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MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

橋に注意! 積雪ラン&氷点下ラン

2017-01-17 | 走りながら考えたこと
 先般の大雪で被害や事故にあった皆さんにはお見舞い申し上げます。
 私の住むエリアでも優に10cm、いえ20kmくらいは積もったのではないかと思います。
 雪を気にしながら思い切って走ったのですが、走り出してみたら雪はガツガツと降ってきて、そうしたら事前の予想に反して楽しくなってきて、故障している足が痛いのも半分忘れるくらいワクワクしてしまいました。こんなに雪が降る中を走るなんて、雪国絵もないこのあたりでは滅多にない事なのです。

 空も明るくて(月は地平線に張り付くような位置だったにもかかわらず)とても走りやすい夜でした。で、油断してたわけでもないんですが、私のマイコースは1km走る間に3回橋を渡らなければならず、滑って転びそうになりました。
 車の運転と同じで、0℃近くまで冷え込んだ夜、何を気をつけなきゃいけないかって、そりゃあもう断然「橋の上」なんです。よーく見ると凍って光ってるのがわかります
 最初に滑って転びそうになった後は、きわめて注意深く慎重に橋に突入しましたが、それでも2,3度滑りました。靴はスノトレ。それでもこんな風なので、残雪の残る中、ランニングシューズで亜h知っているランナーは数倍も注意する必要があります。
 ちなみに気温は2℃でした。
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痛みに耐える訓練

2016-10-17 | 走りながら考えたこと
 このところ左足の(おそらく)腱鞘炎のせいでほとんど走れない日々が続いている。これまでにも何度も同じ症状に悩まされた経験があり、余り無理をしなければ---というか走り始めるとすぐにけっこうな痛みになるのでどちらにしてもあまり無理をしようがない---1~2か月でたいてい良くなる。これまでは右足ばかりだった気がするが、今回は左足である。

 レースでロキソニンを飲んで痛みを抑えて走ったことはあるけど、日常的なランで痛いのにわざわざ薬を飲んで走る馬鹿はいないだろう。私もそうだ。となるとこのタイトルはどういうことだ?!ということになる。

 無理はしないのだが、一番大きな意味としては「今どのくらい回復しているのか?」確認したくて少し走ったりする。今回もせいぜい1kmくらいしか走らない(走れない。走れるけどさらに痛みが増すから走らない)。で、少しは良くなっているのか、痛みはどの程度か確認する。

 以前走った100kmマラソンで、足が痛くてもう走れない、と観念し後半ほとんど歩いたことがある。「がんばれ!」と声をかけられても「これで精一杯なんです。痛くて走れないんです」と心の中で叫び、憤慨していた。そしたら近くを走っていたあるランナーが仲間にこう話すのが聞こえてきた。

「俺だって膝が痛くて痛くてもう走れないくらいなんだよ」

 その時、ほかの多くのランナーも激しい痛みを我慢して走っているんだと初めてわかった。ただ、外から見る限り「彼の痛み」はどれほどなのか私には永遠にわからない。

 私が出るような市民レースでは、国や学校を背負ってるわけでもなく、いつやめたっていいと言えばいいわけだが、それでもやっぱり痛かろうが寒かろうが多少は頑張る。つらいからと簡単にやめてしまうんではレースに出た意味がないからだ。別に我慢する前提で走るわけではない。大事なことは「何事にせよ、やると決めたら全力を尽くす」事だと思っている。
 人生で人からやらされて全力を尽くさねばならぬようなシーンはたまにあるかもしれないが、自らの意志で、自分から望んで全力を尽くすことなど普通はあまりない(偉人と凡人との差はそのあたりにあるのかもしれない)。
 私にとってレースに出るとは、つまりそういうことだから、簡単にやめるくらいなら最初から参加しないだろう。そしてもうひとつ大事なのは、全力を尽くせるように準備する過程である。
 出たとこ勝負で全力を尽くすのも、意味がないわけではない。やらないよりはましかもしれない。しかし、本当は、準備こそ心を鍛えるのにも重要なのだ。
 そう、マラソンを走る理由はいろいろあるけれど、その一つは「タフな経験をしておく」ということであり、そのための準備でタフさのレベルアップをはかり、逃げるわけにはいかない(実際には逃げ出しても怒られることもないわけだけど)実践の場で痛みや苦しさをどうにかこうにか克服していく経験をすることにあると思う(と書きながらはっきりそう思った)。
 普段のランにおいても(程度は別にして)痛みに耐えて走る経験をしておけば、レース中の痛みにも対応できるレベルが上げがるのではないか。そうしたことを望むするかどうかは人それぞれ自由だけれど。なんで痛いのに走らなきゃならないの?って人の方が多いかもしれない。いや、きっと多いだろう。他人に押しつけるつもりはない。
 ちょっと大げさに言うなら、人間てどんどん我慢しなくなっているから、我慢がきかなくなっている。その結果、とりわけ1960年以降凄いスピードでいろんな事が急激に変化し続けている。人口も二酸化炭素も何もかも増え続けている。警鐘をならしたって誰も止められない。
 フィリップ・マーロウ言わく。
 If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
 マーロウはハードボイルドなロマンチストだ。優しさについてはまた別の機会に。
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根性とモチベーションは比例する。

2016-09-10 | 走りながら考えたこと
 最近つくづく、走ることに対するモチベーションが上がらないと感じることは多い。いろんな理由が複合的に絡まっているけれど、一番大きいのは「思うように走れなくなった」ということだ。年のせいもないとはいえないが(60歳、70歳でもサブ3.5、サブ4なんてランナーもいるし、ひとえに年のせいにしたくはないのだけれど)、疲労回復力は年々大幅にダウンしているように感じる。10km走るのも条件が整わないとけっこうきつい。
 「きつい」「疲れた」「だるい」などと感じた状態で走るとなると、これは概ね楽しくなど走れない。もう「負け」である。走ることに対して負けを認めざるを得ない。

 そのためには、それぞれのランナーの力に応じた「根性」が必要になる。ファンランという楽しみ方もあるので、そういう方には無縁な話である。
 根性を出して自分にとって過酷なチャレンジを安全にやりきることがマラソンの面白さではないか。矛盾するようだけど、根性を出すキャパシティはきっとモチベーションの高さに比例する。走るのが楽しいほど、きつさを面白いと感じるほど、より難しいチャレンジを乗り越えられる。楽しくもないのに「根性出せ」とか言われても出るはずがない

 翻って、走るのが楽しければ、10kmくらい走るのはなんてことないのだ、と走りながら思った次第である。
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ランニングフォーム、最も気にしていること。

2016-08-07 | 走りながら考えたこと
 レー-スとなれば、いわば「本番」なわけで、ランニングフォームを気にしながら走ることはあまりない。多少の修正程度だ。フォームなんて練習のうちに何とかしとかなくてどうする、ってわけだ。海に入ってから泳ぎ方どうだったっけ?では溺れてしまう。

 練習のつもりで走るランなら(ファンランならフォームなど気にする必要もないわけだから)、フォームはやはり気にかけて走る。
 いくつか自分なりのポイントがあるけれど、一番気にしているのが「肩の位置」「胸の開き」だ。まあ、おんなじことなんだけど。

 肩を後ろに引くと自動的に背筋が伸びて胸が前に出る。肩を引いて胸が前に出ると空気を肺いっぱいに取り込むことができ呼吸が楽になる(深呼吸してみればわかる)。つまり、姿勢が大事だということでもある。この姿勢を保ち続けて走るには肩周りと背中(僧帽筋)の筋肉のスタミナが必要になる。長距離を走り込んでいれば、それが筋トレにもなるから問題ないんだけど、走れていないとこの姿勢を保つのがつらくなる。

 そんなわけで、ランニング中にはしばしば、弓を引くごとく肩をギリギリと引いてこの姿勢を覚え込ませなくてはならない。
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ランニングも時に命がけである。

2016-07-26 | 走りながら考えたこと
 走っていて転んで怪我した経験について書いたばかりだが、ついでなので、ランのリスクについて----ランニングも命がけのところがあるってことを書いてみたい。

 特に夜ランの最中、「ここで何かあったら終わりだな」と思うことは時々ある。排ガスがひどいし信号も多い国道などの大きな道はなるべく走らないようにしているので、マイコースは街灯も多くはないし、人通りも多いとはいえない。が、一種の抜け道に使えるところなので、車は意外と走っていたりする。ここで、走っている時に何か身体の異常が起きて倒れたり、たまたま車が横を通るタイミングで、何かにつまずいて大きくよろけたりしたら、これはもうよほど運が良くないと車にひかれることになる。
 抜け道故、人のそばを走るにもスピードを落とさない車が多くて、「この運転手は、もし、私が車側によろけたりしたらどうするつもりなのだろう?」とよく思う。

 同様に、日中でもすれ違う人が5人にも満たないであろう土手沿いの道など、心臓麻痺でも起こしたとして、セーフティに発見してもらえる可能性は相当低い。夜は走らない(暗くて走れない)が、そんなことを考えることがある。
 土手などでは、時に落雷のキケンなどもある。わたしは雷の音が聞こえたら基本的には速攻で帰宅することにしている。

 そして、もちろん、レースなどでは心肺に相応の負荷を掛けることは当然あるわけで、熱中症なんかも含めて、救急車の音を全く聴かないまま帰れる大会のほうが逆に少ない。明らかに「日常とは違う」ということは意識しておくべきだろう。
 意識してれば100%どうにかなるとはいえないが、意識してればどうにかなることもある。

 安全確保のために、できる限りの努力はしなくてはならないし、してるつもりだが、100%安全な環境なんてありえないし、もしあったとしてそんな中でだけ走っていても面白くもなんともないだろう。第一何の成長もない。これは子供の教育なんかにも通じる。ケースバイケースで相応の安全確保は必要だろうが過度になってはそもそもやる意味がなくなってしまう。キケンを「自分で」察知するの能力、それをなんとかやり過ごすためにどうすべきか「考える経験」を養う機会でもある。
 
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