺院伽藍また堂に安置し、魂を請じ入れることである。入仏開眼(にゅうぶつかいげん)、また開明(かいみょう)、開光明(かいこうみょう)などともいう。
 
これらの儀式を開眼法要(供養)(かいげんほうよう・くよう)などという。
 
また智慧の眼を開いて仏法の真理に目覚める、つまり悟ることも「開眼」という場合がある。
 
有名な例では、752年に奈良の東大寺にて大仏の開眼を行ったことが挙げられる。開眼には香や華、燈明、護摩などの供養をもって行う。
 
 
 
●開眼法要(かいげんほうよう) http://p.tl/9c8l
仏像、仏画、仏壇、墓などの完成の際に営まれる法要のこと。 「開眼供養」、「入魂式」、「魂入れ」とも言う。
 
例外として浄土真宗では、「開眼法要」・「入魂式」は営まない。詳細は、後述する。(本ページ、「御移徙」を参照のこと。)


●神

2013年10月09日 21時08分37秒 | 色んな情報

●神
ニン、ニン!! 2013年10月8日
神道の事がわからない(理解出来ない)人にはわからない。
みんなにわかる言葉でよびかける事が 必要じゃないですか?

●かみ 1 【神】三省堂 大辞林
人間を超えた存在で、人間に対し禍福や賞罰を与え、信仰・崇拝の対象となるもの。
(1) (ア)宗教・習俗において、信仰・崇拝・儀礼・神話・教義などの中心となる位格・存在。日本の神道や民俗の祭りでまつられる対象、またはユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの超越的絶対者。仏教では、仏や菩薩の権現・守護者などとされ、仏とは区別される。
「―に祈る」「―のお告げ」
(イ)哲学で、世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在。
(2) (ア)日本の神話で、神武天皇より前に登場する人格神。
「天地初めて発(ひら)けし時、高天の原に成れる―の名は/古事記(上訓)」
(イ)天皇。
「大君は―にしませば/万葉 235」
(ウ)人間に危害を加える恐ろしいもの。蛇・虎など。
「韓国(からくに)の虎といふ―を/万葉 3885」
(エ)かみなり。なるかみ。
「―いとおそろしう鳴りたれば/枕草子 99」
» (成句)神掛けて
» (成句)神と仏は水波の隔て
» (成句)神ならぬ身
» (成句)神の正面仏の真尻
» (成句)神の存在証明
» (成句)神の見えざる手
» (成句)神は正直の頭に宿る
» (成句)神は非礼を受けず
» (成句)神は見通し
» (成句)神も仏もない
--------------------------------------------------------------------------------
・かむ 【▽神】
上代、「かみ(神)」が他の要素の前に付いて複合語を作るときの語形。〔上代では複合語を作る際、「かむかぜ」「かむさぶ」など「かむ」の形をとる。また、中世以降、「かみ…」という複合語は撥音便形「かん…」をも生じ、これが「かむ…」と表記されることもあったので、上代の「かむ」の残存か「かみ」の音便形かの区別は困難である〕
--------------------------------------------------------------------------------
・かん 【神】
⇒かむ(神)
--------------------------------------------------------------------------------
・しん 1 【神】
〔「じん」とも〕
(1)精神。心。
「そゞろに人をして―飛び魂(こん)馳するの情に堪へざらしむ/日光山の奥(花袋)」
(2)かみ。
「―を敬ひ国を護る/謡曲・竹生島」
» (成句)神に入る
--------------------------------------------------------------------------------
・み 【▽神/▽霊】世界宗教用語大事典
日本の古語で〈霊的な力を持つもの〉の意。神霊。山神・海神。
「山祇(やまつみ)」「海神(わたつみ)」など他の語と複合して用いられる
「やまつ―の奉る御調(みつぎ)と/万葉 38」

●神 読み方:せん 隠語大辞典
数量ノ六。〔支那人隠語〕
数量の六を云ふ。
分類 支那人

●日本人の姓とその読み方に関するデータベース●
●神
    神
    姓    読み方
    神    かうざき
    神    かなざき
    神    かみ
    神    かみさき
    神    かみざき
    神    かみたか
    神    かみむら
    神    かん
    神    かんざき
    神    こう
    神    さん
    神    しん
    神    じん
●●
●神(かみ)http://p.tl/SRuf
人間の民族性・地域性・文化・伝統などの歴史的背景を経て、その宗教的風土や伝統的風土の中で醸成された、人知を超えて尊敬・崇拝される存在ないし概念のことをいう。
●●
●かみ 1 【佳味】三省堂 大辞林
(1)よい味。よい味の食べ物。
(2)よい趣。
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・かみ 1 【上】
空間的・時間的に連続したものの上の方。初めの方。高いところ。
⇔下(しも)
1.連続したものの初めの部分。
(1)川の上流。また、その流域。
「川の―の方」「泊瀬(はつせ)の河の―つ瀬に/古事記(下)」
(2)昔。今からみてずっと前。
「その―」「―つ代/玉勝間」
(3)初めの部分。いくつかに分けたものの最初のもの。
(ア)月や年の初めの部分。
「―半期」「―期」「―の十日」
(イ)書物の初めの部分。
「―の巻」
(ウ)和歌で初めの三句。
「―の句」
2.位置の高い所。
(1)上の方。
「この山の―にありといふ布引の滝見にのぼらむ/伊勢 87」
(2)身体の腰から上の部分。
「腰より―は人にて、しもは蛇なる女/宇治拾遺 4」
3.中心地としての京都についていう。
(1)皇居のある所。京都。みやこ。また、関西地方。
「―方」「―の便りにあがる米の値(芭蕉)/炭俵」
(2)京都により近い所。
「―つけの(上野)」「―つふさ(上総)」
(3)京都で御所に近い方。北の方。
「烏丸(からすま)通りを―の方へ行く」
(4)上座。上席。
「しうとの―へなほる/狂言・庖丁聟」
(5)舞台の上手(かみて)。
4.地位・身分の高いこと。また、その人。
(1)高位の人。
「―は国王よりしもは万民に至るまで」
(2)天皇・君主・将軍・大名などをさす。
→おかみ
(3)政府・朝廷をさす。
「お―のお達し」
(4)主人。主君。
(5)他人の妻に対する敬称。
「―さま」「(お)―さん」
(6)料理屋の女主人などの称。
「お―(女将)」
» (成句)上漏り下潤う
» (成句)上を学ぶ下
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・かみ 【〈長官〉】
律令制四等官の最高位の官職の総称。官司によって表記が異なる。
→四等官(しとうかん)
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・かみ 1 【神】
人間を超えた存在で、人間に対し禍福や賞罰を与え、信仰・崇拝の対象となるもの。
(1) (ア)宗教・習俗において、信仰・崇拝・儀礼・神話・教義などの中心となる位格・存在。日本の神道や民俗の祭りでまつられる対象、またはユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの超越的絶対者。仏教では、仏や菩薩の権現・守護者などとされ、仏とは区別される。
「―に祈る」「―のお告げ」
(イ)哲学で、世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在。
(2) (ア)日本の神話で、神武天皇より前に登場する人格神。
「天地初めて発(ひら)けし時、高天の原に成れる―の名は/古事記(上訓)」
(イ)天皇。
「大君は―にしませば/万葉 235」
(ウ)人間に危害を加える恐ろしいもの。蛇・虎など。
「韓国(からくに)の虎といふ―を/万葉 3885」
(エ)かみなり。なるかみ。
「―いとおそろしう鳴りたれば/枕草子 99」
» (成句)神掛けて
» (成句)神と仏は水波の隔て
» (成句)神ならぬ身
» (成句)神の正面仏の真尻
» (成句)神の存在証明
» (成句)神の見えざる手
» (成句)神は正直の頭に宿る
» (成句)神は非礼を受けず
» (成句)神は見通し
» (成句)神も仏もない
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・かみ 2 【紙】
(1) 植物の繊維を水中で密にからみ合わせ、薄く平面状にのばして乾燥したもの。中国、後漢の蔡倫(さいりん)がその製法を発明したといわれる。絵や文字を書いたり、物を包んだり、障子や襖(ふすま)に貼ったりするのに用いる。和紙はミツマタ・コウゾ・ガンピなどの靭皮(じんぴ)繊維を原料とし、手すきで作る。洋紙は木材パルプなどを原料とし、これをくだいて溶かし、サイズ剤・填料(てんりよう)・色素などを加え、抄紙機で機械的に仕上げる。最近は合成繊維からも作られるようになった。
→パルプ
(2)じゃんけんの手の一。開いたてのひらで示す。ぱあ。
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・かみ 2 【髪】
(1)頭に生えている毛。髪の毛。
「―をとかす」
(2)頭髪を結った形。かみかたち。
「お下げ―」「日本―」
» (成句)髪上ぐ
» (成句)髪洗う
» (成句)髪の長きは七難隠す
» (成句)髪を下ろす
» (成句)髪をはやす
--------------------------------------------------------------------------------
・かみ 1 【加味】
(名)スル
(1)味をつけ加えること。
(2)ある事物の上にさらにつけ加えること。
「出席率を―した成績」

●噛み、咬み
読み方:かみ

●醸み
読み方:かみ、さけかみ
● 
●上身(かみ)刀剣用語解説集
刀身の上部、刃区(はまち)から切先(きっさき)までを指す言葉。
 
●津軽語辞典
 かみ
意味 関東方面(東京)のこと、津軽からだと列車で「上り」に乗車するが、「上:かみ」から由来する
●仙台の南隣の名取市を中心に話されている方言 http://p.tl/vWzL
 かみ
  単語 発音  意味、             用例 関連語
  かみ かみ  【名】 上手。山側 [辞書記載]    すそ
●Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)
●http://p.tl/s_em●http://p.tl/Crpj●http://p.tl/Y8EP●http://p.tl/NLNV●
●彡  http://p.tl/8twq
出典:『Wiktionary』 (2012/03/25 15:18 UTC 版)
発音
音読み
呉音 : セン(セム)
漢音 : サン(サム)、セン(セム)
部首名
かみかざり、さんづくり
 
●帋  http://p.tl/Tpxp
出典:『Wiktionary』 (2010/09/30 07:10 UTC 版)
発音
音読み
呉音 : シ
漢音 : シ
訓読み
かみ
 
●加味  http://p.tl/73fV
出典:『Wiktionary』 (2009/03/26 00:21 UTC 版)
名詞
加 味 (かみ)
調味料などを加え、味を変えること。
(語義1より)よりよくするために、わずかな表現や工夫を加えること。
関連語
味付け
動詞
加 味する (かみする)
調味料などを加え、味を変える。
(語義1より)よりよくするために、わずかな表現や工夫を加える。
活用
サ行変格活用
加味-する
翻訳
味を変える
英語: season (en)
加える
英語: add (en)
 
●珈
出典:『Wiktionary』 (2010/11/03 13:07 UTC 版)
発音
音読み
呉音 : ケ
漢音 : カ
訓読み
かみかざり
 
●皇
 画数:9
学習年:小学6年で習う漢字
音読み:コウ、 オウ
訓読み:かみ、 きみ、 すめらぎ
ピンイン:huang2
 
●龗 画数:33
音読み:レイ、 リョウ
訓読み:かみ、 よし
ピンイン:ling2
淤加美神 (龗から転送)
淤加美神、または、龗神(おかみのかみ、神)は、日本神話に登場する神である。

罔象女神(みつはのめのかみ)とともに、日本における代表的な水の神である。 『古事記』では淤加美神、『日本書紀』では龗神と表記する。


【胸糞注意!】  和夫一家殺害事件‼

2013年10月09日 17時06分59秒 | 色んな情報
韓国人識者キムワンソプ




















 
 
【胸糞注意!】  和夫一家殺害事件‼
これは韓国人識者キムワンソプ氏が書いた著書に書かれている内容
です。
この本には日本語未翻訳部分があるのをご存知でしょうか?
日本人虐殺事件『和夫一家殺害事件』」 です。
衝撃的な内容なのでご注意ください。
以下、ご紹介します。↓ 私は生粋の韓国人だ。でも、韓国人というものがあまりにも情けなく、えいっと殺してしまいたいときがある。
なぜ日本の
蛮行は暴くのに、自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?
日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々
も多かった。
ところが、和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分
たちの間違いを、日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し、事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。
和夫の亡骸は、釜山に大切に移葬され、毎年、日本人の墓参りが絶
えない。
以下は、和夫夫婦が死んだ日、ふだん彼から深い恩を受け
ていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。
事件当時、
金ソンス君も加害者だったが、殺害行為には同調しなかったそうだ
和夫氏は、日帝時代によく見られた、慶尚道地方の日本人地主だっ
た。
地主とはいうものの、和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策に
したがって、乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。
公務員
だった和夫は、政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。
そのころの日本は、一種の軍事独裁体制で、政府の命令に従わ
なければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという
当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには、朝鮮人の小作人たちから
、法の規定以上の小作料を取り立てる、怪しからぬ人々もいたが、ふだんから人情味の厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一とし、村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした
自分たちの生活が困らなかったので、総督府の法令にしたがって、
やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。
貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分け
てやったし、村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、悲しみを分かちあうこともあった。
このように、和夫は人間への温かい愛情をもった、真の人間だ
った。
 また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を
見ていたが、その数は、一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。
けれども、和夫夫婦
はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。
和夫の家族は、ふだん、このように 朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。
しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。
その日、まさに万歳の声とともに、太極旗が波のように風になびき
つつ、朝鮮人の世がやって来た。
神は、自分が受けるべき朝鮮人の
愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのか?
彼がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導
下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年たちが、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけた。
そのとき現場にいた金
ソンス君は、次のように証言している。
 和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを、子どもたちよ。
 A:チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。 和夫:(怒ったような声で)私が、お前たちにどんな間違いをした
というんだ。
お前たち、みなが私の息子だ。
私はこの家の家長であ
り、お前たちの親だ。
お前たちの祖国が解放されたことは、私もふ
だんから待ち望んできたことだ。
踊りでも踊りたい気分の日に、な
んだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。
私は決して
お前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。
(涙を流しながら
)ほんとうに悲しいことだ。
朝鮮の息子たちよ。
私が愛を傾け、育ててきた結果は、つまるとこ
ろ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。
お前たちが望
むなら、帰ってやるわ。
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰った
ら、おれたちはどうやって食っていくんだ?)
B:死ね、チョッパリ、シッパルノマ。
間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多
くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。
このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。
それまで黙っ
ていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずっていった。
そしてなんと 十三人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えて
いた彼女を、強姦しはじめた。
(金ソンス君は、この期に及んで自
分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。
強姦に耐えられなかった彼女は、行為の途中で死亡し、Dは、ふだ
んお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して、まき散らした。
 和夫には、一人の幼い娘がいた。
ふだん模範的でいい子だったヒミ
コさんは、放課後、家に帰ってきて、両親の身に起こった惨状を見、気が触れてしまった。
ヒミコが何日間も慟哭する声に、近隣住民
たちは眠れなかったそうだ。
その後、孤児になったヒミコは、食べ物を乞おうと、その付近をさ
まよったが、朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず、知らないふりをした。
結局、彼女は九日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見さ
れた。
当時、ヒミコは小学校六年生の幼子だった。
和夫の財産は、
勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り、この事件は村人たちの沈黙の中、しだいに忘れられて行った。
この本の出版でキム氏は逮捕されたそうです。
キム氏大丈夫でしょうか?心配です。
http://nippon-end.jugem.jp/
?eid=1958
<form id="u_c3_2s" class="commentable_item collapsed_comments autoexpand_mode" method="post"></form>

  • 西園寺 真湖さんがSatomi Yamamotoさんの写真をシェアしました。
     
    和夫さん一家殺害事件はあまりにも悲惨な事件だ!
    他にも
    通州事件
    南京大虐殺
    731部隊

    これからは、日本も発信していかなければ駄目だ。
    朝鮮人の残忍さを( ー`дー´)キリッ
     

    韓国人ってどういうものか・・・わかるなぁ・・


紙と神とカミとかみと上( うえ )( U^ェ^U ) 神道

2013年10月09日 13時16分20秒 | 色んな情報

紙と神とカミとかみと上( うえ )( U^ェ^U ) 神道
●    2013年10月08日22:06
神道の学び 神社のもうひとつの意味 氏神様の最初の報告
http://www.youtube.com/watch?v=BIlTWl47spw
公開日: 2013/07/03   達也 小坂
子供が言う事を聞かない。子供が親への感謝がない。子供を無理矢理強制しようとしたり­、叱りつけたり。しかし、あなた自身はどうでしょう...
感謝や尊敬は叱りつけて教えるものではありません。また、一方通行でもいけません。子­は親の言葉ではなく姿から学び取るのです。つまり、あなたが祖先や神々に感謝している­その姿を見て子供は同じ行動をとるのです。
日本には古くから伝わる風習や習慣があります。この風習の中で人は育ち、日本人らしさ­を身につけるのです。この風習が風化する事なく、多くの人々が意味を理解し子供達に伝­えてもらいたいものです。

子が親を憂い、親が祖先を憂う。 親が最初に子供に背中を見せるのが初宮参り。その地域の氏神様に氏子として無事産まれ­た事を報告し、感謝する行事である。 お宮とは子宮を表し、最初の鳥居は女性の膣の入口であり、そこから先は神聖な場所であ­るため、最初にお辞儀をして潜らなければならない。鳥居の先を参道と良い 。女性の産道を示す。
さらに奥へ入ると身体の禊を済ませるための手水場があり。 最初に左手、右手を清め、左手で少量の水を溜め音を立てずに口を清めた後、左手で口元­を隠しながら吐き出す。
本 堂に立つと金の鈴、これは男性の性器であり、これを刺激し賽銭を入れる。 賽銭箱が子宮であり、賽銭は精子なのです。 つまり私達はその土地の氏神様の氏子であり、 氏子として命を授かったお宮様に最初に報告するのが初宮参りとなるのです。 さらに毎年一年間何事をなく無事過ごせた事への感謝と、また一年間何事もなく過ごせる­事へのお願いに行くのが初詣。 初詣には7千万人~8千万人の人が参拝する言われています。 また、地域で行われる祭りもそもそも神様を祀るもの。普段は家ごとに違う暮らしを営ん­でいても、神道を通じて地域がひとつになり、 地域共同体の一員である事を再認識させられます。 つまり神道は無意識のうちに生活に溶け込み、親が子に感謝を強制することなく、習慣や­風習の中で子は学び受け継がれて行くのです。 風習や習慣が私達に及ぼす得体の知れないパワーを私達日本人は無意識のうちに身に付け­ているのです。


神道,宗教,天照大神,国家神道,仏教,キリスト教,アマテラス,神道の行事,神道祭­,葬式,復古神道,神道無念流,神道祝詞,天社土御門神道本庁,香典,仏壇,神道の葬­式, 無宗教,無宗教葬,宗教法人,宗教革命,宗教戦争,北川悠仁,みすず学苑,sup­erfly,ダスキン,哲学,思想家,神社,神道とは?,宗教とは?, 創価学会,信教­宗教,京都,天孫降臨,高千穂,出雲大社,伊勢神宮,宮島,哲学者,フィロソフィア,­ソクラテス,アウグスティヌス,カッシオドルス, 老子,孟子,孔子,荘子,儒教,イエ­スキリスト,釈迦,ブッタ,お釈迦様,カトリック,天皇陛下,天皇,君が代,国歌,神­道と宗教の違い,なぜ日本人は世界から称賛されるのか,終戦のエンペラー



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コメント

    ニン、ニン!!

    ニン、ニン!!2013年10月08日
        神道の事がわからない(理解出来ない)人にはわからない。
    みんなにわかる言葉でよびかける事が必要じゃないですか?
●●●●●●●●●●
 
●和紙と紙 越前和紙 志葉楽(シバラク) http://p.tl/cfb7
 紙と は (カミとは)
●日本神話と古来の神祇信仰 志葉楽(シバラク) http://p.tl/eJDR
 神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」(=信仰対象、神)が宿るとして敬い
●土間(どま) 志葉楽(シバラク)/ウェブリブログ http://p.tl/Degr
 岡本綺堂 青蛙神(アオガエルカミ) http://p.tl/A4Dt
●日本神話 過去にいくつ上げておいた関係のモノをまとめて http://p.tl/Ozv6
 愛嬌あってキャラクターも様々で、日本の神話の神々八百万の神
●アイヌ 日本人の源流|志葉楽(シバラク)さんの日記(ID:41452)|my日本 http://p.tl/CGU9
 日本語の「カミ」と同様、「霊」や「自然」と表現してもおかしくない(キリスト教の神のような 唯一絶対の存在ではない)。
 
●橘 曙覧(たちばなのあけみ)●幕末の歌人で国学者「万葉集や源実朝依頼の歌人」正岡子規が讃める  http://p.tl/odGx
 橘曙覧の長男、今滋に『橘曙覧小伝』がある。
●ねずさんの ひとりごと 鏡は化我美。我をとったら神になる http://p.tl/ny_K
 それは神道で言う「神」は「人間」なのだから当然だ。
つまり、神社に鑑があるのは
「化我身=我をとりなさい」
「我をとったらカミ」であるオノレを見つめよ
「そもそも、『カミ』である自身を見つめなさい」
という神道の教えなのだ。
●[ 江 戸 時 代 ] 大江戸泉光院旅日記|志葉楽(シバラク)さんの日記 http://p.tl/D_jj
 山、滝、岩、森、巨木など多く自然を畏れ「カミ」(=信仰対象、神)とみなしたのである。
 
● 古 代 史   http://p.tl/nDv2 ★古代史の扉 http://bit.ly/IUIS31
 ★古代史の復元  http://p.tl/0Lua
日本古代史解明に考古学的事実・中国文献を基にして考察するのが一般的で、神話伝承はほとんど無視されている。
 
●久しぶりの我が故郷の自慢らしいもの   http://p.tl/7Bbm
 ★和紙と紙 越前和紙 志葉楽(シバラク)/ウェブリブログ http://p.tl/cfb7
 
●・月の 明星へのおもい  http://p.tl/ZhuC
神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用 されたとされる日本固有の文字の総称である。
 
●スメラミコト - 日々月々、天よりのことば、神の示し  http://p.tl/OpRD
 これによると神武天皇に始まる神倭朝(かむやまとちょう)の前に 不合朝(あえずちょう)があり、その前に神代七代、上古二十五代があったとされている。
●ロスチャイルド、ロックフェラーを奴隷として扱う ベネチア=スイス  http://p.tl/MpIr
その経典には、「一部の白人を除き、全人類を絶滅させた時、神が再来する」と書かれ ていた。
 
●日本の庶民文化|志葉楽のブログ - Ameba  http://p.tl/i_jG
歌 は山家鳥虫歌にも所収されているし、松の葉にもその元歌らしき、
 
●志葉楽(シバラク)(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)。http://p.tl/bpHK
 きゅう 宮 きゅう 宮 (1) 宮殿 (2)中国 日本の音楽理論でいう五音(ごいん)のうち 最も低い音 五音の基礎音と される 五音 (3) 宮刑 の略 みや 宮 御屋 の意 (1)神をまつってある御殿 神社 お 参り 鎮守の ...

●真床襲衾(マドコオフスマ) | わたしのブログ http://p.tl/P21F
 天皇は、八重畳の上で「真床襲衾・まとこおふすま=御衾・お ふすま」にくるまる秘儀をされる、というのです。

●越前大野が船を所持●名は大野丸●「箱館丸」などと同型 http://p.tl/SWrP
★大野丸(おおのまる)http://p.tl/KBzw


 あなたは自分の言葉で日本を語れますか?(下)

2013年10月09日 11時08分08秒 | 色んな情報

 あなたは自分の言葉で日本を語れますか?(下)
■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

自分の中の「見えない根っこ」を見出し、
自分の言葉で「日本を語る」必要がある

■1.「大いなる和」の国■

 さて、私が留学した時に本格化した日本の自動車メーカーの
対米進出はその後も着実に進み、現在では米国市場で3割もの
シェアをとるようになりました。そして日系メーカーの圧倒的
な攻勢で、かつては世界に覇を唱えた米国の自動車メーカーも
その経営がぐらついてきています。ここまでくると、もはや日
本の車作りは欧米の模倣ではなく、そこには何か日本人の文化
的個性が働いている、と考えるべきでしょう。

 東京大学ものづくり経営研究センターの藤本隆宏教授は、日
本の製造業の強みを「擦り合わせ」という言葉で表現していま
す。たとえば、車のボンネットを開けてみれば、多くの部品が
ぎっしりと詰め込まれています。それらは自動車メーカーを中
心に多くの部品メーカーが、互いの機能の連携や空間の取り合
いに関して「擦り合わせ」をしながら、車全体の信頼性や性能、
コストを追求しているのです。

 製造においても、日本の「QCサークル」は世界的に有名に
なり、海外でも真似をする工場がたくさん出てきました。これ
は現場の作業者が、小さなグループを作って、その担当工程で
の不良低減や生産性向上のために衆知を集めて、改善を進める
やり方です。

 前号では、わが国は「天皇を中心に国民が心を通わせる美し
い国柄を持った国である」と述べましたが、この特質が製造現
場では協力企業との「擦り合わせ」や、現場での「QCサーク
ル」に現れているのです。

「和をもって貴としとなす」という聖徳太子の言葉があります
が、こうしてお互いに心を通わせながら、共通の目標に向かっ
て、力を合わせていく事を強みとするわが国は、確かに「大和」
すなわち「大いなる和」の国であります。

■2.日本人はグループを組むと何倍もの能力を発揮する■

 それにしても不思議なのは、日本の作業者が、学校で教わっ
たわけでもないのに、何故に「和をもって貴としとなす」とい
う姿勢を身につけているのか、ということです。

 カリフォルニア大学で、私が教わった先生も、「日本人の学
生は、一人ひとりではあまり意見発表もしないが、グループで
共同研究をさせると、途端に何倍もの力を発揮する」と言って
いました。逆に中国人やインド人の留学生は、一人ひとりは授
業中にどしどし発言をしますが、グループを組ませると論争ば
かりして、なかなか結果が出せません。日本人学生は、グルー
プ作業について学校で訓練を受けたわけでもないのに、なぜ、
こういう集団的能力を発揮できるのでしょうか。

 おそらく、家庭や学校、企業という集団生活の中で、お互い
に我が儘を言わずに、力を合わせなければいけない、という不
文律を知らず知らずのうちに、身につけて来たからではないで
しょうか。これが「文化」ということだと思います。こうした
「和」を尊ぶ文化的個性が、多くの人間の連携が不可欠なモノ
づくりにおいて、特に強みを発揮しているのでしょう。

■3.「もったいない」■

 日本のもの作りを強くしているもう一つの文化的個性として、
「もったいない」という感じ方があります。たとえば、製造工
程で不良が作られると、廃棄物として捨てられます。これを
「もったいない」と感じる感性を日本人は持っています。たか
だか月に1万円の損失であったも、なんとかゼロにできないか、
とQCサークルで作業者が一生懸命に智慧を出し合います。

 しかし日本以外の国々では、そういうアプローチはありませ
んでした。そういう改善活動やら設備の改良に100万円かか
るのなら、1万円程度の不良は捨ててしまった方が得だ、とい
う考え方が一般的です。

 しかし、もの作りとは、技術の蓄積です。1万円の不良退治
に100万円かけても、それで品質信頼性が高まり、市場の評
価も高くなって売上が増え、何千万円もの利益増加につながる、
ということがよくあるのです。また、不良退治のノウハウが見
つかると、それを他の工程や製品に展開して、工場全体では数
百万円の不良削減につながる、ということもあります。

 こうして現場が「もったいない」の気持ちを持って一生懸命、
品質とコストの改善に取り組んだ結果、日本の工業製品が世界
の消費者の信頼を得て、圧倒的な市場競争力を持つようになっ
たのです。

■4.物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く■

 ケニア出身の環境保護活動家で、2004年に環境分野で初めて
ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイ女史が来日した
時に、この「もったいない」という言葉を知って感銘を受けま
した。そして、他の言語で該当するような言葉を探しましたが、
「もったいない」のように自然や物に対する敬意、愛が込めら
れているような言葉が見つからなかったため、そのまま
『MOTTAINAI』を世界共通の言葉として広めようとしています。

「もったいない」とは、もともとは仏教用語で、「物体(もっ
たい)」、すなわち「物の本来あるべき姿」がなくなるのを惜
しみ、嘆く気持ちを表している、とされています。

 たとえば今日の工業製品の原材料は、多くは金属や石油・石
炭など土中から取り出されます。大自然が何百万年もかけて作
り出したそれらの原材料を掘り出して来たのに、我々の技術が
未熟なために、不良品として捨ててしまうのは、世の中に役立
つ製品としてその「物の本来のあるべき姿」を実現できなかっ
た、ということです。それを惜しみ、嘆き、かつ大自然に対し
て申し訳ない、という気持ちが「もったいない」なのです。

 生産現場のQCサークル活動などで、不良を少しでも減らそ
う、と作業者たちが頑張る、その原動力として、「不良を出す
ことはもったいない」という気持ちがあるのです。そして、こ
ういう気持ちがあるからこそ、その問題を解決できた際には、
「今までの不良として捨てていた原材料を立派な製品として世
の中に送り出せた」という達成感を得られるのです。

■5.「木も人も自然の分身ですがな」■

 このように不良を出すことを「もったいない」と感じる日本
人の感性には、文化的な伝統が息づいています。代々法隆寺に
仕えた宮大工・西岡常一氏はこう語っています。[a]

 こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生か
すのが大工の役目ですわ。千年の(樹齢の)木やったら、
少なくとも千年(用材として)生きるやうにせな、木に申
し訳がたちませんわ。[()内JOG注]

「木のいのち」を大切にして、その「本来の姿」を実現できな
ければ「申し訳ない」というのは、まさに「もったいない」に
通じます。その根底には、木も人もこの世に生命を与えられた
同じ「いのち」である、という自然観があります。

 木は物やありません。生きものです。人間もまた生きも
のですな。木も人も自然の分身ですがな。この物いわぬ木
とよう話し合って、生命ある建物にかえてやるのが大工の
仕事ですわ。 木の命と人間の命の合作が本当の建築でっ
せ。

 わたしたちはお堂やお宮を建てるとき、「祝詞(のりと)」
を天地の神々に申上げます。その中で、「土に生え育った
樹々のいのちをいただいて、ここに運んでまいりました。
これからは、この樹々たちの新しいいのちが、この建物に
芽生え育って、これまで以上に生き続けることを祈りあげ
ます」という意味のことを、神々に申し上げるのが、わた
したちのならわしです。

 木も花も、動物も魚も虫も、そして川や山や岩さえも、自然
はすべて「生きとし生けるもの」であり、人間と同様に神様の
「分け命」である、と見なすのが、太古からの日本人の自然観
です。

■6.日本の緑被率第2位は現代世界の奇跡■

 こうした自然観は過去の遺物ではありません。現代の日本を
支えています。日本列島は世界の陸地面積の0.2%しかあり
ませんが、そこに世界の人口の2%が住み、世界のGDP(国
民総生産)の14%を生み出しています。単位面積あたりの人
口は世界平均の10倍、そしてGDPは70倍の水準です。

 そんな狭い国土に周密な人口と無数の工場を抱えながら、緑
被率(森林が国土に占める割合)は67%と、フィンランドの
69%に続いて世界第2位なのです。ちなみにフィンランドの
人口密度は日本の20分の1、世界平均の2分の1に過ぎませ
ん。[a]

 これは現代世界での奇跡とも言うべき現象で、我々日本人が
本当に誇って良いことです。なぜこのような奇跡が実現したの
か、と言えば、日本人が近代産業を発展させながら、同時に自
然を大切にしてきたから、としか説明のしようがありません。

 お隣の中国は緑被率はわずか14%。中国を旅すると、禿げ
山に僅かな緑がしがみついているような風景を、あちこちで見
ますが、何とも痛々しいという気がします。このような禿げ山
を見れば、日本人なら「自然に申し訳ない」と思いますが、ど
うも中国人は、そう感じないようなのです。自然は人間の必要
に応じて好き勝手に利用すれば良い、と考えているようです。

■7.世代を超えた文化の継承■

 もちろん、日本人でも自然を収奪の対象としか見ない人間も
いるでしょうし、中国人でも禿げ山に対して申し訳ない、と感
ずる人もいるでしょう。しかし、人口密度は日本の5分の2で
しかなく、もともと緑豊かな中国大陸だったのに、その緑被率
がわずか14%という所まで荒廃させてしまったという惨状を
見れば、これはもう人間側の自然に対する意識の違いとしか言
いようがありません。

 不思議なのは、日本人は、こういう自然観を学校で教わっ
たわけでもないのに、なぜ持っているのか、ということです。
おそらく、日本人は先祖が築いた緑豊かな国土に生まれ、それ
が当たり前の中で育てられてきました。緑豊かな環境に生まれ
育った子どもは、自ずと自然を尊ぶ姿勢を身につけてるのでしょ
う。

 散らかり放題の家に育った子は、それを当たり前だと思って、
育ちます。そういう子が親になれば、その家庭は乱雑になり、
また孫も同じように育っていきます。乱雑な環境を何とも思わ
ない、という感性は、こうして各世代に引き継がれていくので
す。逆に、美しく整理整頓された家庭に育った子どもは、それ
を当然だと感じる感性を身につけます。その感性が、家庭を整
え、それが孫の世代に伝播していく。

 このように、美しい自然を尊ぶ感性が、美しい自然を作り、
それがまた次世代において、美しい自然を尊ぶ感性を育ててい
く、という形で、世代を超えた国土と感性の継承がなされてい
くのでしょう。民族の文化的個性とは、こうして形成されてい
くものだと考えられます。

■8.日本人としての「見えない根っこ」■

 日本という国の最も誇るべき点を一言で言えば、「世界有数
の緑豊かな国土に世界有数の近代産業を築いた国である」とな
るでしょう。そしてそれを実現してきた原動力は「和をもって
貴しとなす」という倫理観、「生きとし生けるもの」という自
然観を共有する日本人の文化的個性なのです。

 我々、一人ひとりの人間は表面的には個々の肉体を持った別
個の存在のように見えますが、実は心の深いところで、日本人
としての倫理観や自然観という「見えない根っこ」でつながっ
ているのです。

 おそらくはさらにその「見えない根っこ」の最深部には、人
類として共通する心があるのでしょう。どこの国の人でもモー
ツアルトの音楽に心動かされたりするのは、そのためです。自
然の美を愛でる感情も、人類共通のものとして、人間の心の最
深部にあるのでしょう。

 しかし、そこから美しい国土を大切にする根っこを太く逞し
く育ててきた民族と、その根っこが未発達のまま、自然を犠牲
にしてきた民族とがあります。

 このような形で、人類共通の根っこから、各民族がその歴史
を通じて、様々な文化的個性を備えた根っこを育てているので
す。

■9.自分の言葉で日本を語る■

 となると、日本の文化的個性とは、我々自身の個人的個性の
「見えない根っこ」となっています。ですから、「日本を語る」
という事は、単に外国人に日本はどういう国であるかを客観的
知識として語る、ということに留まらず、「我々日本人はどの
ような文化個性を持った民族であるのか、何を大切にして生き
ているのか」という、自分自身の「見えない根っこ」を語る、
という事に他なりません。

 それが外国に行って、外国人に「日本はどういう国か」と聞
かれて答えられない、ということは、豊かな根っこに育てられ
ながらも、それを自覚していないということです。戦後の教育
の一番の欠陥がここに現れています。

 外国人に対して「日本を語る」ことができない、ということ
は、自分の子どもにも「日本を語る」ことはできません。美し
い国土や細やかな人間関係が、言わず語らずの間に、「生きと
し生けるもの」と「和」を尊ぶ心を伝えるでしょうが、意識的
な教育の方で、それを無視していれば、その心はしだいに衰弱
していってしまうでしょう。それは日本国民という国籍は持っ
ていても、日本人としての文化的個性を持っていない「根無し」
人間にしてしまう、ということです。

 このままいつたら「日本」はなくなつて、その代わり、
無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕
な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであ
らう。[b]

 とは、三島由紀夫の警告ですが、文化的個性という「根っこ」
を失った国民が、精神的に充実した幸福な生活を営めるわけも
なく、また国際社会においても、その個性に共感してくれる真
の友人を持てるはずもないでしょう。

 我々の子孫を、そういう不幸な目に合わせたくなかったら、
まず我々自身が自分の中の「見えない根っこ」を見出し、自分
の言葉で「日本を語る」必要がある、と思います。
(文責:伊勢雅臣)


あなたは自分の言葉で日本を語れますか?(上)

2013年10月09日 10時50分37秒 | 色んな情報

■ 国際派日本人養成講座 ■■■■
 あなたは自分の言葉で日本を語れますか?(上)

海外で暮らすには、心の中で自分を支えてくれる母国が必要だ。

■1.インターナショナル・ハウスにて■

 私がアメリカに留学したのは、昭和55(1980)年夏のことで
した。サンフランシスコ近郊のカリフォルニア大学バークレー
本校の経営学大学院に入学しました。

 最初の一年目はインターナショナル・ハウスという500人
ほども収容できる大きな留学生用の寮に入りました。中央にド
ームが聳え、左右に翼を広げた形で5階建ての宿舎が広がる修
道院のような壮麗な建物です。寮生は半分がアメリカ人で、残
り半分が世界中から集まった留学生です。留学生たちをアメリ
カ人学生と一緒に住まわせて、互いに理解し合う機会を提供し
ようという趣旨でした。

 留学生のためにこれだけの壮麗な建物を建てるというアメリ
カの豊かさ、そして半分はアメリカ人学生を入れてしっかり交
流させようという見識に、到着したばかりの私は「これは敵わ
ないな」とやや気押しされた印象を持ったものです。

 留学生としては、ヨーロッパからはドイツやフランス、南米
からはブラジルやコロンビア、そしてアジアからは台湾、韓国、
中華人民共和国、タイ、インドネシア、そしてわが日本など、
実に多くの国々からやってきていました。

 食事は、これまた修道院のように天上の高いホールで、長テ
ーブルがいくつも並んだ食堂でとります。席は自由ですが、み
な同じバークレーの学生ですから、見知らぬ同士でも、すぐに
「どこから来たか」「専攻は何か」などと話が始まり、いつの
まにか知り合いがたくさんできます。

■2.「どこから来たの?」■

 海外に行って、他国の人々と語り合った日本人は誰でも経験
することですが、やはり会話は「どこから来たの?」で始まり
ます。標準的な答えはもちろん「日本から」です。

「俺は地球市民だ」とか「日本など関係ない」などと肩肘張っ
た日本人が「北東アジアから来た」などと答えたら、よほどの
変人だと思われて、相手は早々に席を立ってしまうでしょう。

「日本」と聞いたら、相手は自分の知っている範囲で、日本に
関する話題を探そうとします。マサチューセッツから来た女子
学生は、「日本のカレンダーを見たら、雪に覆われた高い山や
まの美しい景色だったけど、日本てそういう国なの」などと聞
いてきました。外国人に対して、その母国のことを話題にする
場合に、このようにまずは良い面から切り出すのが、教養と礼
節ある態度です。

 某近隣諸国出身者の中には、相手が日本人と知ると、いきな
り「私の国を植民地にした」などと食ってかかる人もいるそう
ですが、私が大学で出会ったその国からの留学生たちは、礼節
を知る人々ばかりで、そのような子供じみた態度をとる人はい
ませんでした。

■3.「自分は日本についてよく知らない」■

 いずれにせよ、会話は「日本」を軸として始まるわけで、こ
こで私たちは日本とはどんな国か、という事を語らなければな
らなくなります。しかし、そういう状況になると、日本につい
て、何をどう話したらよいのか、当惑してしまいます。

 一つの語り口は、歴史を通じて、こんな国だと語ることです。
たとえば、

 日本の建国ははるか太古のことで正確には分かりません
が、8世紀に書かれた歴史書(古事記、日本書紀のこと)
では、紀元前660年とされています。その時に第一代天
皇が即位し、現在の天皇は第125代で、世界最古の王室
です。

 などと語れば、相手の興味をそそるでしょうが、こういう
「皇国史観」は学校では教えてくれません。

 我々が学校で習ったのは「1868年に明治維新が起こった」
というような「客観的」な知識ですが、これだけでは会話にな
りません。明治維新を語るなら、その前の江戸時代がどんな時
代で、その後の近代化がどう進んだか、という大きな流れを語
らなければ、そもそも「話にならない」のです。

 ここで、多くの日本人は、はたと「自分は日本について、よ
く知らない」ということに気がつきます。海外でこういう経験
をして、もう少し日本のことを知りたいと思い、インターネッ
トを検索していたら、この「国際派日本人養成講座」に出会っ
た、という読者が多いのです。

■4.故郷は自分の一部■

 しかし、自分の国の事を語る、というのは、単なる知的会話
だけの問題ではありません。アメリカ人たちは自国に対する自
信と誇りと愛情に充ち満ちています。それが彼らの人生を支え
る大きな柱の一つとなっています。そういうアメリカ人に囲ま
れて生活していると、自分にも自分を支えてくれる祖国が必要
だということをひしひしと感じます。

 この点を実感することは、日本の中で、特に国を意識しない
でも毎日を過ごしていける日本人には難しいのですが、たとえ
ば山形県あたりから東京に就職で出てきた青年を想像してみれ
ば、多少は理解できるでしょう。東京の人間は、東京が日本の
中心だと威張っている。山形県のことなど、東京の人間はほと
んど知らないし、関心もない。そういう中で、その青年がなん
となく自分が無視されている、という寂しい思いをすることは
想像できるでしょう。

「故郷のことなど私には関係ない。私個人としてしっかり働い
て、周囲から認めて貰えればいいのだ」と青年は割り切ってし
まうかもしれません。しかし、自分が生まれ育った故郷には、
今も父母や親戚や友人たちが暮らしていて、その人々との思い
出があちこちに残っている。そうした思い出を自分には関係な
い、と割り切ってしまっては、自分の体の一部を断ち切ってし
まうのと同じような気になるでしょう。

 そういう意味で、故郷とは自分の一部なのです。母国も同じ
です。

■5.「日本はすごいな」■

 私が留学していた1980年代は、日本の家電製品や自動車が米
国市場に一大旋風を巻き起こしていた時期で、私の出会ったア
メリカ人たちもよくこの事を話題にしました。

 一般大衆の中には「ホンダを買ったけどグレートな車だ」な
どと、手放しで褒めてくれる人がいました。ただ大学教授など
のインテリ層はそう単純ではなく、「自動車はアメリカ人が発
明したのに、日本人の方が良い車を作れると認めることは苦痛
だった」などと、正直に語ってくれた先生もいました。

 学校でのマーケティングの授業でも、「品質の良い物を高く
売る戦略と、良くないものを安く売る戦略がある」と先生が言っ
たら、一人の学生が「いや、良い物を安く売る戦略もあります
よ。メイド・イン・ジャパンのように」などと大まじめに発言
して、思わず苦笑してしまいました。

 ある授業では、何度も日本製品や日本的経営の優秀さが論じ
られたので、インドネシアからの留学生が「授業でも、ジャパ
ン、ジャパン、ジャパンだ。日本はすごいな」などと羨ましがっ
ていました。

 確かに他国からの留学生にとってみれば、これほど持ち上げ
られる日本を母国とする日本人留学生は羨ましい限りだったで
しょう。私自身、それは確かに嬉しいことではありました。

■6.真のお国自慢とは■

 しかし、その反面、経済ばかりが持ち上げられても、単純に
満足は出来ない、という気もしていました。それは自動車にし
ろ家電製品にしろ、もともとは欧米文明の所産です。彼らの作っ
た土俵に割り込んで、彼らの技術に多少の工夫を加えて、部分
的に良い成績を上げた、という事に過ぎないのです。

 たとえて言えば、仙台の中心部には「小東京」と呼ばれるほ
ど高層ビルが建ち並んだ一帯がありますが、東京の人間から
「仙台はすごいね。東京みたいだ」と褒められたようなもので
す。それで素直に喜べるでしょうか?

 それよりも「東北大学のあたりは仰ぎ見るようなメタセコイ
アの巨木が立ち並んでいて、まさに杜の都だね」などと言って
貰った方が、はるかに嬉しいのではないでしょうか。

 自動車生産とか国民総生産のように共通尺度で優劣を競うよ
うなお国自慢では、互いの国に対する理解を深めるような会話
は成り立ちませんし、また、自分自身にとっても虚栄心を満足
させるだけの事で、深いところで自分を支える自信とか誇りに
はつながりません。

 そうではなく、固有の歴史や文化、国柄など、自分の先祖が
営々と築いてきたものに関する愛着の籠もったお国自慢でなけ
れば、我々を心の底で支えてくれるものにはならないようです。

■7.日本の歴史と文化について学んだ経験■

 私が日本の歴史や文化に関する知識をあまり持ってなかった
ら、日本は経済大国だ、というような虚栄心で自分を支えてい
たかも知れません。その場合、90年代のバブルで日米の勢い
が逆転した時には、そんな虚栄心も失って、自信喪失に陥って
いたでしょう。

 しかし、幸い、私には秘かに自分を支えてくれるお国自慢が
ありました。それは学生時代に、社団法人「国民文化研究会」
という教育団体の主催する学生青年合宿教室で、日本の歴史と
文化について学んだ経験です。この団体は、昭和30年代に高
校や大学の先生方が中心となって戦後の教育荒廃を憂えて設立
した団体で、毎年夏に大学生や若手社会人を集めて合宿セミナ
ーを行っていました。高名な文芸評論家の小林秀雄、村松剛と
いった方々も、趣旨に賛同して、よく講義をされていました。

 この合宿教室で、受験用知識としての歴史ではない、まさに
我々が自分の故郷を懐かしく思い出すような姿勢で、日本の歴
史と文化について学んだのです。そこで知った戦後の昭和天皇
の全国ご巡幸のお話に心惹かれ、それを自分なりに文章にして
みました。

■8.日本の歴史と文化について学んだ経験■

 その内容を、まとめなおしたのが、弊誌136号「136 復興へ
の3万3千キロ」[a]です。

 昭和天皇は終戦直後の混乱の中で、「全国を隈無く歩いて、
国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気
を与へることが自分の責任と思ふ」とのお考えのもと、昭和
21年から約8年半、総日数165日をかけて、沖縄以外の全
都道府県、お立ち寄り箇所1411カ所、行程3万3千キロを回ら
れたのです。

 占領軍の間では「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男とい
うことを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなく
て人間だ、ということをね」などという声も出て、このご巡幸
を許可しました。イタリアのエマヌエレ国王は国民から追放さ
れており、日本の皇室の運命も風前の灯火のように考えられて
いたとしても不思議はありません。

■9.私の秘かなお国自慢■

 しかし、その結果は、占領軍の予想に反したものでした。昭
和天皇と国民の間には、次のような心の交流がなされていたの
です。[a]

 因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけて
いた。昭和天皇は最前列に座っていた老婆に声をかけられ
た。「どなたが戦死をされたのか」

「息子でございます。たった一人の息子でございました」
声を詰まらせながら返事をする老婆に「どこで戦死をされ
たの?」

「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息
子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。
・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げており
ます。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをして
ください」

 老婆は泣き伏してしまった。じっと耳を傾けていた天皇
は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていた。

 引き揚げ者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下
げた。「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったで
あろう」とお言葉をかけられた。一人の引き揚げ者がにじ
り寄って言った。

 天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦
しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛
下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。
今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みませ
ん。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります。

 わが国は戦後の焼け跡の中から奇跡的な経済復興を遂げ、世
界有数の経済大国と発展していったのですが、「天皇陛下さま
と一緒に私も頑張ります」という多くの国民の気持ちが、その
原動力になったのだと、私は信じています。

 この文章を書いた事で、経済大国になったという結果よりも、
その原動力として、天皇を中心に国民が心を通わせる美しい国
柄を持った国である、というのが、私のお国自慢になっていま
した。

 心中にこうした秘かな自信を抱いていましたので、自国への
誇りと愛情たっぷりのアメリカ人に対しても、私は余裕と共感
を持って接することができたのです。
(文責:伊勢雅臣)


「集合知」の意味

2013年10月09日 10時30分27秒 | 色んな情報

「集合知」の意味
「教え合わない人たち」
 
ちょっと聞いた話。
ある美容師が、中国での技術講習会の講師を頼まれた。おもしろそうだしと、行ってみて、なにに驚いたのかと言えば、
「彼らは、教え合わないんですよ」
ってことなんだと。
日本では、美容室に入ると、先輩について、いちいち教わって、次第にレベルアップして、一人前になる。また、ミーティングでは、効率的なやり方や、新しい機械や技術について、お互いに知識を披露して、互いに勉強しあう。美容師の世界ってそういうもんだと思っていた彼にとっては、驚きの連続だったそうだ。
かの地ではお互いに教え合わない。または、オレの技術を盗むなという意識が強いので、勉強する場はこういった講習会しかないらしい。なので、参加者多数。みな熱心にメモをとって、さまざまな質問をしに来る。それはいいのだが、自分の興味がないところは、まったく聞いていないし、関心もない。あげくの果てには、後の方でケンカがはじまってしまって、絶句。
なんだかなぁ~。これじゃ、集合知みたいなものが働かない気がした。
集合知という言葉が適切かはわからないんだが、レベルが低い人も、高い人も交じり合った集団の中で教えあうと、全体のレベルがアップして、さらに高いレベルに挑戦できるみたいな話が、教育関係の本を読むとよく出てくる。フィンランドは、そうやって下の方の生徒の底上げに成功したおかげで、学力水準がアップしたそうだ。
よく懸念されるように、低い人に時間を割くことで、高い人が犠牲になるわけではなく、自分の知識を噛み砕いて説明し、理解させようとする過程が、彼らの糧になるんだとか。復習を自然とするようにね。
まあ、なんとなく経験則で思い当たることではあるが、いろいろな研究でも、そういう結果がでているらしい。
ってなことを書くと、日本の国力というか、なんとなく、人の力が落ちているのは、その辺りじゃないかと思う。
学力別編成がなんで問題なのかは、その辺にあるわけで。その集団自体のレベルアップを目指すなら、玉石混合状態の方が効率がいい。
働き方にしても、全員正社員とは言わないが、ある程度の期間は同じ職場で働いて、派遣だの、正社員だのと身分差なく知識を分け合った方が、その集団にとっては、プラスになる。
そういえば、ブラック企業のスレでも、そんな感じで、ダメダメな人が成長していたっけな。
 
http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20080306#p2
●●
●●
集合知  http://p.tl/0Vam
集団的知性(しゅうだんてきちせい)
 多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。Peter Russell(1983年)、Tom Atlee(1993年)、Howard Bloom(1995年)、Francis Heylighen(1995年)、ダグラス・エンゲルバート、Cliff Joslyn、Ron Dembo、Gottfried Mayer-Kress(2003年)らが理論を構築した。
 
集団的知性は、細菌、動物、人間、コンピュータなど様々な集団の、意思決定の過程で発生する。集団的知性の研究は、社会学、計算機科学、集団行動の研究[1]などに属する。
 
Tom Atlee らは、Howard Bloom が「グループIQ」と呼んだものから一歩進み、人間の集団的知性に研究の焦点をあてている。Atlee は集団的知性を「集団思考(集団浅慮)や個人の認知バイアスに打ち勝って集団が協調し、より高い知的能力を発揮するため」のものと主張している。
 
集団的知性研究のパイオニアである George Por は、集団的知性現象を「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、統合を勝ち取りえる、人類コミュニティの能力」と定義している[2]。Tom Atlee と George Por は「集団的知性は、関心をひとつに集中し、適切な行動を選択するための基準を形成する能力がある」と述べている。彼らのアプローチは Scientific Community Metaphor を起源としている。
●●
一般的概念
集合知
  経営学の一分野である知識管理論からのアプローチには、洞口治夫(Horaguchi Haruo)『集合知の経営-日本企業の知識管理戦略-』がある。
  集団的知性の概念を最初に提唱したのは昆虫学者 William Morton Wheeler である。彼は個体同士が密接に協力しあって全体としてひとつの生命体のように振舞う様子を観測した。1911年、Wheeler はこれを蟻の観察で発見した。彼はコロニーによって形成される生命体を「超個体」と呼んだ。
 
 
●●●●
集合知(Collective Intelligence)とは、多くの人による大量の情報の寄せ集めの集計のこと。
2005年以降のWeb 2.0ブームとともに注目されている。
 
集合知を利用したサービスの代表的な例に、検索エンジンやソーシャルブックマークがある。
 
Webの普及により、知識の自動的な集約によって集合知を作り出すことができるようになってきている。
 
よく混同される言葉に群衆の叡智があるが、これは英語のWisdom of Crowdsの和訳で、元々は別の言葉である。
 
■「Web2.0」について ~その3 集合知について~
 
Web2.0を語る上で必ず出てくるキーワードの一つに「集合知」と言うのがあります。
それがまた英語で言うところの、「wisdom of crowds」と「Collective Intelligence」が入り乱れてややこしいのです。
今回は「集合知」について考察いたしましょう。
 
◆集合知とは
☆「集合知」と言うのはおじさんの学んでいるナレッジマネジメントの分野ではもともとの意味は複数人の智恵の集合(wisdom of crowds=群集の叡智と訳)と言う意味である。
開発や課題解決に取り組む時、天才的な超優秀な一人より、それなりに優秀な何人かの集合が、複数の視点を上手に使って取り組む方が高い成果を生むことができる場合もある、それらの複数の目的意識を持った専門家の暗黙知を高めたり吐き出させたりする「場」作りが大切だというようなことを学びました。
だから、後述の平凡なド素人の混じった大勢の人の意見の集合のことではありません。
この考えは古くからあり、「三人寄れば文殊の智恵」というのは集合知(智)の原点ですかね。(^_^)
 
◆ ◆OJIDAS◆ ◆ http://p.tl/D-10
★Web2.0の時代の「集合知」の意味は
2005 年ごろになりWeb2.0の時代になってから注目されている「集合知」とは、多くの人によリ発信された(大量の)情報を寄せ集めて集計、分析、加工して何らかの新たな価値(ナレッジ=知識)を見出したもの。英語で言う「Collective Intelligence」の意味でつかわれています。
 
☆こちらの意味の「集合知」も何も新しいものではなく、アンケートや電話調査などで大衆の意見を聞いて集計しある傾向(評判や支持率など)を導き出したものは集合知ですね。
 
☆又身近な集合知(Collective Intelligence)の例としては、みのもんた司会の「クイズミリオネア」の中で、回答者が困ったときに会場の人に聞く「オーディエンス」がそうですね。
会場の皆さんの意見(回答)をスイッチオンで聞いてコンピュータで即時に集計しグラフ表示する。これが集合知ですね。それを回答者が見て参考にするわけです。
これは専門家ではない大衆の意見ですね。これがスポーツや芸能ネタなどでは大体は当るのですが、大勢が誤解していたり、専門的な問題などでは外れる場合もあってそれが又ご愛嬌で面白い。
 
☆又、集合知と言うとなじみのある言葉では、口コミ(くちこみ)もその一部ですね。これも専門家とかは関係ない大衆の意見ですね。
●●
●●
★なぜWeb2.0時代に「集合知」が注目されるのか  http://p.tl/aQLh
インターネットが進化して開放的になり、多くの人が情報を発信したり、他人のWebサイトの中へ参加できるようになってからWeb上でも集合知と言う概念が生まれ、その活用ができるようになったわけです。
それがインターネットと言う電子情報の世界の話だから多くの人の発信した情報は全て電子情報である為コンピュータで分類や集計や加工がすばやく容易に出来るためWeb上での「集合知」の収集、抽出、活用が面白い展開を見せているのです。販売促進に使ったり、新製品/新サービスの開発に使ったり...。
 
●まとめ
「集合知」と言う言葉は大きく分けて二つの意味で使われている。
英語は明確に分かれている。wisdom of crowdsとCollective Intelligence
 
おじさんは「集合智」と「集合知」に訳し分けるといいと思う。
複数の専門家の中身の濃い叡智を集めるほう(wisdom of crowds)が「集合智」でド素人も一杯混じっている大衆の意見を集めるやつ(Collective  Intelligence)は「集合知」と訳す。いかが?