【フェルトの小さなツリー】
「か~かん(私のこと)のお料理は
あまくておいしい!」と姪っ子のSAORIが言う。
もちろん砂糖を使っていない料理でもあまいのだそうだ。
「お姉ちゃんのカレーは平和だ!」と妹のNAOKOは言う。
料理が大の得意でもないし、
レパートリーが豊富なワケでもない。
勉強熱心にあれこれと研究したり
新しい料理にチャレンジすることも
すっかりとなくなってしまった。
普通のありきたりの食事を、
おんなじようなローテーションで
作っている。
生き方は、ある意味普通ではないけれど
料理に関しては、季節感をたまに取り入れるぐらいで
ヒネリも工夫もない、
本当に冒険心もオリジナリティもない
無難な、王道をいくタイプなのである。
*****************************
息子が小さい頃は、
まずカレーの材料に火を通して
ルーの段階になったら、別のおなべに具を移し、
大人用は辛口に、そしてお子ちゃま用に
「カレーの王子さま」を
入れて別の味つけにしていた。
小学校低学年ぐらいから
「カレーの王子さま」半分、
「バーモントカレー 甘口」半分に切り替え、
じょじょに甘口だけにこっそりと移行した。
甘口だけにしたとき、やった~!という
気分になったものである。
本当は自分も甘口に合わせることを
強いられているのだが
お鍋ひとつになったことの方が嬉しかった。
そして、高学年ぐらいになり今度は
甘口と中辛をこっそりとブレンドした。
「なんか、今日は辛いね~!」といわれたとき
内心ドキッとしながらも、
そう?気のせいじゃない?とごまかすこともあれば
あんまりに辛がる時には
しょうがなく甘口に戻したりした。
行きつ戻りつしながら、
少しずつの微調整を繰り返して
中学生の後半に、ようやく“中辛、完全移行”を達成した。
振り返ってみると
赤ちゃん用レトルトの「カレーの王子さま」から始まって
実に15年近くの歳月が流れていたのだった。
*****************************
タマネギ、にんじん、じゃがいも、
そして鶏肉か豚肉。
それが我が家の定番。
ナスやトマトを入れた夏野菜カレーや
シーフードカレーなどを作ったこともあったが
不評だったために
結局、オーソドックスなスタイルが定着した。
だから、必要以上のものも加えていないし、
削ってもいない。
足しても引いてもいない、
ごくごく普通のカレーに
長年かけてたどり着いた気がする。
*****************************
なのに、
家族の中でなぜだかとても評判がいい。
その形容詞が「平和」なのである。
安心して食べられる味なのだそうだ。
妹や母は、リンゴのすりおろしや
ヨーグルトや、さらにカレー粉を加えて
コクと深みをだし、最初が甘くて後からじんわり辛さが
出てくる、というカレー通が目指す味。
だから、
甘かったり辛かったりで忙しい。
しかも、母のカレーは相変わらず
何が入っているのか口に入れるまで
わからないサバイバルカレーだ。
先週は、レンコンとシイタケがいっぱい入っていた。
さすがにレンコンは穴があいているので
それと認識することができたが、
その前の時の、バナナが半分とろけた状態の時には
識別できず、口に入れてからグニュっという食感のあと
なにコレ・・・?と一瞬、無意識にセンサーが働き、
カレーの後の味覚を研ぎ澄ませた。
あっ、バナナ?なんでココに?と思ったが
口に出さずにひとまず完食した。
それぐらいの覚悟がないと
母のカレーは食べられない。
それに引き換え、
直球ストレート味のカレーは
最初から最後まで予想通りの
「日本スタイルのカレー 家庭版」なんだと思う。
それは、ごく普通。といった点で
自慢できることでもなんでもない。
ほぼ説明書どおりに作っているからだ。
*****************************
この間、息子のTATSUROが
うちの近所の商店街の一番はずれにある
カレーやさん知ってる?と聞いてきた。
知ってるよ。私が子どもの頃からあるから。
思いっきり昭和のままのレトロなお店でしょ?
前は喫茶店だったのに、いつの間にか
カレー専門になってるのを
この間通りかかって見かけたけど、
一度も入ったことないよ。
でも、メニューが変わっただけでぜんぜん雰囲気が変わらないわ、
そういえば30年以上たっても。
と、答えた。
オレさぁ、あのお店好きでたまに行くんだよね。
そうするとね、
いつ、どんな時に、どんな時間に行ってもね、
日曜日の午後なんだ。店の空気が。
それって、すごいよね~と言う。
世知辛い世の中で、時の流れが速くなった昨今で、
時代の流れを読んでいないとも言えるが
見方を変えると、迎合することなく
時を止めてしまうほどのパワーがあるということだ。
それを、意識的に狙わないところが
個人商店の良さだと思う。
*****************************
東京には、新しい街がいくつも立ち上がり
新名所なるものが次々と出来上がって
留まることを知らずに進化し続けているが
外国人が写す東京は、新旧が入り混じって
混在している画像が多い。
高層ビルをバックにしたお寺や神社。
たくさんの路線が交差する線路の下にひしめく焼き鳥やさん。
なまめかしくきらめくネオンと、
不夜城のようにそびえ立つ
無機質な蛍光灯のビジネス街。
そんなコントラストが魅力的なようだ。
*****************************
小さい頃から住み続けている私の地元は、
乗換線路がない単独駅の中で
乗降者数が日本一なのだそうで、
昼と夜の乗降人数が同じという統計が出ているんだとか。
つまり、住宅街とビジネス街が半々で
出て行く人と入ってくる人の数がほぼバランスの取れている場所。
日本で有名な企業の本社もたくさんあるが、
私がやっぱり好きなのは、
昔から変わらない個人商店。
景気のあおりや、大型店進出によって
ずいぶんとその姿を変えてしまったが
それでも、趣きを残して続いているところも
しっかりと存在している。
*****************************
小学校の時、学校の目の前がパン屋さんだった。
わりと広々とした店内はいつもガランとして
飾り気がなく、ねずみ色のコンクリートの床、
蛍光灯のそっけない灯りで寒々しいイメージだったが、
土曜日の午後や給食がないとき、委員会の集まりのときなど
時折、小銭を握り締めてパンを買いに行った。
お目当ては、コッペパン。
マーガリン、ジャム、ピーナッツクリームなど
好きな味を言うと、おじさんが丁寧に
間にはさんでくれる。
たっぷりと塗ってくれているといいな、と思いながら
背を伸ばしてガラスケースの向こうの
調理台の覗き込んだものだった。
ふだん、通り過ぎるだけのパン屋さんは
いつもヒマそうで、
おじさんは広々とした店内の隅で
背中を向けて小さなテレビを見ていた。
学校に行くときも、帰るときも、
友だちと公園に遊びに行くときの通りすがりのときも、
お店にお客さんがいるとき以外はずっと
白衣に白い帽子をかぶった後姿で
じっとテレビを見ていた。
小学校を卒業して、ほとんどその方角に
足を向けることのない生活となってからは
その存在自体が記憶の中に埋没していった。
そして、
息子が産まれ、私の母校へと通うこととなり
再び懐かしい校舎に呼び戻された。
すると、あのパン屋さんの記憶も同時に呼び戻される。
そういえば、よく買いに来たよな~としみじみ思って
まだ残っていた店内をのぞくと、
なんと、おじさんは白衣のままテレビを見ていた。
30数年前と同じ場所で。
体型もほぼ変わらずに、姿勢も同じだったから
すぐにわかったのだった。
でも、
白い帽子からのぞいている髪の毛だけが
白くなっていた。
小学生だった私が、
いろんなことを体験し大人になるまでの時間も、
おじさんはずっとこの席に座り、
ひたすらテレビを眺めていたんだろうと
思うとなんだか、感慨深かった。
もちろん、おじさんにはおじさんなりの
人生ドラマやさまざまなことが
押し寄せていたに違いない。
それでも、やっぱりあの席に
座り続けていたことは
紛れもない事実だった。
ほどなくして、店構えはそのままで
電機パーツ会社の看板が掲げられていた。
息子の卒業を待たずにいつの間にか
パン屋さんはひっそりと幕を閉じたようだった。
*****************************
変わらないコト。変わらないモノ。
それは時として頑固で、かたくなで
商才とか、勝算とか、社運を賭ける、とか
そんな未来にポジティブなスタンスとは
まったくかけ離れた場所に存在している。
うちの目の前のお花屋さんも
水揚げが終わったら、
いつ行っても奥の畳の部屋に
たて肘をついて寝っころがってテレビ見ていて、
こんにちは~、と声をかけると
おもむろに起き上がり
いっらしゃい!今日は何しましょうか?と
八百屋さんのような返事が返ってくる。
この間なんか、これいりますか?と
丸々したにんにくを手のひらに載せて差し出された。
私は、花とにんにく2コを手にして
ちょっとホコっとしながら家に帰った。
今どき、お花を買いに行って
お野菜くれるところなんて、そうそうない。
そういった下町人情が大好き!というわけではない。
時々わずらわしいような、
毎回、「お兄ちゃん、何年生になったの?」とか
聞かれたりする受け答えを
思わず回避したくなるような気持ちがあるのもまた事実だ。
だけど、
ぜんぶシステム化していて
そっけないほどに完璧な店づくりと品揃えが
展開されている近頃、わざわざ新しくできた
新名所に行かなくても、同じチェーン店なら
他の場所でも同じラインナップが並んでいそうな気がして
本当にビックリするほど行っていない。
新丸ビルとか、六本木ヒルズとか、ミッドタウンとか・・・?
どこも30分ぐらいで行けるところばかりなのに、
いまだに未開の地である。
別の用事がないと、あえて行くことがないから
時々、他県に住む人のほうがよっぽど詳しくて
ちょっと恥ずかしいが、興味がないから
しょうがないか、と割り切っている。
それよりも、変わらない
近所の下町風情のほうがよっぽど魅力的でおもしろい。
私が子どもの頃からある
洋裁店は、店構えは変わらないのだが、
店主の体型とともにショーウィンドに
飾られている洋服もどんどんと
幅が広がってきていている。
つまり、店主が歳とともに太ってきているんだな、と
いうことを無言のうちに物語っている。
*****************************
日々の繰り返しの中で
そんな、小さな発見はなぜだか嬉しくなってしまう。
TATSUROが、
「かあさんのカレーは“LOVE & PEACE”だ!
世界で一番うまい!」
と先週、言っていた。
隠し味も、特別な材料も使っていないのに。
シンプルに作っているだけなのに。
ちなみに、卵焼きは
渋谷くんちのが一番おいしいのだそうだ。
どうやって作っているの?とお母さんに聞いてみたら
「え?ただ普通に作っているだけよ~。
お砂糖と塩だけ。
やだ!ただ焼いてるだけよ!」
“LOVE & PEACE”ってそんなことなのかもしれない。
そして、いろんな場所に潜んでいる。
かっこいいスローガンを声高に掲げなくても、
世界や宇宙のような大きなところじゃなくても。
今、目の前に。すぐそこに。
私のまわりに。
大切な、ささやかで、何気ない日常に
宝石のようにちりばめられている。
「か~かん(私のこと)のお料理は
あまくておいしい!」と姪っ子のSAORIが言う。
もちろん砂糖を使っていない料理でもあまいのだそうだ。
「お姉ちゃんのカレーは平和だ!」と妹のNAOKOは言う。
料理が大の得意でもないし、
レパートリーが豊富なワケでもない。
勉強熱心にあれこれと研究したり
新しい料理にチャレンジすることも
すっかりとなくなってしまった。
普通のありきたりの食事を、
おんなじようなローテーションで
作っている。
生き方は、ある意味普通ではないけれど
料理に関しては、季節感をたまに取り入れるぐらいで
ヒネリも工夫もない、
本当に冒険心もオリジナリティもない
無難な、王道をいくタイプなのである。
*****************************
息子が小さい頃は、
まずカレーの材料に火を通して
ルーの段階になったら、別のおなべに具を移し、
大人用は辛口に、そしてお子ちゃま用に
「カレーの王子さま」を
入れて別の味つけにしていた。
小学校低学年ぐらいから
「カレーの王子さま」半分、
「バーモントカレー 甘口」半分に切り替え、
じょじょに甘口だけにこっそりと移行した。
甘口だけにしたとき、やった~!という
気分になったものである。
本当は自分も甘口に合わせることを
強いられているのだが
お鍋ひとつになったことの方が嬉しかった。
そして、高学年ぐらいになり今度は
甘口と中辛をこっそりとブレンドした。
「なんか、今日は辛いね~!」といわれたとき
内心ドキッとしながらも、
そう?気のせいじゃない?とごまかすこともあれば
あんまりに辛がる時には
しょうがなく甘口に戻したりした。
行きつ戻りつしながら、
少しずつの微調整を繰り返して
中学生の後半に、ようやく“中辛、完全移行”を達成した。
振り返ってみると
赤ちゃん用レトルトの「カレーの王子さま」から始まって
実に15年近くの歳月が流れていたのだった。
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タマネギ、にんじん、じゃがいも、
そして鶏肉か豚肉。
それが我が家の定番。
ナスやトマトを入れた夏野菜カレーや
シーフードカレーなどを作ったこともあったが
不評だったために
結局、オーソドックスなスタイルが定着した。
だから、必要以上のものも加えていないし、
削ってもいない。
足しても引いてもいない、
ごくごく普通のカレーに
長年かけてたどり着いた気がする。
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なのに、
家族の中でなぜだかとても評判がいい。
その形容詞が「平和」なのである。
安心して食べられる味なのだそうだ。
妹や母は、リンゴのすりおろしや
ヨーグルトや、さらにカレー粉を加えて
コクと深みをだし、最初が甘くて後からじんわり辛さが
出てくる、というカレー通が目指す味。
だから、
甘かったり辛かったりで忙しい。
しかも、母のカレーは相変わらず
何が入っているのか口に入れるまで
わからないサバイバルカレーだ。
先週は、レンコンとシイタケがいっぱい入っていた。
さすがにレンコンは穴があいているので
それと認識することができたが、
その前の時の、バナナが半分とろけた状態の時には
識別できず、口に入れてからグニュっという食感のあと
なにコレ・・・?と一瞬、無意識にセンサーが働き、
カレーの後の味覚を研ぎ澄ませた。
あっ、バナナ?なんでココに?と思ったが
口に出さずにひとまず完食した。
それぐらいの覚悟がないと
母のカレーは食べられない。
それに引き換え、
直球ストレート味のカレーは
最初から最後まで予想通りの
「日本スタイルのカレー 家庭版」なんだと思う。
それは、ごく普通。といった点で
自慢できることでもなんでもない。
ほぼ説明書どおりに作っているからだ。
*****************************
この間、息子のTATSUROが
うちの近所の商店街の一番はずれにある
カレーやさん知ってる?と聞いてきた。
知ってるよ。私が子どもの頃からあるから。
思いっきり昭和のままのレトロなお店でしょ?
前は喫茶店だったのに、いつの間にか
カレー専門になってるのを
この間通りかかって見かけたけど、
一度も入ったことないよ。
でも、メニューが変わっただけでぜんぜん雰囲気が変わらないわ、
そういえば30年以上たっても。
と、答えた。
オレさぁ、あのお店好きでたまに行くんだよね。
そうするとね、
いつ、どんな時に、どんな時間に行ってもね、
日曜日の午後なんだ。店の空気が。
それって、すごいよね~と言う。
世知辛い世の中で、時の流れが速くなった昨今で、
時代の流れを読んでいないとも言えるが
見方を変えると、迎合することなく
時を止めてしまうほどのパワーがあるということだ。
それを、意識的に狙わないところが
個人商店の良さだと思う。
*****************************
東京には、新しい街がいくつも立ち上がり
新名所なるものが次々と出来上がって
留まることを知らずに進化し続けているが
外国人が写す東京は、新旧が入り混じって
混在している画像が多い。
高層ビルをバックにしたお寺や神社。
たくさんの路線が交差する線路の下にひしめく焼き鳥やさん。
なまめかしくきらめくネオンと、
不夜城のようにそびえ立つ
無機質な蛍光灯のビジネス街。
そんなコントラストが魅力的なようだ。
*****************************
小さい頃から住み続けている私の地元は、
乗換線路がない単独駅の中で
乗降者数が日本一なのだそうで、
昼と夜の乗降人数が同じという統計が出ているんだとか。
つまり、住宅街とビジネス街が半々で
出て行く人と入ってくる人の数がほぼバランスの取れている場所。
日本で有名な企業の本社もたくさんあるが、
私がやっぱり好きなのは、
昔から変わらない個人商店。
景気のあおりや、大型店進出によって
ずいぶんとその姿を変えてしまったが
それでも、趣きを残して続いているところも
しっかりと存在している。
*****************************
小学校の時、学校の目の前がパン屋さんだった。
わりと広々とした店内はいつもガランとして
飾り気がなく、ねずみ色のコンクリートの床、
蛍光灯のそっけない灯りで寒々しいイメージだったが、
土曜日の午後や給食がないとき、委員会の集まりのときなど
時折、小銭を握り締めてパンを買いに行った。
お目当ては、コッペパン。
マーガリン、ジャム、ピーナッツクリームなど
好きな味を言うと、おじさんが丁寧に
間にはさんでくれる。
たっぷりと塗ってくれているといいな、と思いながら
背を伸ばしてガラスケースの向こうの
調理台の覗き込んだものだった。
ふだん、通り過ぎるだけのパン屋さんは
いつもヒマそうで、
おじさんは広々とした店内の隅で
背中を向けて小さなテレビを見ていた。
学校に行くときも、帰るときも、
友だちと公園に遊びに行くときの通りすがりのときも、
お店にお客さんがいるとき以外はずっと
白衣に白い帽子をかぶった後姿で
じっとテレビを見ていた。
小学校を卒業して、ほとんどその方角に
足を向けることのない生活となってからは
その存在自体が記憶の中に埋没していった。
そして、
息子が産まれ、私の母校へと通うこととなり
再び懐かしい校舎に呼び戻された。
すると、あのパン屋さんの記憶も同時に呼び戻される。
そういえば、よく買いに来たよな~としみじみ思って
まだ残っていた店内をのぞくと、
なんと、おじさんは白衣のままテレビを見ていた。
30数年前と同じ場所で。
体型もほぼ変わらずに、姿勢も同じだったから
すぐにわかったのだった。
でも、
白い帽子からのぞいている髪の毛だけが
白くなっていた。
小学生だった私が、
いろんなことを体験し大人になるまでの時間も、
おじさんはずっとこの席に座り、
ひたすらテレビを眺めていたんだろうと
思うとなんだか、感慨深かった。
もちろん、おじさんにはおじさんなりの
人生ドラマやさまざまなことが
押し寄せていたに違いない。
それでも、やっぱりあの席に
座り続けていたことは
紛れもない事実だった。
ほどなくして、店構えはそのままで
電機パーツ会社の看板が掲げられていた。
息子の卒業を待たずにいつの間にか
パン屋さんはひっそりと幕を閉じたようだった。
*****************************
変わらないコト。変わらないモノ。
それは時として頑固で、かたくなで
商才とか、勝算とか、社運を賭ける、とか
そんな未来にポジティブなスタンスとは
まったくかけ離れた場所に存在している。
うちの目の前のお花屋さんも
水揚げが終わったら、
いつ行っても奥の畳の部屋に
たて肘をついて寝っころがってテレビ見ていて、
こんにちは~、と声をかけると
おもむろに起き上がり
いっらしゃい!今日は何しましょうか?と
八百屋さんのような返事が返ってくる。
この間なんか、これいりますか?と
丸々したにんにくを手のひらに載せて差し出された。
私は、花とにんにく2コを手にして
ちょっとホコっとしながら家に帰った。
今どき、お花を買いに行って
お野菜くれるところなんて、そうそうない。
そういった下町人情が大好き!というわけではない。
時々わずらわしいような、
毎回、「お兄ちゃん、何年生になったの?」とか
聞かれたりする受け答えを
思わず回避したくなるような気持ちがあるのもまた事実だ。
だけど、
ぜんぶシステム化していて
そっけないほどに完璧な店づくりと品揃えが
展開されている近頃、わざわざ新しくできた
新名所に行かなくても、同じチェーン店なら
他の場所でも同じラインナップが並んでいそうな気がして
本当にビックリするほど行っていない。
新丸ビルとか、六本木ヒルズとか、ミッドタウンとか・・・?
どこも30分ぐらいで行けるところばかりなのに、
いまだに未開の地である。
別の用事がないと、あえて行くことがないから
時々、他県に住む人のほうがよっぽど詳しくて
ちょっと恥ずかしいが、興味がないから
しょうがないか、と割り切っている。
それよりも、変わらない
近所の下町風情のほうがよっぽど魅力的でおもしろい。
私が子どもの頃からある
洋裁店は、店構えは変わらないのだが、
店主の体型とともにショーウィンドに
飾られている洋服もどんどんと
幅が広がってきていている。
つまり、店主が歳とともに太ってきているんだな、と
いうことを無言のうちに物語っている。
*****************************
日々の繰り返しの中で
そんな、小さな発見はなぜだか嬉しくなってしまう。
TATSUROが、
「かあさんのカレーは“LOVE & PEACE”だ!
世界で一番うまい!」
と先週、言っていた。
隠し味も、特別な材料も使っていないのに。
シンプルに作っているだけなのに。
ちなみに、卵焼きは
渋谷くんちのが一番おいしいのだそうだ。
どうやって作っているの?とお母さんに聞いてみたら
「え?ただ普通に作っているだけよ~。
お砂糖と塩だけ。
やだ!ただ焼いてるだけよ!」
“LOVE & PEACE”ってそんなことなのかもしれない。
そして、いろんな場所に潜んでいる。
かっこいいスローガンを声高に掲げなくても、
世界や宇宙のような大きなところじゃなくても。
今、目の前に。すぐそこに。
私のまわりに。
大切な、ささやかで、何気ない日常に
宝石のようにちりばめられている。
とっても楽しく、そして有意義な時間でした
HARUNAはあの日から「スッキリ感が増した♪」と喜んでいます
「カレー」について・・・
私の場合は「調理師」という関係もあり、すぐに「工夫しすぎ」てしまう傾向があります
ある時知ったのですが、いわゆる「カレーの箱裏の作り方」はとても理屈に合っていて美味しい味になる! アレを開発するまでには多くの人達が研究を重ねて「1番おいしいカレー」になるようにガンバッテいるそうです♪
ここにKAORUさんの「変わらぬ愛」が入れば
「オニに金棒?」ですネ♪
(変な表現になってしまいました)
先日はこちらこそたくさんお話できて嬉しかったです♪
HARUNAさんからのメッセージ、本当にありがとう
聞いておいてよかった
これからのお2人がとっても楽しみですね
カレーも卵焼きも、同じ材料のはずなのに
ちょっとした水の分量や、サジ加減で
味が違ってホントに不思議ですね。
愛もやっぱり味に加わるんだと思います。
料理って奥が深い