『中心力の時代』などによれば、安藤先生は2度ほど不思議な体験をしたそうです。
ひとつ目は、安藤先生が内弟子になり5年ほどした昭和61年ごろ。そのときのことを安藤先生は次のように書いています。
大きな鏡に向かう自分に、無心になろうとしつつ、自問自答を繰り返している自分もいた。邪念を打ち消し打ち消し練習していると、だんだんと自分の体が手の先足の先から消えていく。あれ、どうしたんだろう、そのまま鏡を見ていると、どんどん体が薄くなり、消えていった。そして、自分を見つめる目だけになった。
そのときの感じは、空気になったような、重さを感じない、他の物体との境を感じない感覚であった。もしかすると、これが植芝開祖の言う宇宙と一体となるということなのだろうか
この状態がどういうものなのか知りたくて、千野進教士を6時近くに起こしにいった。そして、ちょっと両手でつかんでくれ、と頼み、掴んだところをいとも簡単に投げてしまった。いとも簡単というより、全く重さを感じなかったし、掴まれたという実感もあまり湧かなかったほどだ。(『中心力の時代』p72,73)
その感覚は2,3時間たつと消えてしまったが、一度高いレベルにまで行ったという安心感から少し変わった。例えば、相手の動きがスローモーションで見えるようになった。
そんなとき葉梨信行自治大臣を招いた演武会があり、そこで塩田剛三宗家により安藤先生は自身の得ていた感覚を吹き飛ばされた。その時の様子を安藤先生は『秘伝』2005年1月号で次のように述べています。
そのときの私はちょうどスローモーションに見えていたときで、非常にスッキリしていた。それで、今日は調子がいいから館長に勝てるぞと(笑)。不思議なもので怖いという感覚がないんですよ。いつもは塩田館長とやるときは怖いんですが、そのときは怖くない。それで館長と相対したんですね。そこで館長が集中力の話をしながら間合いを詰めてきた。私はもう、いつでも来てくださいという気持ちでいたから、塩田館長が突いて来たら避けてやろうと待っていたんですね。そうしたら館長が来ない。館長もなんか違うぞって思ったんでしょう。葉梨大臣のほうを向いて話をしたりしているんです。それで突然、突いてきた。そこまでは私も読めなかったんですよ。
(中略)
そこを突かれたものだから、受身を取ったんだけれど、気持ちがガクッと崩れてしまった。そうしたら今までリアルに人の動きが見えていたのが、見えなくなってしまったんです。やられたと思いました。今までの感覚が全部、吹き飛んでしまったんです。だけど、そのときに館長が「安藤が伸びた」とおっしゃったんですね。(月刊『秘伝』2005年1月号p.102)
上の話で私がすごいなと思うのは、安藤先生が塩田宗家の技を本気で避けようとしていることです。塩田宗家は本やインタビューのなかで「演武のときは本気で掛かってくるように弟子たちに言っている」と、よく語っていますが、まさに勝負しています。武道における師弟関係は、弟子が師に対して敬意と信頼を持っていると同時に「スキあらば一本取ってやる」という気持ちもあるわけで、独特の緊張感があります。
これは、植芝盛平翁と塩田剛三宗家の間にもあったようです。『合気道修行』には、次のようなエピソードが書かれてます。
指導の最中ではありましたが、私はこのチャンスに先生に技をかけてやろうと思いました。こっちにすれば、勝負を挑むつもりだったのです。
私は言われるままに、四ヶ条の手にグッと力を入れるふりをしました。すると、案の定、先生がいっぺんに力を抜いたのです。そこへサッとこっちから乗っかったら、先生はコトンとひっくり返ってしまいました。
「そんなバカな」という顔をして私を見上げる先生を見て、私は一本取ったと得意満面でした。あとになって先生は、さっきの技は見事だったと、誉めてくださいました。(塩田剛三著『合気道修行』p.136,137)