3.武術的観点から見た受け
型稽古では見かけ上というか、手続き上、受けからなにかしら攻撃を仕掛けることが多いです。養神館合気道で仕手からアクションを起こすのは、正面打ちの(一)の技ぐらいです。
ですから、もし、あなたが、武術としての合気道を極めていきたいと思うのであれば、受けの攻撃をどのようにすべきなのかというのは、非常に重要になってきます。受けの攻撃の仕方が頓珍漢なものであれば、はっきり言って、稽古の効果が薄くなります。
受け側の攻撃の仕方としては、手首、肘、肩、胸、奥襟を掴んで押したり引いたりする。手刀により正面打ちや横面打ちをする。拳を使って突きを行うというのが、基本技ではほとんどです。私の経験上、当身の攻撃である正面打ち、横面打ち、正面突きが、攻撃という名に値しない受けの動作が多いように思います。これは、近年は男子であっても殴りあいのケンカをすることが少なくなってしまったためしょうがないといえばそれまでというところがあり、要は、「あんたは、本当に、人を叩いたことがあるのか?」と言わざるを得ないものが散見されます。
当身がうまくなるためには、初心者においては、反復稽古しかありえないだろうと思っています。空手でも柔道でもボクシングでも、単独の反復稽古をけっこうやっています。合気道は二人で組んでの型稽古が主で、地味な反復稽古というのは、みんなが集まったなかでの稽古では、ほとんど行いません。これはどういうことかというと、戦前の植芝道場というのは、剣道や柔道の猛者たちが、「それでは飽きたらん」ということで入門してきたので、武術の基礎ができた人が対象だったという理由も大きいでしょう。ですから、ある程度、他武道を経験してきた人はいいのですが、そういう経験がなくいきなり合気道を始めた人は、もし、武術的に強くなりたいとの思いがあるのであれば、当身の練習などを独自にしなければならないと思います。
間合いが滅茶苦茶な当身、攻撃部位が不正確な当身というのは、稽古をすればするほど、仕手にとっては護身の技術としては逆効果になるということを知らねばなりません。これは、どういうことかというと、真に自分の身を脅かす攻撃とそうでない攻撃の区別がつかなくなるということです。格闘技やケンカに長けたものであるならば、フェイントを使って相手を幻惑するというのは、当たり前のセオリーです。フェイントか本当に決めにきてるのかを判別するのは、間合いであったりその人から出る気迫であったりと様々ですが、実際の現場では、理屈で考えている暇はありません。本能的な直感で虚と実を判別するしかありません。普段の稽古で充分な気迫と威力のある攻撃を経験していなければ、いざというとき、そのような直感は働かないと思います。
それから、受けをとっているときに己の技量を向上させようと思うのであれば、相手をしている仕手の技の効き具合というのを常に味わうというのも、大事だと思います。型稽古でありますから、仕手の技が効いていないからといって、技にかからないというのは、いつもいつもやっていてはきりがありません。まずは手順を覚えねばなりませんから、その型自体を知らない場合は、技が効く効かないに関わらず受けは付き合ってあげなければ先にすすみません。
ある程度、その型に慣れてきた場合、今度は、受けとしては常にその技から脱出できる機会を窺がうようにすると、武術的なセンスが磨かれると思います。ただ、通常の稽古のときは、実際に脱出しないほうがよいでしょう。「これだったら、仕手の技を返せるな」と心のなかで思うに留めるようにしましょう。そうでないと、型稽古ががんばりあいになってしまい、成り立たなくなってしまうからです。まあ、気心の知れた人と稽古をするときは、たまにはそういうことをやってもいいとは思いますが・・・。
これは原則論ですが、「同程度の実力の者同士の技は極まらない」と言っていいと思います。それは、ボクシングでも柔道でも実力の拮抗したもの同士は、なかなかきれいな形で決着がつかず、僅差の判定になるというのと同じことです。ですから、同程度の者同士が、お互い頑張りあってしまうと、なかなか技にならないというのが現実です。頑張りあう稽古というのは、また、自由練習のときに有志でやったりすればよいことです。普段の型稽古では、大筋で理合いに沿っていれば、受けは素直に技にかかるという姿勢が型稽古には必要だと思います。